第25話 美男子と神父
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その日私は一人で空港近くの町を歩いていた。
このあたりは地震の被害がとくに大きい。
完全につぶれて瓦礫の山と化した家が目立つ。
と、そのとき聞こえた。
なにかが倒れるにぶい物音が。
私は要注意の黄色い紙が壁に張られた二階建ての家を見あげた。
屋根をおおったブルーシートが日差しを浴びてキラキラ輝いている。
「……」
私はネコのように足音を忍ばせ、その家に向かった。
土足であがると一階奥の居間に女子大生らしい若い女がいた。
うしろへまわした両手を縄で縛られ、畳に横になっている。
口は青いハンカチでおおわれていた。
女がはいているジャージのパンツはひざまでずり落ち、あらわになった白い下着とふとももが暗がりに生々しい光を放っている。
女のそばに男がいた。
こちらに背を向けている。
安物の黒い化繊のジャンパーを着た中年男だ。
中肉中背で髪は短い。
首が赤く日焼けしている。
(空き巣に入ったら避難所から荷物をとりにもどったこの家の娘とはち合わせした。女を縛り、ひきあげる前女を強姦しようとしているところに私がきた、という感じだな)
畳の上にボストンバッグが置かれている。
あの中に金目のものが入っているのだろう。
「……なんだてめえ!」
一声吠えて立ちあがった男ははやくも右手に刃物をにぎっていた。
はじめてその顔を見たが苦労と怒りが染み込んだ、なかなかタフそうな顔だ。
今どきこんな味のある顔も珍しいと感心していると、男が襲いかかってきた。
「サンチャゴ」
「お、おい?!」
男はタフな顔つきに似合わない悲鳴をあげた。
男の右手がとつぜん肩から消えたのだ。
次に左手が、次いで両足と胴体が消え、最後に男の頭だけ畳に残った。
「いいのこすことはあるか?」
そう問いかけると、涙とよだれを流して男は叫んだ。
「あ、あります!」
「言え」
「お、おれ、あなたさまの信者になります!」
「……」
次の瞬間男は消えた。
私は女の縄をほどいてやり、口からハンカチをはずした。
自由になった女はすぐ私にしがみついた。
「ありがとう」
顔をあげた女の目もとがボーッと赤らんでいる。
「お嬢さん、私の目を見てください」
「はい」
いわれた通り私の目を見つめ、しばらくすると女はパタッと畳に横たわった。
私はずり落ちていた彼女のジャージを腰までひっぱりあげ、家を出た。
「あ、あの」
家を出て、倒壊した家並みを眺めていたら声をかけられた。
「これはいったい、どういうことでしょう?」
姿は見えない。
しかしそれはさっき私に刃物を持って襲いかかった、あの男の声にまぎれもなかった。
「心配するな。さっき娘の記憶を消した。あの子は私とおまえのことはなにも覚えていない」
「い、いえ、そうではなく、わたしはいったい、どうなったのでしょう?」
「おまえの肉体と精神を分離した」
「は?」
「肉体を宇宙の空洞へ飛ばし、精神だけ地球に残した」
「へ?」
「おまえさっき私の信者になるといったな? あれはどういう意味だ?」
「あれは、あなたさまを見たら後光がさしていて、そのお姿があまりに尊かったのでとっさに信者になりますと……」
「おかしなことをいうやつだ。よかろう、弟子にしてやる」
「ありがとうございます!」
「これからいつも私のそばにいろ。いい働きをしたら褒美に新しい肉体をくれてやる。前のようにくたびれた中年ではなく、若い男のたくましい体を……」
「あ、あの」
「なんだ?」
「新しい体をいただけるなら、こんどは男ではなく女の体をいただきたいです。若くて、美人で、髪が長くて、胸と尻の大きい女の体を」
「フフ、いいだろう。おまえ名前は?」
「湯田です。湯田信」
「おお、気に入った。おまえに新たに洗礼名を授ける必要はないな。
ユダ、ついてこい」
「へい!」
こうして私は新しい神兵を得た。
●
五月二十五日水曜日の夕方。
わたしは三郎の家を出て一人で電車通りにたたずんでいた。
さっきまた余震があった。本震があった四月十六日から今日で一か月あまりになるが、そのあいだの余震は軽く百回を越える。
今日の震度は体感で三。
もう三ぐらいでは驚かないが、やはり落ちつかない。
三郎もAもまだ学校から帰ってこない。
わたしは家の近くをぶらぶらしながら二人が帰ってくるのを待った。
生あたたかい空気の底に、かすかに甘い匂いがまじってる。
夏の匂いだ。
するとYMCAの方向から奇妙な音響が聞こえてきた。
聞こえたのは馬のひずめの効果音と、ノスタルジックな音楽だ。
「あれは?」
目を細め耳を澄ませた。
水兵の制服であるパンツスタイルの白いセーラー服を着た長身の若者が、リヤカーを引いている。
それからもう一人見えた。
黒いキャソックを着た中年の神父が荷台を押している。
キャソックはカトリックの神父が着るたて襟の祭服で、コートのように丈が長い。
わたしは変電所前の空き地で二人を待った。
ぜったい無視して通りすぎると思ったのに、メガネをかけた神父がやさしい笑みをうかべて声をかけてきた。
「こんにちはお嬢さん」
「こ、こんにちは神父さま」
わたしは両手を組み、片ひざついてあいさつした。
頭がボーッとして、とっさに顔のアザをかくすのを忘れてしまった。
頭がボーッとなったのはリヤカーを引くセーラー服の若者が、見ているだけでひざの力が抜けてしまいそうな美貌の持ち主だったからだ。
「あなたはどちらのお嬢さん?」
と神父がわたしに尋ねた。
となりでセーラー服の美青年がにこにこ笑ってる。
「は、早川三郎くんの家にお世話になってます」
一生懸命かわいい声を作ったのにやっぱりどもった、クソ。
「おお、三郎くんの。サンジ」
神父にサンジと呼ばれた美青年は、紅白の屋根におおわれた荷台からなにかとり出した。
「ロバ、ロバのパン、です」
たどたどしい口調でそういうと、サンジは白い紙につつんだパンをさし出した。
「ありがとう!」
ロバのパンなんてはじめて食べる! と感激して受けとると神父さまがいった。
「わたしは宮下といいます。あなたは?」
「ゆ、ユイです」
「ユイさん、クイズにつきあってくれますか?」
そういうとこちらの返事を待たず、神父さまは語り出した。
「旅人が砂漠を旅しています。彼は道に迷い砂漠をさまよいます。ようやく見つけたオアシスで一服しているとラクダに乗った遊牧民がやってきます。遊牧民は親切に行き先への道筋を教えてくれます。さらに彼は近くの砂丘を指さし、あの丘を越えると最近できた舗装された道に出て町にもどれる、といいます。ここで問題です。あなたが旅人だったらどうしますか?
いちばん。旅を続ける。
にばん。舗装路をたどって町に帰る。
さんばん。オアシスにとどまる」
「……オアシスに残ります」
「ユイさん、あなたは賢い」
神父さまはわたしにもう一個パンをくださった。
「ありがとうございます。あの、正解は?」
「正解はありません。このクイズでわかるのはあなたの性格です」
「せ、性格?」
「はい。オアシスに残る者は慎重で賢い。勇気もある。町に帰る者は賢いが臆病だ。いちばん愚かなのはむやみに旅立とうとする者です。旅は人を賢くしませんから」
「か、賢くならないのですか?」
「はいなりません。若いころのわたしがそうでした」




