第24話 二つの愛の物語
「ここへくる前あなたの家族について調べた。沙弥さん子どものころ犬を飼ってたでしょう?
ルネって名前の」
驚きのあまりルネ、いや沙弥は一瞬絶句した。
「……ええ、ヨークシャーテリアのメスを飼ってた。ルネはお母さんが独身のころからいっしょにいた子で、わたしがまだちいさいころ亡くなった。でもどうして犬のことがわかったの?」
「その服」
ぼくはジャンパーの胸にあるD.Pのロゴを指さした。
「ドッグ・ペア。犬とのペアルックが有名なブランド。そのジャンパーは飼い主が犬と散歩するとき着る服だね。ルネちゃんも赤い服着てたでしょう?」
「ええ」
沙弥は唇をふるわせた。
「散歩に行くときいつもお母さんに赤い服を着せられてた。今思い出したわ」
「ジャンパーのロゴを見てわかったんだ。ルネってむかし飼ってた犬の名前だなって。そのジャンパー両肩に二本ラインが入ってる。九十年代に流行ったヒップホップ風のデザインだ。その服もとはお母さんのでしょう?」
「そうよ。翌日じゃんけんをやると決まった夜わたしにくれたの。でもどうして両親はわたしをルネって呼んだの? ババアたちが家にきた日、急にお父さんがわたしをルネって呼んで、お母さんもそうして、わけもわからずそのまま呼ばせたけど……」
「あなたを守るためだよ」
「わたしを守る?」
「そう。いかがわしい宗教団体は信者から本当の名前を奪ってへんな宗教名を名乗らせる。ホーリーネームとかいって。名前には呪力があるからそうやって洗脳するんだ。
お父さんがやったのはそれとは逆。お父さんは大塚富士子が言葉と暴力で他人のこころを支配することを一瞬で見抜いた。だからルネという名前をあなたに与えた。別人格の名前を盾にして、本来のあなたの人格とこころを守ろうとしたんだ」
「名前を盾に……」
「そう。それから沙弥さん、ちいさいころ右手をケガしたでしょう?」
「ええ。乱暴なおばさんの自転車に跳ねられ、しばらく右手が不自由だった」
「やっぱり。さっきはじめて会ったとき左手は外に出してるのに右手はジャンパーのポケットに入れっぱなしだったからなんかあったなって思ったんだ」
「右手が不自由だったころむすんでひらいてがうまくできなかったの。それがばれるのが恥ずかしくて右手をかくすのがくせになったの。とくにむすんでがうまくできなかった」
「リハビリで両親相手にじゃんけんしなかった?」
「……したわ」
「いつもグーで勝ったでしょう?」
「ええ」
「お母さんとのじゃんけんもグーで勝ったでしょう?」
「ええ」
「お父さんとも?」
「グーよ……じゃあ、じゃああれは、あのチョキは、お父さんもお母さんもわざと?」
「そうだよ。二人ともあなたがグーを出すのがわかってたから」
「どうして?」
「ちいさいころリハビリのじゃんけんするときお母さん、いつもそのジャンパー着てたでしょう?」
「……」
「むすんでがうまくできない沙弥さんががんばってグーを出すと、お母さんわざとチョキを出してあなたを喜ばせたでしょう? お父さんもそうしたはず。
だから二人はわかってたんだ。沙弥さんが赤いジャンパー着てじゃんけんしたら、グーを出すことが」
「どうして父や母はそのことをいってくれなかったの?」
「八百長がないようにババアがあなたたちを厳しく見張っていたから。でも両親のメッセージはかならずどっかにある……その靴はお父さんが作ったの?」
「ええ」
「ちょっとごめんなさい」
ぼくは沙弥がはいていた茶色い革靴を脱がせた。
左右どちらもうすい中敷きが敷かれてる。
中敷きを剥がすと左右の靴からそれぞれ白い紙が出てきた。
「……ご両親から」
靴から出てきた紙を沙弥に見せた。
「沙弥 愛してる
直也」
「沙弥 大好きよ
道子」
「……お父さん、お母さん」
革靴とメモを胸に抱いて沙弥はふるえた。
「わたしがお父さんとお母さんを殺した。こんなに愛してくれたのに」
「ちがう。大塚富士子の一味が殺したんだ」
「もうすぐ天国でお父さんとお母さんに会えるわ」
「あなたたち元木家が大塚家に勝ったんだ。復讐を果たした沙弥さんをご両親はきっと誇りにしてる」
「……ありがとう三郎くん、カラミルさん」
ようやく落ち着くと沙弥はいった。
「三郎くんお願い、サルバドールを倒して。わたしのような人間をもう作らないで」
「かならず倒します」
「ありがとう。お父さん、お母さん……」
「わんちゃんにも会えるわよ」
「ああルネにも会えるんだ。うれしいな」
沙弥の顔に染み入るような微笑が浮かんだ。
「ありがとうみんな。ありがと……」
言葉の途中で沙弥は灰になった。
「おお」
