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少年呪術師  作者: 森新児
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第40話 黒いけむり

 △


 その日自分と師父は熊本市の南にある宇土(うと)という町を訪れました。

 昨日までの豪雨がうそのように晴れた、気持ちのいい朝です。

 宇土は大相撲の人気力士正代(しょうだい)の故郷です。

 師父はどこかよその土地を訪れたら、地震の被害を受けた建物を念入りに見てまわるのがならわしです。

 宇土も甚大な被害を受けていますが、今日の師父はそういうものには目もくれず、ある場所にまっすぐ足を運ばれました。

 それは宇土高校裏手の住宅地の中にありました。





 車中泊者のものらしい、数台の車が停まった駐車場の脇に長い急な階段がありました。

 そこを登るとだだっ広い芝生広場につきました。

 ここが今日の目的地、宇土城山公園です。

 有名なキリシタン大名小西行長が建てた宇土城の跡地が公園になっているのです。

 しかし公園に城を思わせるものはなにも残ってなくて、すみのほうに行長の銅像があるだけなのが拍子抜けです。


「ユダ」


 犬を連れて散歩する老夫婦や一人で憩う若い娘、そして避難所のストレスを発散しようと走りまわる二人の男の子を眺めて師父は「熊本城とえらくちがうな」といわれました。

 今は地震で入れませんが、行長のライバル加藤清正が建てた熊本城は、国内外の観光客で連日大にぎわいでした。

 それとはまったくおもむきのちがうのどかな風景が、今自分たちの目の前に広がっています。


「小西行長が敗軍の将だから城跡もさびれたのでしょう」


 肉体を失った自分が虚空からそう答えます。

 自分の声は師父にしか聞こえません。


「行長は関ヶ原で西軍についたんだな?」 


「はい。戦に敗れた行長はとらえられ斬首されました。キリシタンの行長は自殺を禁じる教えにしたがい、切腹を拒否したのです」


「ずいぶんくわしいな」


「自分、司馬遼太郎のファンなので……」


 と、そこで異変に気づきました。


「師父?」


 あれはなんでしょう? 黒いけむりのようなものが、芝生の上空をフワフワただよっているのです。

 老人も、娘も、おいかけっこに夢中な子どもも、自分たちの頭のすぐ上をただようそれに、まったく気づいていません。


「あれは」


「ユダ、動くな」


「しかし」


「動くな。おまえがどうにかできる相手じゃない」

 

 と、師父がいわれたまさにその瞬間、黒いけむりのようなものが動きました。

 矢のようにするどく一直線に師父に突っ込んできたのです!


「師父!」


「サンチャゴ」


 師父が呪文を唱えると、すでに花を散らした桜の緑葉がパッと数枚落ちました。

 それで終わりです。

 黒いけむりのようなものは消えました。


「師父おケガは!?」


「大丈夫、ぶじだ」


「今のはいったい?」


「わからん。私もあれははじめて見た」


「そうですか。ところで黒いけむりをどちらへ?」


「ちょうど()()()があったんでそこへ引越しさせた」


「空き家?」


 とまどうわたしの声を聞いた師父は、いたずらが見つかった子どものようにかわいらしい笑みをうかべました。





 ●


 本城小学校には校舎が二つある。

 東の校舎は一年生から三年生が使う校舎で、一階に職員室と給食室がある。

 南の校舎は四年生から六年生が使う校舎で、三階に六年生の教室と音楽室がある。

 六月十三日月曜日午前十時。

 わたしたち五年A組の生徒は三階の音楽室にいた。

 外は梅雨の雨が降っているが、室内はクーラーが効いて気持ちいい。

 音楽室はふつうの教室と幅は同じだが奥行きが深い。

 部屋の前のほうにピアノが置かれ、うしろのほうに太鼓や木琴がある。

 さらにうしろの壁に有名な音楽家の肖像が飾られている。

 左からバッハ、モーツァルト、ベートーベンの肖像画がならび、そのとなりにエド・サリバンショーで演奏するビートルズの写真がある。

 ここまではふつうだが、ビートルズのとなりに美空ひばりとBABY METALの写真があるのは珍しいと思う。

 これもしかして校長先生の趣味?





