2
夜の帳がゆっくりと街を包み込むころ、サロンの灯りも徐々に落ち始めていた。
大きな窓越しに覗く夜空には、まだわずかに紫の名残を残した薄闇が広がっている。
サロンの内部では、侍女たちが食器を片付け、明日の準備を整えていた。訪れていた令嬢たちも帰路につき、徐々に静けさが戻りつつある。
セリーヌとジュリアは、最後に残った客たちを見送り、二人だけになった。
「今日も盛況だったわね」
ジュリアは、グラスに残っていた紅茶を軽く揺らしながら、満足げに微笑んだ。
「ええ。特に、女性の仕事や教育に関する話題が増えてきたのが印象的だったわ」
「そうね。少し前までは、社交界の噂話や婚約話が中心だったのに……今では、将来について真剣に考える令嬢たちも増えてきたわね」
「……良い流れだわ」
セリーヌはカップを置き、ゆっくりと息を吐いた。
彼女たちが始めたこのサロンは、単なる社交の場ではなく、貴族の令嬢たちが知識を広げ、未来を考える場所へと変わりつつあった。
「ところで、あなたはもう帰るの?」
ジュリアがグラスを傾けながら問いかける。
「ええ。今日はエドモンとの予定があるし、そろそろ戻らないと」
「それなら、気をつけて帰りなさいよ。遅い時間になると、街の雰囲気も少し変わるもの」
「ありがとう。でも、屋敷は近いし馬車を手配しているから大丈夫よ」
「ならいいけれど……」
ジュリアは少しだけ口元を引き締めた。
「最近、王宮の動きも慌ただしいし、それに伴って貴族社会も何かとざわついているわ。私たちのサロンも注目されているし……どこで敵を作るか分からないわよ」
「ええ……分かっているつもりよ」
セリーヌは静かに微笑んだが、その胸には小さな不安が残った。
それでも、今更引き返すつもりはなかった。
「あなたはもう少し残るの?」
「ええ、片付けもあるし、侍女たちの明日の予定も確認しないとね」
「なら、お先に失礼するわ」
セリーヌはジュリアに微笑み、扉へ向かった。
ジュリアは軽く手を振る。
「また明日、報告しなさいよ」
「ええ、もちろん」
そして、セリーヌは夜の街へと歩き出した。
サロンの扉が閉じられた瞬間、外の空気はぐっと冷たく感じた。
静かすぎる夜。
まだ、彼女はこの夜が何かを孕んでいることに気づいていなかった。
サロンを出ると、夜の冷気が肌を撫でた。街の喧騒も次第に落ち着き、遠くに灯る街灯の光がぼんやりと闇に溶け込んでいる。
セリーヌは石畳の上を進み、停めてあった馬車へ向かった。御者が手綱を握りながら待っているのが見える。
足元を気にしながら馬車へ向かおうとした、その時だった。
「お嬢さん、こんな時間にひとりとは、ずいぶん無防備だな」
静かな夜に似つかわしくない、ざらついた声が背後から響いた。
セリーヌの背筋が凍る。
「……どなた?」
振り返ると、五、六人の男たちが路地の陰から現れ、じわじわと距離を詰めてきていた。
粗野な服装だが、完全に下層の人間ではない。微妙に整った身なり。貴族ではないが、どこかで育ちの良さが滲む雰囲気。
彼らは無造作に立っているようで、すでにセリーヌの退路を塞ぐように配置されていた。
(待ち伏せされていた……?)
「ご用件は?」
静かに問いかけると、男たちはにやりと笑った。
「最近、貴族の娘がずいぶん面白いことを始めたと聞いてね」
「お前のサロンの話さ。貴族の女が集まって、なにかと物騒な話をしてるんだろ?」
「学ぶだの、働くだの、女の分を超えたことをな」
セリーヌは眉をひそめる。
「まさか、それが気に入らなくてこんな真似を?」
「ご理解が早いようで助かる」
男たちは肩をすくめる。
「……そんな時代じゃないわ。女性も知識を持ち、社会と関わることを考えるべきだと――」
「それが、気に入らねえ連中もいるんだよ」
男のひとりが、わざとらしくため息をついた。
「お嬢さんはお利口さんらしいが、世の中は変わらないもんだ。貴族の娘が男の領分に口を出すなってのが、大多数の意見さ」
「それで、私をどうするつもり?」
男たちはわずかに顔を見合わせ、笑った。
「さあな? ただ、ちょっと『お話』をするだけさ。お前が考えを改めれば、それで済むことだ」
その言葉に、セリーヌはゆっくりと息を吐いた。
(このままでは……)
御者が腰を上げているが、彼は戦闘には向いていない。そっと視線でとめる。
それなら――逃げるしかない。
そして、彼女は踵を返し、全力で駆け出した。
「おい、待て!」
男たちがすぐに追いかけてくる。
足音が響く。
石畳を蹴り、セリーヌは夜の闇へと駆ける。
(どこか、人のいる場所へ……!)
だが、追っ手の気配がすぐ背後まで迫る。
「無駄だぜ、お嬢さん!」
「こっちは人数がいるんだ、逃げられると思うな!」
追い詰められる。
心臓の鼓動が激しくなる。
息が詰まる。
――その時だった。
「君に害をなす者は、僕が排除する。」
鋭い剣閃が、夜の闇を裂いた。
男たちの足が止まる。
「なっ……?」
不意に現れた影。
長身の男が、剣を構え、セリーヌの前に立ちはだかっていた。
アラン・ド・モントレイユ。
彼がそこにいた。
「……まさか、こんな露骨に動くとはな」
月光を反射する鋭い剣。
「お前は……?」
男たちが警戒の色を滲ませる。
「……通りすがりの者だよ」
アランはゆっくりと剣を掲げた。