カラミルはあとに残った赤いジャンパーを抱きしめた。
さらさらと床に落ちた白い灰はすぐ雪のように溶け、あとかたもなく消えてしまった。
羽生家を出ると夜は明けていた。
時間は朝の六時。
家に帰る前中央郵便局の駐輪所に自転車を停め、すぐそばにある船場橋にカラミルを誘った。
短い橋の欄干に設置されたエビやタヌキのオブジェを、カラミルはふしぎそうに眺めた。
「なぜエビとタヌキなの?」
「船場山にタヌキがいたって有名な童謡があるんだ。エビはわからない」
「童謡のタヌキはどうなるの?」
「猟師に鉄砲で撃たれて煮て焼いて食われる」
「オウ。マザーグースより残酷ね」
「ここ」
ぼくは橋の真ん中の出っぱりに立った。
「ここから城が見える」
カラミルもぼくの横に並んだ。
川の流れのかなたに、朝陽を浴びる熊本城があった。
地震ですべての瓦が落ちた屋根があざやかなオレンジに染まっている。
「ちょっと前まであの屋根にしゃちほこが乗ってた」
「しゃちほこ?」
「ドラゴンみたいな怪物。日本のガーゴイル」
「オウ……羽生家の人たちは大丈夫かしら」
「榊家がサポートに入ったから大丈夫さ」
「日本のメン・イン・ブラックはことが終わってからあらわれるのね。
わたしが生まれた城を思い出すわ」
カラミルは白いのどをさらして気持ちよさそうに川風を浴びた。
「火事で燃えて今はもうないけど。バチカンのエクソシストに焼かれたの。ねえダーリン、あなたどうしてわたしが吸血鬼と知っていたの?」
「これ」
ぼくは自分の左目を指さした。
「ぼくの義眼を作ったクラウス・ミューラーって人がメールで知らせてくれた。『気をつけて彼女は吸血鬼です』って。クラウスさん熊大に留学してるときうちに下宿してたんだ。今はベルリンにいる」
「その人知ってるわ。ジュード・ロウみたいなハンサムよね?」
「そう、その人。今日はありがとう。約束通りきみの熊本での生存と活動の自由を保証する。榊家にも文句はいわせないよ」
「わたしなにもしてないけど、でもうれしい。ありがとうダーリン」
「あの、質問があるんだ」
「どうぞ」
カラミルは欄干に肘をついてぼくを見た。
「なにかしら?」
「きみはどうしてぼくの味方になってくるの?」
「……むかしミュンヘンで大工をやってたフィッシャー夫妻の養子になったことがあるの」
カラミルは城を見つめながら話した。
「一八四一年わたしは何度目かのライフリセットを終えたばかりの十一歳の女の子だった。一家にはカールって長男がいた。わたしより四つ上の十五歳。わたしと同じ養子の子。フィッシャー夫妻が病気であいついで亡くなって、わたしたち結婚したの。カールが二十歳でわたしは十六歳だった」
「兄妹で結婚したの?」
「そうよ。愛しあっていたから。
カールは三十八歳で死んだ。結核だった。わたしが泣いたのはあのときだけ。自分の不死をこころから呪ったわ」
そこでカラミルはぼくを見た。
「三郎、あなたカールに似てるの。はじめて会った十五歳のカールに。彼モンゴル系だったから」
「カールさんの髪も白髪?」
「ううん、灰色」
そのときなにかの影がカラミルの金髪を撫でた。
すぐ鳴き声が聞こえた。
「カーッ」
橋の真ん中に立つ、おてもやんのレリーフがある石柱のてっぺんに一羽のカラスが止まっていた。
くちばしに白い筋になった傷がある。
「カーキチだ」
「お友だち?」
「うん。友だちの友だち」
「おはよう、カーキチさん」
カラミルが手を振るとカーキチはネコのように愛想よくゴロゴロのどを鳴らした。
でもぼくが手を振るとおまえなんか知るかといわんばかりにそっぽを向いた。
「ちぇーっ男には愛想悪いなあ、あいつ」
「ダーリン」
カラミルは欄干から起きあがるとぼくを抱きしめた。
「サルバドールと戦うの?」
「戦う」
「強敵よ」
「わかってる。でもサルバドールを倒すと沙弥と約束した。死者との約束は神聖だからやるよ」
「あなたやっぱりカールに似てる」
カラミルはうれしそうに笑った。
「わたしも戦うわ」
「危険だよ」
「いいのよダーリン、ねえお願い。不死のわたしに死を与えて。それがあなたのパートナーになる条件。いい?」
「……わかった」
「さっきのように乱暴な言葉で命令して」
「カラミル、ぼくのために戦え。そして死ね」
「仰せのままに。ご主人さま」
カラミルはぼくの手にキスした。
そのときカーキチがバサッとはねを広げ、ひときわするどく「カーッ」と鳴いた。
「カラスが証人ね」
カラミルはまたうれしそうに笑った。
こうして呪術師早川三郎と、平井カラミルこと吸血鬼カーミラの主従の契約は成された。




