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少年呪術師  作者: 森新児
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第19話 青い目の美少女

 夕方雨はあがった。

 ぼくは夜十一時すぎマウンテンバイクに乗って水道町にある大甲橋(たいこうばし)に向かった。

 雨あがりの町は生あたたかい空気に包まれ、自転車で白川のほとりについたとき軽く汗をかいていた。


「うわあ……」


 自転車を降りてすぐ声がもれた。

 感嘆の声が。

 ぼくはこれから会う相手に指定された、待ち合わせの目印である建物を見あげた。

 目の前に千場(せんば)歯科があった。

 千場歯科は本来二階建てのビルだ。

 しかし先日の地震で一階駐車場の支柱が折れ、建物全体が山手線で居眠りする乗客のようにとなりのビルに寄りかかっていた。

 大きくかたむいた千場歯科は、石垣に穴があいた熊本城の飯田丸とならぶ熊本地震の象徴といえる建物だった。


「すげえ」


「ええ、すごいわ」


 ふいにうしろから大人っぽい声が聞こえた。

 振り向くとそこに金髪の白人少女が立っていた。

 子役時代のジョディ・フォスターを思わせる凄絶な美少女は千場歯科を見あげて軽く首を振り、ぼくに目を向けた。

 すずしげな青い瞳で見つめられ、雨あがりのうっとうしい空気をたちまち忘れた。


「こんばんは」


 きれいなアクセントの日本語であいさつすると平井カラミルはにっこり笑った。

 カラミルは熊本大学附属小学校の六年生、ぼくの一つ年上だ。

 身長が一六〇センチあって(ぼくは一四〇センチだから彼女のほうが二〇センチも大きい)胸は大きく、腰はくびれて手足がすんなり長い。

 モデルなみに抜群のスタイルでさらに甘さをおさえた香水をまとっているから、かもし出すオーラは大人の女性と変わらない。


「今日はカジュアルだね」


 オーストリア第二の都市グラッツの古城に生まれたカラミルは貴族の末裔だが、今夜の彼女は肩口や胸に真っ赤な花が描かれたノースリーブシャツを着てあらわれた。

 さらにシャツのすそをしばっておへそを出し、極端に短い赤いホットパンツをはいて真っ白な足を生あたたかい闇にさらしている。

 はいているのは赤いハイヒールサンダルだ。

 貴族の末裔というよりガラの悪いヤンキーだ。


「不良っぽい服装できてってあなたのリクエストに答えたつもりだけど、へん?」


「いや完璧。お母さんがコーディネートしてくれたの?」


「そうよ。これから仮装パーティーに行く、不良娘のコスプレするから手伝ってといったら大喜びでこの服出してくれたの。これお母さまがむかし着ていた服。わたしが夜中出かけることはもちろんお父さまには内緒よ。お母さまがいろいろ協力してくれて助かるわ」


「こんな非常時に不謹慎だって叱られなかった?」


「お母さま不謹慎なこと大好きだもの」


 カラミルの母親はSMをモチーフにした一連の絵で知られる日本画家だ。

 全裸で荒縄に縛りあげられる妖艶な美女は画家自身がモデルと聞いたことがある。

 やっぱり絵描きって変わってるなと思いながら右手をさしだした。

 握手のつもりだったが、カラミルはその手をとるとグイと引き寄せた。

 カラミルはぼくの頬にキスした。

 彼女のショートヘアが鼻に触れてくすぐったい。

 お気に入りのぬいぐるみのように、カラミルはギュッと力強くぼくを抱きしめた。

 小学生とは思えない柔らかな乳房の感触と濃密な香水の香りに一瞬酔った。


「えと、あの……」

 

