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少年呪術師  作者: 森新児
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第31話 いやあなただ、とイエスはいった

 聖体の祝日から五日後の五月三十一日、火曜日午後三時。

 学校から帰ったぼくは地下にある自分の部屋で、机に置いたノートパソコンの画面を見つめていた。

 パソコンのわきに畳んだ熊日新聞がある。

「聖人悲劇の死」という記事の見出しが見えた。

 ありし日の宮下神父の笑顔の写真と、千人を越える人が集まった神父の葬儀の写真が記事にそえられている。

 ぼくは机の正面に飾った二郎兄さん形見のスケッチをしばらく見つめ、気持ちを静めてからパソコンの画面に視線をもどした。


 画面にバングラデシュの首都ダッカの郊外にあるサッカー場が写っている。

 バングラデシュは日本との時差が三時間あるから、向こうはちょうど正午だ。

 今あちらは雨季だがサッカー場には厳しい日差しが降り注いでいる。

 六万人収容のスタンドは満席で、グラウンドでは白いシャツに白いパンツ、また赤いスカートを身につけたおおぜいの若い男女が組体操やバトントワリングといったマスゲームを披露していた。

 ダッカにある学生支援団体ライジングサンの創立十周年を祝う記念式典が、ネットで全世界にライヴ中継されているのだ。

 ライジングサンはバングラデシュの若者を日本へ送る活動を行う団体だ。

 派遣された若者は日本で働きながら学生になる約束だった。

 しかし着いてみるとそこは辺鄙な山奥の工場で、若者はそこで長時間働かされる羽目になる。

 学校にかようひまなどなく、賃金もゾッとするほど安い。

 学生支援とは名ばかりで、本当は奴隷を送る団体なのだ。

 借金に苦しむ家族にあらかじめ援助金が払われていて、その金を返す義務があるから若者は逃げることができない。


(青木高彦が借金を肩代わりして、自分の身代わりの男を確保したのと同じやり方だな)


 そんなことを考えていたら男女混成のフォークダンスが終わり、主賓があいさつする時間になった。

 正面スタンドの中段が空白地帯になっていて、真ん中にスタンドマイクが一本ぽつんとある。

 パソコンの画面ではわかりにくいがマイクの左右に、譜面台のようにさりげなく透明な防護盾が配置されている。

 さらにその背後に、黒いスーツにサングラス姿のごついボディガードが横一列にズラリとならんでる。


「前後左右の守りは完璧」


 上以外は……とつぶやいていたら、画面の右側にだれかあらわれた。

 あらわれたのは大柄で白髪の老人だ。

 白いシャツに茶色いパンツという格好でひっそり立っている。

 指先までこんがりと日焼けし、頬には深いシワが刻まれている。

 ちょっとクリント・イーストウッドに似てないこともないが、その顔には柔和な笑みが浮かんでいた。

 老いた村中直巳の姿がそこにあった。


 美津子さんに調べてもらったら村中の居場所はすぐわかった。

 ふたたびダッカにあらわれたのは意外だがとくに変装しているようすはない。

 警察と裏で通じているから逮捕される心配はないし、勝手を知る場所でもあるからここを終の棲家に選んだのだろう。

 老人のまわりで消えた人間が何人もいる。

 彼の過去を暴こうとして消されたのだ。

 老人は通路の真ん中に置かれたマイクに向かって歩き出した。

 左足を引きずりながら。

 ライジングサンの会長、藤枝武蔵こと村中直巳が歩き出すと六万人の観衆はいっせいに立ちあがり、盛大な拍手を送った。

 グラウンドの若者も笑顔で手をたたいてる。


(なるほどね。村中にとって左足のケガはハンディキャップではなくセールスポイントなんだ)


