第15話 天使がはしごをかける町
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深夜二時をすぎたころだった。
わたしはAとならんで三郎の家の前に立っていた。
いつもは静かな電車通りを、救急車や消防車がけたたましくサイレンを鳴らし走り抜けた。
男性の怒号や女の人の悲鳴、それに子どもの泣き声も聞こえた。
人々の悲鳴にあおられ、夜空の星がいつもよりあわただしく瞬いた。
「ま、町が殺気だってる」
わたしはAにしがみついた。
「昨日の地震より大きかったからみんな驚いたのよ」
Aが髪を撫でてくれたとき、リンリン、とすずしげな鈴の音がした。
「A」
三郎は乗ってきたマウンテンバイクを降りるとうちのようすを尋ねた。
「大丈夫よ、なにもこわれてない。地下も見たけど棚から本一冊落ちてないわ。震度七にしては上出来よ。美津子さんは?」
「本城小で避難者のお世話をしてる。ぼくも今から手伝いに行く」
三郎が家に自転車を入れるとAがいった。
「わたしも手伝うわ」
「助かるよ。A、きみは消防団の人といっしょに倒壊した家に取り残された人の救出を頼む」
「まかせて」
「わ、わたしも」
「ユイ、きみは家の留守番を頼む」
三郎とAは足早に歩き去った。
「余震があったらすぐ学校へきて!」
遠くからそう叫ぶ三郎にわかりましたと手を振り返していたら、やわらかい風が頭を撫でた。
「カーッ」
見あげると、くちばしに白い傷があるカラスが街路樹に止まっていた。
「か、カーキチ、きてくれたの」
ありがとうわたしは大丈夫と手を振ると、西の夜空に月が見えた。
上弦の月だ。
(おかしいな)
かなたの半月を見ながら首をかしげた。
さっき眠れないから家の外を少し歩いた。
(あのとき頭の真上にうかんでいたのは満月だったけど)
わたしの不安な気持ちが伝わったのか、カーキチはなにかを威嚇するようにカーッとするどく鳴いた。
本震からおよそ一か月後の五月十一日、本城小の授業がようやく再開した。
昨日まで降っていた雨はあがったが空はどんより曇ってる。
わたしは最前列の、三郎のとなりの席についた。
席は以前と同じだが、いつも机に置かれてる花瓶は今日は置かれてない。
わたしは振り返って教室のうしろを見た。
いちばんうしろにAが立っている。
ふだん彼女は廊下で待機してるが今は余震が続く非常時だ。
Aは生徒のサポート役として特別に教室に入ることをゆるされた。
ゆるされた、というより学校側がAに「教室にいてください」とお願いしたのだ。
本震直後の被災者救出活動でAは大活躍した。
それまでAを「大きな動くおもちゃ」ぐらいに見ていた大人たちの態度がガラッと変わり、それが彼女の待遇改善につながった。
そんなAの背後の棚にギターケースが立てかけられている。
ギターはさゆり先生に頼まれ三郎が家から持ってきたものだ。
学校の再開を祝うため、また体育館の避難者をなぐさめるため、あとで三郎がちょっとしたライヴをやるらしい。
わたしの視線に気づくとAは手を振った。
Aさんの指って細長くてきれい、と思いながらわたしも手を振り返した。
教室はにぎやかだった。
ひさしぶりに顔をあわせたクラスメートがうれしそうにおしゃべりしてる。
しかし
「うちまだ水出ないよ」
「わたしのうちも」
「おれんち要注意の黄色い札張られた」
「マジ?」
顔は笑ってるが話の内容はどれもシビアだ。
「はいみんな席について」
教室にあらわれたさゆり先生は白いジャージの上下を着てリーボックをはいていた。
いつもおしゃれな先生らしくないラフな服装は、いつ起きるかわからない余震に対する備えだ。
生徒も今日はみんな上履きではなく靴をはいている。
服装は変わった。
でも先生ののどもとのチョーカーネックレスと十字架は変わらない。
「これから校内放送で校長先生のお話があります。みなさん静かに聞きましょう」
いつもなら体育館に生徒が集まって話を聞くが、今はまだ避難者が体育館におおぜいいるからそれはできない。
