第41話 宇宙からの精神X
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ぼくがギターを爪弾く横で、バチカンのエクソシストは優雅に日本茶を飲んだ。
「今弾いてるのはブルース?」
召使いの奏でるBGMを楽しむ貴族のようにうっとり目を閉じ、フランチェスコは、それなんて曲? と尋ねた。
「題名はない。アドリブだよ」
ギターを壁に立てかけ、ぼくもお茶をすすった。
「ていうかきみを招待した覚えないんだけど?」
「実は……シニョリーナ」
階段からこっそりこちらをのぞいていたユイに、フランチェスコはほほえみかけた。
「三郎くんと秘密の話をします。しばらく二人きりにしていただけますか?」
「ご、ごめんなさい」
ユイは顔を赤くして階段をかけあがった。
「かわいいお嬢さんだね。あと三年たったらナスターシャ・キンスキーばりの美人になるよ彼女」
「よくいうよ、この前は危険だからわたせといっといて……」
「これを読んで」
フランチェスコは一通の封書をさしだした。
おもてにA Francescoと美しい手書きの文字があった。
裏返すと黄と白の二色国旗が印刷されている。
(バチカン国旗)
「ローマ教皇の親書だよ」
きみに読んでほしいとフランチェスコはいった。
ペンで綴られたローマ字を見てすぐ読むのをあきらめた。
「ラテン語じゃん、読めないよ」
「ヨーロッパで人が人を食ってる」
ぼくは書面から顔をあげ、エクソシストの青い目を見た。
「なんだって?」
「人が人を食い殺してる。まじめで善良なカトリック教徒が隣人を襲ってるんだ」
「そんなのニュースでやってないよ」
「マスコミはバチカンが押さえてる。インターネットもね。被害者とその家族、目撃者、地元の警察だけが事件を知っている。
今はまだ。
六月三日オーストリアでBABY METALのライヴがあった。その会場で十二人死んだ。とつぜん狂乱した三人の人間に被害者は食い殺された。
六月某日オランダで行われたメタリカのライヴで二十人死亡。襲ったのは五人。
六月某日ロンドンであったレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライヴでも十一人死亡。襲ったのは四人。
それから四月から五月にかけてセリエAの二試合で計二十九人、ブンデスリーガの三試合で計三十八人死んでる。襲撃者の数は不明。おっと、いいわすれたけど各会場の襲撃者はその場でセキュリティに撃たれ全員死んでる。
バチカンの調査で四月から六月にかけてヨーロッパ全体で五〇三人の人間が食人行為の犠牲になった。どう思う?」
「テロじゃないね」
「ぼくもそう思う。テロなら組織が声明を出す」
「政治的な意図がない。つまり純粋に食うことが目的ってこと?」
「そうなるね。五月のことだよ。
バチカン市国のサン・ピエトロ広場では毎週水曜日午前十時半から教皇の一般謁見が行われる。その日は世界中から五万人の信者が広場に集まり、教皇は車で移動しながら人々に祝福を与えた。
その聖なる場所で十三人の人間が発狂した。
教皇の目の前で忌まわしい食人行為がなされた。その日広場で六十六人死んだ」
フランチェスコは目を閉じ、顔の前で十字を切った。
「……目撃者の一人がこんなことをいった。『黒いけむりのようなものが襲撃者の口に入っていくのを見た。するとそれまでふつうだった男が急に発狂した』と。目撃者は町のちんけな占い師でどうやら少しは霊感があるらしい。バチカン科学班はこう分析した。
黒いけむりのようなものは宇宙からやってきた。生命体だが肉体はない。
純粋精神体なんだ。
科学班は生命体を仮に【宇宙からの精神X】と呼ぶことにした。
いつどこで生まれたのかわからない。
地球にいるXの個体数も不明。数百なのか、それとも数万なのか。
精神体であっても生命を維持するために栄養は必要だ。そういうときXは手近な個体に憑依し、個体の同族を補食する。
Xに必要な栄養素はタンパク質。
彼らが人間にとりつくのは地球でいちばんかんたんに手に入るタンパク質が人間だからだ。
Xはスポーツや音楽や宗教の大規模イベントにあらわれる。日常の場にあらわれたことはない。これはどういうことか?
