第35話 神秘の火薬
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今日は六月二日木曜日だ。
今朝はへんな夢を見たせいで、ひさしぶりにいやな寝汗をかいた。
その日熊本は朝から晴れて午前中に気温が夏日に達し、その後最高気温が二十九・六度と真夏日の一歩手前にまで高くなった。
まだ六月になったばかりなのにうんざりする。
熊本生まれのくせにぼくは暑いのが大の苦手だ。
四時間めは体育の授業だった。
こんな暑い日に……と文句をいってもはじまらない。
「今日はサッカーの試合をやりまーす」
白いジャージを着てはりきるさゆり先生の号令で、A組の生徒は白い体操着の白チームと、緑のビブスを着た緑チームに別れた。
白チームのキャプテンは太一、緑チームのキャプテンはオサムだ。
ぼくは緑チームに入った。
もちろん試合には出ない控え組だ。
こりゃのんきでいいやとベンチでいねむりしてたら試合の終盤とつぜんお呼びがかかった。
「三郎、太一をマークしろ!」
オサムに怒鳴られ、いわれたとおりマークしたが一度は太一のするどいフェイントにひっかかってころび、二度目は股のあいだをあざやかに抜かれた。
その二つのプレーの直後太一が二ゴールを決め、わが緑チームは二対三で逆転負けした。
「最高殊勲選手はハットトリックを決めた太一くんです、おめでとう!」
さゆり先生手作りのレイを首にかけられ、太一は誇らしげに頬を染めた。
「太一くんかっこいい!」
ベンチでランがはしゃいでる。
「三郎なにやってんだよぜんぜんだめじゃん!」
二得点しながらヒーローになりそこねたオサムは地団駄踏んでくやしがった。
「ぼくなんか使ったキャプテンの判断が悪い」
「お、おれが悪いの?」
「そうだよ反省しろ」
とむちゃくちゃなことをいってビブスを脱ぎ、さっさとその場を離れた。
水を飲みたくて校舎前の水飲み場へ行くと先客がいた。
水飲み場はコンクリートが打ちっぱなしで、四人が横にならんで使うタイプのものだ。
土台のひび割れは先日の本震でできた。
その水飲み場にナイキの黒いジャージを着た四人の六年生がいた。
四人ともわが本城小の野球部員だ。
彼らの目の前に水道がある。
蛇口は今は下を向いている。
その蛇口の先端に、それぞれ赤い風船がとりつけられていた。
風船の吸入口が蛇口に吸いついている。
空気が入ってない風船は枯れたヘチマのように、だらんとぶらさがっていた。
四つの風船といっしょに四つの白い札も蛇口にぶらさがっている。
札には左から順番にこう書かれていた。
① 巨人の星
② 赤き血のイレブン
③ チャンピオン太
④ あしたのジョー
「クイズをはじめます」
唐突に宣言したのは五年B組の担任田島広樹先生だ。
先生はいつものように白いTシャツに紺色のジャージパンツというもっさりとした装いで、口のまわりが伸びはじめたヒゲで青かった。
「四つの風船のうち、三つに五百円玉が入ってます」
先生がそういうと四人の野球部員はどよめいた。
とっさに風船を見たが生地が厚くて中身は見えない。
「これから問題を出します。正解の札を選んだ人には風船の中身の五百円玉をプレゼントします。四つの札のうち一つだけ不正解です。不正解を選んだ人はバチが当たります。では問題です。
父方の祖父が阿蘇郡高森町出身である漫画原作者梶原一騎の作品はどれ? 正解と思う札がぶらさがった蛇口の前に立ってください」
四人はそれぞれ正解と思う札がぶらさがる蛇口の前に立った。
ショートを守る「本城小のサカモト」こと安斎徹くんが選んだのは①の巨人の星。
センターを守る「ブサイクイチロー」こと高村博明くんは②の赤き血のイレブン。
「白いくまモン」ことキャッチャーの門倉剣くんは③のチャンピオン太。
そしていちばん右側の④あしたのジョーを選んだのは「本城小のダルビッシュ」こと前田達也くん。
前田くんはまだ小学生なのに一七八センチ七五キロと大人顔負けの体格の持ち主だ。
両端の安斎くんと前田くんは自信満々の表情で、中の二人は不安そうだ。
本当は高村くんも門倉くんも巨人の星やあしたのジョーを選びたかったようだが、安斎くんと前田くんににらまれ二人ともあきらめた。
「では蛇口をひねってください!」
田島先生の号令で安斎くんと高村くんが蛇口をひねった。
水圧で風船がフグのようにふくらみ蛇口からはずれる。
するとチャリンとすずしげな音がした。
「やった!」
「当たりだ!」
本城小のショートとセンターは歓声をあげて風船をひろった。