 ぼくは乳房の谷間から、潜水士のように懸命に顔をあげた。


「カラミルさん」


「なに」


「もう離してくれてもよくない?」


「もっと抱っこさせてくれないと仕事しません」


「あ、はい」


 カラミルはぼくを抱きしめ、白髪頭になんどもチュッと音立ててキスした。


「おじいちゃんみたいでかっこ悪いだろ?」


「この髪がいいんじゃない」


「そうですか」


「そうよ。すごいわね」


 カラミルはふたたび千場歯科を見あげた。


「去年のパリも恐ろしかったけど、ここまで傷ついた建物はなかったわ」


 去年の十一月十三日夜九時半ごろのことだ。

 パリ十区のレストランでフンボルト大学の職員フランツ・クラマー氏と彼の妻ユリア、そして夫妻の養子カラミルは食事を楽しんでいた。

 すると突然ガラスが割れる音が店内に響きわたり、ワインをたしなんでいたフランツとユリアが無言でテーブルに突っ伏した。

 どうしたの? とカラミルが声をかけたとき、白いテーブルクロスにサーッと赤いしみが広がった。

 それはISILによるパリ同時多発テロが起きた瞬間だった。

 カラミルは奇跡的に無傷ですんだが、彼女の養父母は胸に銃弾を浴びその場で亡くなった。



 親類縁者が一人もおらず、カラミルは行く当てを失った。

 養父母に出会うまで住んでいたグラッツの孤児院にもどろうとカラミルはいったん決意するが、意外な方向から救いの手がさしのべられた。

 養父母の葬式ではじめて会った養父の旧友平井定市(ていいち)熊本大学教授がカラミルをひきとりたいと申し出たのだ。

 今年七十歳になる教授と四十八歳の妻のあいだに子どもはいなかった。

 カラミルは平井夫妻の養子になった。

 養子になって彼女の名前はカラミル・マークシュタインから平井カラミルに変わった。

 日本にきてまだ半年たってないのにカラミルの日本語は完璧だ。

 字なんて漢字もひらがなもぼくよりきれいに書く。

 幼いころから世界中を旅してまわった彼女は独英仏伊西日中国語をマスターした語学の達人だ。

 ただしアラビア語やペルシャ語は覚えようとしない。

 彼女なら簡単に覚えられるはずなのに。


「すべてのムスリムはわたしの敵よ」


 ぼくを抱きしめ、カラミルはきっぱり断言した。

 イスラム教原理主義者に養父母を殺されたことで、カラミルはテロリストだけでなく、すべてのイスラム教徒を憎むようになっていた。


「わたし傷ついた人や建物を見るのが好き」


「どうして?」


「見てると胸が痛むから。痛みはパワーをくれる。パワーが欲しくてここを待ち合わせ場所に選んだの。今夜わたしのパワーが必要なんでしょ?」


「うん……きみの苦しみを利用するようで悪いけど」


「あら利用されるのって好きよ。好きな人にモノあつかいされるのって自分が奴隷になったようでうっとりする」


「モノあつかいも奴隷あつかいもしないよ」


「してほしいの。ところでダーリン、わたしは相手の『許可』がないと相手がいる部屋に入れないけど、それは大丈夫?」


「大丈夫。きみがしてくれた不良娘のコスプレがドアをあける鍵になる。行こう」


 カラミルはようやくぼくを解放すると近くに停めてあったママチャリにまたがった。

 やっぱり貴族の血はすごい。

 頭の悪いヤンキー娘みたいな格好をして自転車にまたがっただけなのに、カラミルの姿は駿馬に騎乗したレディのようにエレガントだった。





 上林(かんばやし)(あかつき)という私小説作家がいる。

 精神を病んで入院した妻の最期を看取った体験を綴った『聖ヨハネ病院にて』は彼の代表作で名作だ。

 悲しい話だけど。

 暁は熊本五高在学中上林町に下宿し、のちにその町名をとって自分のペンネームにした。

 羽生豊の家はその上林町にあった。

 上林公園というちいさい公園のとなりにある。

 通りに面した白い外壁の二階建てで、すぐそばに信愛女学院の校舎が見えた。

 腕時計を見るとちょうど午前零時。

 玄関前に停まった白い車のフロントガラスに、街路樹の枯れ葉がたまってる。

 羽生家の人々が監禁されてすでに長い時間がたっているのはまちがいない。


(みんな無事でいて)


 そう祈りながら玄関のチャイムを押した。


「やっときたね、早川三郎」


 こちらが声をかける前に、インターフォンから女のガラガラ声が聞こえた。

 乗っ取り一味のリーダー大塚富士子の声だ。


「豊の靴ひものメッセージに気づいたかい?」


「気づいたよ」


「頭のいい子だね。それに白髪頭はジジイっぽいけど女の子みたいにかわいい顔してるじゃないか。うれしいねえ。かわいい男の子見ると縁日で嗅いだワタアメの甘い匂いを思い出すよ。いい気分だ。あんたほんとにブラック・ダリアの使い手山田に勝ったのかい?」


「勝ったよ」


 ドアの左ななめ上に監視カメラがある。

 そのカメラに向かっていった。


「とりひきにきた。中へ入れて」


「入んな……そっちの娘はなんだい?」


 寄生虫ババアの声がにわかにするどくなった。


「ぼくのボディガード」


「冗談じゃないよ。とりひきの相手は早川三郎あんただけだ。その子は帰しな。白人の子だね。まー人形みたいにおきれいな顔しちゃって、腹立つねぇ!」


「この子がだめなら帰る」


 ぼくはさっさときびすを返した。


「待ちな。早川三郎、帰る前に聞いていきな」


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