第14話 サルバドール
すさまじい震動にうつ伏せの体が一瞬宙にういた。
まちがいなく昨日の地震より揺れが大きい。
たちまち天井の明かりが消え、地下道場は闇に包まれた。
「たかふみ!」「大丈夫だ!」
闇の底で互いを気づかうカップルの声が聞こえる。
地震は昨日より長く続き収まる気配がない。
(天井や壁が落ちてきたら逃げられないアウトだ)
ゴゴゴゴとぶきみな地鳴りが聞こえる。
やがて揺れが頂点に達した。
超高速で飛ばすトラックの荷台に乗っているようだ。
揺れがすさまじすぎて歯の根が合わない。
(もうだめだ!)
と覚悟を決めた瞬間だった。
とつぜん天井の明かりがついた。
同時に断ち切るように揺れが収まった。
天井や壁が崩れなかったのは奇跡だ。
ここが地下なのがむしろ幸いしたようだ。
(あ)
いつのまにか手足が元通りくっついていた。
美津子さんもりえも、それから宮沢父子の手足もくっついている。
(術が解除された)
手足はくっついたが美津子さんと宮沢父子は失神したままだ。
(助かった。で、山田は今どこ?)
と、そのとき目の前が暗くなった。
宮沢敦の秘書である柔道家の江川と元野球選手の黒井が立ちあがりぼくに襲いかかるところだった。
とっさにあお向けになった。
床の上でスピンし、リコーダーの袋に入れた短刀不知火丸を取り出す……はずだったが手がしびれてうまく持てない!
(やべえ)
江川が猛然と突っ込んできた! と思ったらまた目の前が暗くなった。
ぼくの前に立ちはだかった山田がスー……と水平に手を振った。
すると江川が急に足を止め両手でのどをおさえた。
手のすき間から噴水のように血が噴き出す。
山田がメスで切り裂いたのだ。
江川はその場にひざまずき倒れた。
血の泉に坊主頭がうかぶ。
「おじさんチャックあいてるよ」
山田のまうしろに立ち、鬼の形相で警棒振りかざした黒井の動きがぼくの一言で一瞬止まった。
そのすきをついて床に落ちていたハンドスピナーを拾って投げた。
「……」
ハンドスピナーにしこんだゾンビパウダーを吸い、黒井はバットのように硬直してまっすぐ倒れた。
「今の地震で、わたしも目がさめた」
カタン、と固い音がした。
山田はメスを手放し、自分の手をじっと見つめていた。
「りえがいった通りだ。なんということだ。わたしが感じていた安心がにせものだったなんて」
「山田さん教えてよ。サルバドールとは何者なの?」
「わたしをユダにする気かい?」
「裏切り者は山田さんじゃない。サルバドールだ」
「バカな。イエスがユダを裏切ったというのか?」
「太宰治はそういってるよ」
ぼくの言葉を聞いて山田の顔色が変わったときだ。
ふいに聞き覚えのない声が聞こえた。
「サンチャゴ」
男か女か、大人か子どもかわからない奇妙な声だ。
「おお、師父」
山田は驚愕の表情であたりを見渡した。
すると道場にあらわれた。
虚無が。
宇宙にはボイドと呼ばれる超空洞がある。
ボイドは二億光年にもおよぶ巨大な暗黒空間で、そこはあらゆる物質が存在せず光さえない。
そのボイドが、突如地下道場に出現した。
暗黒があらわれたのだ。
山田のうしろに。
「し、師父!」
悲鳴をあげる山田と二人の秘書を、暗黒はあっというまに飲み込んだ。
山田は暗黒をただようちいさな点になった。
「たかふみ」
山田に寄りそうりえの声が聞こえる。
一糸まとわぬ彼女の白い肌が、暗黒唯一の光だ。
「好きよ……」
その声が弱々しい波紋となって、暗黒のふちに立つぼくに届いた。
二人の姿は暗黒のかなたへ飲み込まれ、すぐ見えなくなった。
「裏切りは、ゆるさない」
ボイドに吹くという幻の宇宙風に乗って声は告げた。
声は暗黒から届いたが、発するものの姿はどこにも見えない。
まるで暗黒そのものがしゃべっているようだ。
「契約は神聖である。神聖な親子の誓いを一方的に破る者のむくいは、死だ」
「舐められたら殺すっていいたいの? くだらない」
ぼくが吐き捨てると救世主と山田が呼んだ人間(?)は笑った。