風船を破らなくても感触で中に五百円玉があるのがわかる。
するとまたチャリンと音がした。
「あれ?」
チャンピオン太を選んだキャッチャーの田村くんは、意外そうな顔で目の前の風船をひろいあげた。
こっちの中にも正解のあかしの五百円が入ってる。
「なんでおまえが正解なんだよ? ふざけんな」
不満げに唇とがらせ、本城小のダルビッシュはあしたのジョーの札がぶらさがる蛇口に手を伸ばした。
「なにがバチだ……」
「やめろ!」
ぼくが飛びつくより一瞬はやく、前田くんは蛇口をひねった。
蛇口から水は出なかった。
代わりに炎が噴き出した。
ぼくは前田くんにタックルし、そのままおおいかぶさった。
熱風に頭をたたかれ、白髪の先がチリリと焦げた。
「な、なんだよお」
べそかきながらエースは不満を述べた。
「あしたのジョー書いたの梶原一騎でまちがいねえだろ?」
今それ聞く? とあきれながらぼくは彼に告げた。
「梶原だけど梶原じゃない」
「なんだそれ?」
「あしたのジョーだけ梶原一騎ではなく高森朝雄名義で書いてる。ひっかけ問題だよ」
ぼくは前田くんから降りた。
蛇口の炎はまだごうごうと噴き出している。
「先生、水道の元栓はどこ?」
炎にあおられ、ようやく正気がさめたらしい田島先生が「たしか……校舎の裏」とつぶやいた。
ぼくは校舎の裏へ走った。
炎を止めるには水道を止めなければならない。
なぜならあの炎は水を燃料にしているから。
白い塀と校舎のあいだの地面に、四角い大きな鉄のフタがあった。
真ん中にある穴へ指を突っ込み、ヒーヒーいいながらフタを持ちあげた。
ゴトンと重い音立ててフタがひらくと、地下を走る太い水道管が見えた。
水道管に大きな円型のメーターがとりつけられ、そのわきに青いバルブがある。
(あれだ)
あのバルブを閉めれば学校中の水が止まる。
ひらいたフタの中に飛び降り、湿った地面を踏みながらバルブを時計回りにひねった。
バルブが止まって耳を澄ませた。
「炎が消えたわ!」
グラウンドでさゆり先生が叫ぶのが聞こえ、ホッとして地面に這いあがった。
「……風船の中身はギリシャ火薬だ」
手についた泥を払いながら、ぼくはそんな独り言をつぶやいた。
アイザック・アシモフの本で読んだことがある。
六七二年ごろビザンチン帝国(東ローマ帝国)がイスラム教徒からコンスタンチノーブルを守る海の戦いで使ったなぞの武器。
それがギリシャ火薬だ。
火薬は水で消えず、逆に燃焼力が高まり敵の木造艦隊を焼き尽くしたといわれる。
この武器がなかったら帝国は異教徒との戦いに敗れただろうとも。
その成分はいまだになぞだ。
この神秘の火薬が風船にしこまれ、水道の水に反応して燃えあがったのだ。
それにしても、
(今どきギリシャ火薬を使うなんて、今回の敵はどんなやつだ?)
ぼくは首をひねった。
水飲み場の騒動の影響で午後の授業が中止になり、生徒は集団下校することになった。
教師が総出で学校中の水道を点検したが異常はなかった。
帰る前事件の現場になった水飲み場へ行くと、そこで田島先生が二人の制服姿の警官に取り調べを受けていた。
「それが……なにも覚えてなくて……気がついたら水道から火が出てて……」
先生の発言は要領を得ない。
二人の警官はこれはだめだと顔を見合わせるとその場を離れた。
田島先生はくたびれたようにため息ついた。
「先生」
背負ったランドセルを軽く揺すって声をかけた。
「なんだい?」
「エマホー」
ぼくは先生に催眠術をかけ質問した。
「水道に風船と札をとりつけたのは先生ですね?」
「そうだ」
「だれに頼まれたんです?」
「白人の少年に頼まれた」
「白人の?」
田島先生の答えを聞いて、全身に鳥肌が立った。
「どんな見た目ですか?」
「金髪、青い瞳、年はきみと同じぐらい。モデルみたいな美少年だ」
「わかりました」
先生の鼻先でパチンと指を鳴らし、術を解除してその場を離れた。
校庭のすみっこで一人になると頭を抱えた。
「まずいぞ、今度の相手はバチカンだ」
宮下神父の死に不審を抱いたカトリックの総本山が動き出した。
ギリシャ火薬は異教徒からキリスト教国を守った栄光の武器だ。
彼らはそれを使うことでぼくに宣戦布告したのだ。
バチカンはかつて異教徒と対したときと同じように、今では在野のオカルティストを目の仇にしている。
(派遣されたのは武闘派のエクソシストだ。まいったな、世界でいちばん敵にまわしたくない相手を敵にまわした)
「今回はソルダード以上の強敵だ……」
ぼくは唇をかんだ。