熱狂しこころが空っぽになった人間がもっとも憑依しやすいってことさ。つまりX出現のキーワードは熱狂だ。音楽やスポーツの会場で熱狂する人にとりつき、存分に食べ、とりついた肉体が死んだら精神だけ離脱し、その星からエサとなる個体がなくなったら新しいエサ場を求めてまた宇宙をさまよう。Xにとりつかれ共食いの果てに滅んだ文明がたくさんあると科学班は推測してる。
そして教皇がもっとも心配しているのが戦争だ」
「人々がいちばん熱狂するのは戦争だから?」
「その通り。Xは知的生命体だ。音楽やスポーツ以上に戦争が人間を熱狂させるという真実を彼らは知っている。たとえばきみの国の首相が公衆の面前で中国人や韓国人に食い殺されたらどうなる?」
「そんなおそろしいこと……まあ戦争になるかもね」
「第一次世界大戦はサラエボで放たれた一発の銃弾で起きた。日本が第二のサラエボとなり第三次世界大戦がはじまることだってありうるよ。
そしてもう一つ心配なことがある。
イスラム教が西暦とは異なるヒジュラ暦を使うのは知ってるね?
西暦二〇一六年九月四日からヒジュラ暦一四三七年第十二月ズー・アルヒッジャの巡礼月が始まる。
メッカ大巡礼だ」
(あ)
恐怖のあまり血の気が引いて、フランチェスコの声が一瞬聞こえなくなった。
「……世界中からメッカにやってきたイスラム教徒がカアバ神殿に集まる。その数は軽く百万人を越える。世界最大の宗教儀式だ。人々は聖地巡礼に興奮し熱狂している。
もしこの巡礼の場にXがあらわれたら……ああだめだ、あまりにもおそろしすぎて想像できない!
純粋精神体Xに銃弾や核兵器は通用しない。サン・ピエトロ広場にいたいんちき占い師がXを目撃できたのは彼に多少霊感があったからだ。
三郎くん、教皇は今まで敵視していた全世界のオカルティストに打倒Xを要請する手紙を出したよ。
チベットのシャーマン。
イスラム教団を離れたスーフィー。
アメリカの森で暮らす魔女の集団。
砂漠のベドウィン。
旧ソ連の秘密学校で訓練を受けた超能力者。
彼らのもとに教皇の手紙はもう届いてる。ぼくは呪術師早川三郎を推薦した。メッカ大巡礼はあと三ヶ月で始まる。その前に、やつらをやっつけないとぼくらは全滅だ。頼む三郎くん、いっしょに戦ってくれ」
「わかったやる」
「本当!」
「ただし条件がある」
部屋にあらわれたカラミルとユイを見てフランチェスコの顔色が変わった。
ユイはともかくカラミルの正体は世界一有名な女吸血鬼カーミラだ。
いうまでもないがエクソシストにとって吸血鬼は不倶戴天の敵だ。
真っ赤なTシャツを着て不敵に腕組みするカラミルにとってもそれは同じで、彼女はバチカンが派遣したエクソシストに両親を殺されている。
「バチカンが二人の生存と行動の自由を保証すること。それが協力の条件だ」
ぼくの話を聞いたエクソシストの額に苦悶のしわが寄った。
「……わかった。保証しよう」
「あらそんな保証いらないわ」
「カラミル」
「彼女がすぐれた音楽家なのは知ってる」
フランチェスコはあごで横柄にカラミルをさした。
「前のライフで有名な女優の養女だったって? その女優の世界ツアーに同行し、毎晩ステージで演奏していたことは調べがついてる。でもユイさんは……」
「彼女がこの作戦のカギだ」
「わ、わたしが?」
きょとんとするユイとカラミルに、ぼくは自分が考えた打倒Xの作戦を説明した。
「……という作戦なんだけど質問ある?」
「はははい!」
ユイはすごいいきおいで手をあげた。
「な、なんでなんでわたしなの?」
「今日コーラスで歌うきみの声を聞いて確信した。きみじゃないとこの作戦は成立しない」
「そそんな……」
「作戦はわかった。ところで依り代はどうする?」
フランチェスコは青い目を光らせた。
依り代とは神霊が憑く対象物のことだ。
ふつう神霊は木や石に憑くといわれるが、純粋精神体Xは人間に憑依する。
「三郎くん、きみの作戦の最大のポイントは依り代だ。でもきみが望むようなスケールの大きい依り代が、この世にいるとは思えない……」
「わたくしが」
部屋にいた人間はいっせいに声がしたほうを振り向いた。
Aとサンジが階段にいる。
「わたくしが、依り代をつとめましょう」
サンジはそういっておだやかにほほ笑んだ。