 画面を見ながら左目の義眼をそっと撫でた。

 ぼくも軽度の障害者だ。

 それを売りものにしたことはないが。

 人々の拍手を浴び、満足そうな笑みを浮かべる村中を見ていたら、彼に対する怒りがはじめて猛然とわいてきた。

 ぼくは画面を見ながら呪文を唱えた。


「この盃を

 受けてくれ

 どうぞなみなみ注がしておくれ

 花に嵐のたとえもあるぞ

 さよならだけが

 人生だ……」


 村中がようやくスタンドマイクにたどりついた。

 マイク片手にそばに立つ中年男性は通訳だろう。

 その通訳がさしだすコップの水を飲み干し、老人はあいさつをはじめた。


「おるがダッカさんきたつは十年前ばってん、今日んごて暑か日でした」


 熊本弁のニュアンスを通訳が巧みにベンガル語に翻訳し、観衆がドッと笑った。

 受けたのがうれしいのか老人の目がさっきより細くなった。


「こげん暑かところで仕事でくっとだろか? と思いましたばってん、十年間なんとかやってこれました。感無量ですばい。もっとまじめな話ばせにゃならんとばってん、今日はめでたい祭りの日。

 おるが子どものころよく聞いたおてもやんって歌ば歌いたかけど、よかですか?」


 老人のあつかましい願いを聞いて、六万人の観衆はまたしても盛大に拍手した。

 村中は満足げにうなずくと、民謡おてもやんを歌った。


「おてもや~あ~あ~ん

 あんたこのごろ嫁入りしたではないかいな

 嫁入りしたこつぁしたばって……」


 ふいに老人の歌声が途切れた。

 大観衆がいるはずのサッカー場は、夜の墓場のようにシンと静まり返った。

 村中はさっきと同じように立っていた。

 でも頭の形が変わっている。

 下顎しか残ってない。

 頭が爆発したのだ。


「キャアアア」


 グラウンドで若い女性が金切り声の悲鳴をあげた。

 それを合図に、サッカー場は阿鼻叫喚の渦に飲み込まれた。





 地球には毎日およそ一トンの流星がふりそそぐ。

 ほとんどは大気圏で燃え尽き、地上に達する隕石は年間五百個ほどといわれる。

 たいていの隕石は人目につかない海や山に落ちるから、その数は本当はもっと多いのかもしれない。

 

 日本には狐憑きという言葉がある。

 人間に動物の霊が憑依する現象だ。

 それと逆の現象もある。

 ぼくは今日憑いた。

 ()()()()となって石に憑いたのだ。


 呪文を唱えると、先日山彦の術でコピーした宮下神父の能力スモール・インパクトが発動した。

 気がつくと体が風に吹かれていた。

 子どもの手から離れた風船のように、ぼくは空の上にいた。

 足もとのはるか下に、茶色い土が剥き出しの道路が見える。

 ぼくがいるのはダッカの上空だ。

 巨大なダイヤモンドのように輝くサッカー場が見えた。

 そのすぐ南を流れる大河はガンジス川だ。

 どれどれ、と手をかざしていると、とつぜんなにかが勢いよくぼくのお腹を突き破った。


「カーッ」


 お腹を突き抜けたのは一羽のカラスだ。

 カラスはもう一度威嚇するようにするどく鳴くと、どこかへ飛んで行った。

 今のぼくは肉体を脱した幽体だ。

 幽体は人の目に見えず触れることもできない。

 触れられるのは風だけだ。

 獣も触れられないがこっちを見ることはできる。

 今のはカラスのいたずらだ。

 こっちにもカーキチみたいなやつがいるんだな、とぼやきながらあらためて地上を見た。

 スタンドにいる村中の姿がはっきり見えた。

 頭上に向かってこいこいと手を振ると、雲間でなにかがきらりと光り、すぐ大人のこぶしサイズの隕石が降ってきた。


(このままだとガンジス川に突っ込む)


 ぼくは隕石に憑依し、コースを変えた。

 隕石は白いけむりをまとっていた。

 大気圏を突破した隕石は表面の温度が数千度もある。

 でも中は洞穴のようにすずしい。

 虚空を抜け、大観衆が密集するスタンドに飛び込んだ。

 石がぶつかる直前、村中はぼくの存在に気づいた。

 老いてなお目端が利く元スナイパーにぼくは告げた。


「宮下神父の伝言だよ。

『そのときユダがいった。

 先生、裏切り者はわたしではないでしょう?

 イエスはいった。

 いや、あなただ』

 アーメン」


 老人の細い目がカッとひらいた。

 ぼくは隕石から離脱した。

 離脱してすぐ、肉が弾けるにぶい音がした。


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