どんな話だろうと待っていたら黒板の上にあるスピーカーから大人の男性の声が聞こえてきた。
「えへん、あーあー、ゴホン。あー、えー
ぼくドラえもん……ちがうな。ぼくドラえもん! ……ちょっとキーが高いかな。ぼくドラえもん……こんどは低いか……ぼく! え? もうマイク入ってる? 今の声が全校に流れた? あわわ。
オホン! 校長の平沢です。
みなさん、地震はとてもこわかったですね。先生は前震のときも、本震のときも、腰が抜けました。
しかし、わたしたちは尚武の誉れ高き熊本の人間です。地震なんかに負けていられません。ここ熊本で亡くなった剣豪宮本武蔵先生もいっておられます。われ事において後悔せず。死地にのぞんでも心頭滅却すれば火もまたすず……きゃあ!」
校長の悲鳴と建物がきしむ音が同時に聞こえた。
「地震だ」
オサムの声が珍しく裏返っている。
震度四、ととっさに体感でわかるのがなんだかくやしい。
ほかの教室から悲鳴が聞こえた。
揺れはすぐおさまった。
「みんな落ちついて。校庭に避難しましょう」
さゆり先生にうながされ、わたしたちは立ちあがった。
校庭の真ん中に全校生徒、体育館の避難者、校庭のテントにいた消防団員、近所の人、それに教師を合わせて五〇〇人ほど人が集まった。
グラウンドの土はぬかるんでいる。
昨日まで降った豪雨のせいだ。
地震の直後から降り続くはげしい雨は、すでに痛めつけられている建物や道路をさらに底意地悪く痛めつけた。
「校長先生もう大丈夫です。余震はおさまりました」
白いジャージを着たさゆり先生は灰色の作業着を着た小柄なおじさんを落ち着かせた。
「うん。ありがとう。平気平気わたしは平気だから」
おじさんはこぶしで目もとをぬぐった。
この小柄なおじさんがわたしたちの校長先生です。
「これくらいわたしはぜんぜん平気……」
「校長先生!」
「きゃあ!」
「田島先生。校長先生がこわがるから大きな声は出さないで」
さゆり先生にたしなめられ、五年二組の担任田島宏樹先生は頭をかいた。
田島先生は元陸上中距離の選手で、さゆり先生のことが好きだといううわさをよく聞く。
「やあ失礼しました。校長先生、校舎を見まわりましたがとくに異常はありません」
「そ、そうですか。それはよかった。じゃあ予定を変更して今日はここで解散……あ、きみ」
校長はふいに三郎を指さした。
「きみのとなりのロボットくんが持ってるギターはきみの?」
「そうです」
「よかったら地震の厄払いにここで一曲弾いてくれないか?」
「はあ。でも校庭で弾くにはアコギの音はちいさすぎる……」
三郎は一瞬こまった顔になったが、校長のうしろでさゆり先生が手を合わせているのを見てうなずいた。
「わかりました」
三郎はAにひそひそ耳打ちすると、二人で校庭の校舎側に張られた消防団用のテントの前にならんで立った。
校庭にいる五〇〇人の人々も二人の前にワラワラ集まる。
「これから厄払いに一曲弾きまーす」
三郎は声を張ってみんなに告げた。
「ビッグ・ビル・ブルーンジーのHEY HEYって曲をやりまーす。エリック・クラプトンがアンプラグドでカバーした有名な曲でーす。では弾きまーす。
怨霊退散!」
ジャン! と三郎がギターを鳴らすと、五〇〇人の人々の髪の毛が感電したかのようにサッといっせいに逆立った。
Aの黒いボディがスピーカーになり、そこから大音量でギターの音が発せられたのだ。
予想しなかった大きな音にみんな呆気にとられたが、陽気でカラフルなメロディに誘われすぐ笑顔になった。
オサムが曲に合わせて珍妙なダンスを披露した。
太一やランも楽しそうに肩を揺らしてる。
校長先生が負けじと踊り出し、さゆり先生も笑顔で手拍子している。
ほかのクラスの生徒や避難者の人たちも体を揺すってる。
(あ)
となりの半藤ビルの屋上で美津子さんが手を振っていた。
わたしは美津子さんに手を振り返した。
それから三郎のギターに合わせてわたしも踊った。
踊っていると雲の切れ目から朝日が放射状に広がり地上を照らしているのが見えた。
ああいう光を天使のはしごと呼ぶそうだ。