 その日わたしたちはコーラスの練習をした。

 こんどの日曜日、以前本城小に避難していた人たちを招待して体育館でミニコンサートをやることになり、A組はコーラスを披露することになった。

 さゆり先生がコーラスに選んだ曲はビートルズのナンバー『THIS BOY』だ。

 先生がビートルズのファンなのだ。

 三郎は一人だけコーラスに加わらずアコースティックギターで伴奏した。

 家から持ってきたギターは三郎の自殺した兄二郎の形見だ。

 ピック弾きの固い音が音楽室に響く。


「いつもは素手で弾くけど素手だとギターの音が柔らかくて小さいんだ。みんなに音が聞こえないと困るから今回はピックで弾く」


 とさっき三郎がいった。

 コーラスは三つのグループに別れた。

 ポールが担当した高音程のグループ

 ジョージが担当した中音程のグループ

 ジョンが担当した低音程のグループ

 の三つだ。

 太一は高音程、ランは中音程、オサムは低音程のグループに入った。

 わたしはランと同じ中音程のグループだ。

 サビでジョンが歌うソロ、この曲いちばんの聞かせどころを担当するのはオサムだ。


「オ~」


 顔を真っ赤にして熱唱するオサムの歌声に耳をかたむけていたら気がついた。


(あれなに?)


 天井の近くを、黒いけむりのようなものがユラユラ漂っている。

 けむりのようだがけむりではない。

 時々クラゲのように透明になる。

 けむりのようなものは天井をゆっくり移動した。

 あっちへ行き、こっちへ行き、やがてコーラスを歌うわたしたちの頭上にきた。

 そのままじっとしてる。

 歌いながら天井を見あげた。

 また黒いけむりが透明になった。

 まわりを見た。

 さゆり先生は指揮に夢中で天井の怪異に気づいてない。

 それはほかの生徒も同じだ。

 天井を見あげているのはわたしと三郎の二人だけ。

 そこでようやく気がついた。


(みんなにはあれが見えないんだ)


 そのときけむりのようなもののお腹(?)が青白く発光した。

 稲妻を孕んだ雲のように。

 それを見てゾッとした。感じたのだ、

 けむりのようなものの食欲を。

 黒いけむりのようなものは天井を離れ、するする下降した。

 真下にランがいる。

 ランは大きく口をあけて歌っている。

 けむりのようなものはその口の中に侵入しようとした。


「ラン!」


 というわたしの悲鳴はムチがしなるようなするどい音にかき消された。


「三郎くん!」


 さゆり先生が指揮をやめてかけよった。


「すいません、弦切っちゃって」


 と笑う三郎の右手から床に血がしたたった。

 切れたギターの弦で指を切ったのだ。


「大丈夫?」


 先生は血をティッシュでぬぐい、傷口にバンソウコウを張った。

 ランはコーラスをやめて口を閉ざし、心配そうに二人のようすを見つめている。

 わたしは天井を見あげた。

 けむりのようなものは消えていた。





 授業が終わってすぐ花子がいるトイレに向かった。

 あの子ならさっきのけむりのようなものについてなにか知ってると思ったのだ。

 てまえから三つ目の個室のドアをノックした。

 一回目と二回目のノックに「まーだだよ」と返事があって、三回目に「もーいーよ」の返事がくる、はずなのに


「まーだだよ」


(え)


 どうしたの? と思わずしまったままの個室の扉に向かって問いかけた。

 三回目のノックの返事が「まーだだよ」なのははじめてだ。


「は、花ちゃん?」


「今日は帰って」


 花子の声がやけに弱々しい。


「か、体のぐあいが悪いの?」


「お願い帰って」


 花子の声は今にも泣き出しそうにふるえていた。

 わたしは釈然としないままトイレから去った。 





 その日の夜。

 三郎は夕食もとらず、自分の部屋でずっとギターを弾いてすごした。

 朝鮮飴の夕食を終えたわたしは食器を洗うサンジのうしろ姿をぼんやり眺めた。

 昼間の花子とのやりとりを思い出し、なんとなく気分が晴れない。

 するとだれかの訪問を告げるベルが玄関で鳴った。


「はーい」


 玄関に出たAはすぐもどってきた。

 Aがつれてきたお客さまの顔を見て、わたしはたちまち憂鬱な気分をわすれた。


「こんばんはシニョリーナ」


 ときれいな日本語であいさつすると、サンジとはタイプのことなる白人の美少年はにっこり笑った。


(天使が黒いスーツを着てあらわれた)


 頬を熱くほてらせ、わたしはそう思った。


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