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もう、今更です  作者: つむぎ


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48/52

4

微かな光が、薄く閉じられた瞼の裏を照らしていた。


ゆっくりと意識が浮上してくる。重たいまぶたを開くと、ぼんやりとした天井が目に入った。


(……ここは?)


視界がまだ完全に定まらない。だが、かすかに染みついた薬草の香りや、整えられた空気の冷たさから、屋敷の一室であることはすぐに分かった。


「……目が覚めましたか」


落ち着いた低い声が響く。


視線を巡らせると、ベッドの脇に椅子を置き、腕を組んで座っている男がいた。


エドモン・ルフェーヴル。


彼の静かな瞳が、こちらを冷静に見下ろしていた。


「セリーヌを助けていただきありがとうございます。主治医の話では、数日は安静にすべきだとのこと。」


そうか。


自分は――あの夜、剣を振るい、そして――


「……セリーヌ……は?」


かすれた声で尋ねると、エドモンは無言のまま少し顔を上げた。


その視線の先に、彼女はいた。


ベッドの反対側、少し距離を置いた位置で、静かに立っている。


彼女の瞳は冷静だった。


「……助けてくださったことは、感謝します」


丁寧な言葉遣い。だが、そこに温度はなかった。


むしろ――どこか躊躇いがちに視線を落とした彼女の瞳には、ほんの僅かに違和感があった。


(ああ……これは)


彼女は、今――


ほんの一瞬だけ、虫でも見るような目をした。


表面上は感謝の言葉を述べながら、心の奥底では、どうしても拭いきれない感情が滲み出ている。


それを見た瞬間、アランの胸の奥に、ざわりと得体の知れないものが広がった。


(……ああ)


それは驚きではなく、失望でもなかった。


ただ――ひどく、甘美だった。


セリーヌはほんの僅かに息を整えると、落ち着いた声で続ける。


「どうか、ご静養を」


そして、それ以上何も言わずに背を向けた。


(ああ、行ってしまうのか)


その背中を見つめながら、ゆっくりと唇を綻ばせる。


すぐ隣でエドモンが眉をひそめたのが分かったが、それすらどうでもよかった。


(僕は、死ねなかった)


ならば。


ならば、生きて彼女の視線を浴び続けるのも悪くない。


それでいい。


アランは静かに目を閉じた。






アラン・ド・モントレイユが社交の場に復帰したのは、療養から数週間が経った頃だった。


彼は相変わらず、新しい婚約者を探す様子もなく、ただ静かに貴族社会に身を置いていた。


夜会にも顔を出すが、派手に振る舞うことはない。


そして、変わらず同じようなセリフを呟くのだ。


「君がこうして微笑んでいるなら、それだけで僕は満たされる」


「……はぁ」


また、だ。


夜会の片隅、ワインを片手にくつろいでいたセリーヌのもとに、彼はいつの間にか立っていた。


「お久しぶりですね、アラン様」


努めて冷静に言葉を選ぶ。


「お元気そうで何よりですわ」


「ああ、君のおかげでね」


アランは微笑む。


その表情には、相変わらずの余裕が滲んでいた。


「君の幸せを、こうして遠くから見守れるのだから。それだけで、十分だよ」


セリーヌはグラスを置き、ゆっくりとエドモンの方へ視線を向けた。


彼は近くで別の貴族と談笑していたが、アランが来たことに気付き、こちらへ向かってくるのが見える。


(……あと少しの辛抱ね)


「お優しいことですわ」


「君に優しさを向けることくらいしか、僕にはもうできないからね」


朗らかに言う彼の顔を見ながら、セリーヌはふと考える。


(この人は……何をしているのかしら)


婚約破棄からすでに時間が経った。彼は公爵家の嫡男であり、そろそろ次の婚約者を迎えていてもおかしくないはずだ。


なのに、彼は何も決めず、ただこうして時折彼女の前に現れては、意味深な言葉を残していく。


「アラン様、新しいご婚約者の話は進んでいないのですか?」


彼女はあえて問いかけた。


すると、アランは目を細める。


「……そうだね。今のところは考えていないよ」


「まあ……それはまた、どうして?」


「なぜだろうね」


彼はワインを軽く揺らし、思わせぶりに微笑む。


「たぶん……まだ君のことを見ていたいから、かな」


「…………」


一瞬、言葉を失う。


彼は何の躊躇いもなく、そんなことを言うのだ。


セリーヌは、なるべく表情を崩さないようにしながら、小さく息を吐く。


そこへ、エドモンが静かに歩み寄ってきた。


「アラン様、ご機嫌麗しゅう」


「ああ、ルフェーヴル卿」


アランは軽く会釈をし、グラスを傾ける。


「君たち、いい関係を築いているようで何よりだ」


エドモンは微笑を保ちながらも、どこか冷ややかな視線を送った。


「ええ。おかげさまで、忙しい日々を送っております」


「それはいいことだ」


アランは微笑を深める。


「君が支えているなら、セリーヌはきっと幸せだろう。……羨ましいよ」


「……」


セリーヌはグラスを持ち直しながら、彼の表情をそっと伺う。


そこに嫉妬はない。


むしろ、彼は「ただ見ているだけで満たされる」とでも言うような表情を浮かべていた。


エドモンが静かに言う。


「アラン様は、お忙しくないのですか?」


「ああ、僕は君たちのように大変ではないよ」


優雅に肩をすくめながら、彼は言った。


「……まあ、今日はこのあたりで」


アランは静かにグラスを置き、ゆっくりと立ち上がった。


「また、どこかで会おう。……セリーヌ」


そう言い残し、彼は穏やかな足取りで去っていく。


「……」


「……」


エドモンが、ゆっくりと息を吐く。


「……何を考えているのか、本当に分からない男だ」


「ええ……私にも、よく分かりません」


セリーヌは微かに眉をひそめた。


拒絶されても、気にする素振りすら見せない。むしろ、それを愉しんでいるような雰囲気さえあった。


「セリーヌ」


エドモンが、そっと彼女の肩に手を置く。

セリーヌは、ゆっくりと頷いた。二人はアランのことを頭から追いだし、ダンスを楽しむことにした。

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