「おもしろい。わたしの弟子になる気はないか?」
「ないよ。さっさとぼくを殺したら? あなたなら簡単にできるだろ」
「簡単だが殺さん。今おまえを殺し死体を宇宙のかなたに葬ったとしよう。すると学校をはじめ地域社会全体がおまえの行方をいっせいにさがし出す。厄介だ。子どもは大人よりはるかに土地とのつながりが強い。だから殺すにしても慎重にやる」
(ふーん)
いかにも殺しになれた人間らしい冷徹な意見だと感心していると
「昨日の地震も、今の地震も、わたしが起こした」
サルバドールはおそろしい事実をあっさり告げた。
「そんな……」
バカな、とは思わない。
目の前に突如あらわれたボイドが、宇宙最大の暗黒空間のスケールと暗さが、サルバドールの発言を妄言と思わせない。
「二度の地震は慎ましい前奏曲にすぎない。
まもなく三度目のカタストロフィが起こる。
このカタストロフィで、人類の文明は完璧に終わる」
「破壊の目的は?」
「新世界創造」
「その新しい世界で生きるのは?」
「わたしと信者と弱きものと醜いもの」
「神は?」
「神ははじめからいない」
「善人や悪人は?」
「わたしは連中の鈍感さや傲慢さが嫌いだ」
「人の生き死にを好き嫌いで決めるの?」
するとサルバドールはきっぱりいった。
「たいせつなことは好き嫌いで決める」
(やべえ)
この人ぼくに似てるとひそかにうろたえていると、
「もう弟子になれとはいわない」
サルバドールは笑いをふくんだ声でいった。
「しかしおまえを気に入った。特別におまえをおまえの仲間といっしょにノアの方舟に乗せてやってもいい。乗る気は?」
「ない」
「なぜ? 善人や悪人、それともまさか故郷を守るというのか? それこそくだらん」
「善人とか悪人とか故郷とか関係ないよ。
戦うことが好きなんだ。
それに今ジャンプで暗殺教室が連載中でさ。あの漫画が終わるまでこの世界を終わらすわけにはいかないよ」
「フフ、わかった。早川三郎。
これからわが弟子ソルダードがおまえを襲う。
望み通り存分に戦うがいい。
もし生き延びることができたら、そのときは褒美としてわたしがおまえを直接殺してやる。また会おう……」
引き潮のように声が遠ざかると、目の前に広がっていた暗黒空間も消えた。
ぼくはほの暗い地下道場に立っていた。
そばにお尻を丸出しにした美津子さんと宮沢父子が、それぞれ意識を失って倒れている。
山田と恋人のりえ、それから二人の秘書の姿はどこにもない。
坊主頭の江川が床に流した血さえあとかたもなく消えていた。
ただりえの甘い体臭だけが、あたりにかすかにただよっている。
それから彼女が恋人にいった
「好きよ」
というささやきも、ぼくの耳にやけに生々しく残っていた。
最後に後日談を語っておこう。
泉田公園の車中泊者はその後も公園にとどまるのをゆるされた。
自衛隊の駐屯地の話はデマだった。
ケンタと彼のママは本震の二日後公園を出て、おじいさんの家でいっしょに暮らしはじめた。
ママとおじいさんが仲直りしたのだ。
宮沢敦と竜の父子は今二人とも精神病院に入院している。
ブラック・ダリアの術がとけて目覚めたとき父子の目に光はなく、宇宙のボイドのように真っ黒だった。
父と子は静かに発狂していた。
医者はマスコミの質問に「回復の見込みはない」と答えた。
山田義肢装具製作所の建物は、本震の翌日とりこわされ今は更地になっている。
恋人のりえが勤めていた熊大病院には彼女の退職願いがやはり本震の翌日出され、受理されていた。
いずれもサルバドール教の信者が手をまわしたにちがいない。
さらに驚くべきことがあった。
「え? この更地に今までなにがあったか? おかしいな。ここで暮らすようになって三十年になるけど、ここになにがあったか思い出せない……」
「ここで働いていた向井理絵さん? 音楽療法士? うーん、わたしこの病院にきて長いけど、そういう人知らないわ」
(山田とりえさんの記憶が消されてる)
いうまでもなくサルバドールのしわざだ。




