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もう、今更です  作者: つむぎ


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43/52

15

王宮の空気は決定的に変わった。


第二王子レオナール・ヴァルモンが正式な王位継承者として認められ、貴族たちは次代の王を迎える準備を進めていた。


カトリーヌ・ベルフォールは、貴族社会の中心で王宮の安定に尽力し続けた。彼女の周囲には、すでに新王を支えるための有力な貴族たちが集まり、その中にはエドモン・ルフェーヴルの姿もあった。


「カトリーヌ様、王宮の内情は安定してきましたが、王妃陛下の動向にはまだ注意が必要です」


エドモンは書類を整理しながら言った。彼は元々政治の表舞台に出ることを望んではいなかったが、セリーヌとの未来を守るためにも、今の時代の流れから目を背けることはできなかった。


「王妃陛下は、表向きにはフェリクス殿下の幽閉を受け入れています。しかし、彼女の中で完全に諦めたわけではないでしょう」


「ええ、私もそう思っています」


カトリーヌは落ち着いた表情で頷いた。


「彼女がまだ何か手を打つ可能性はあります。これ以上、混乱が生じないよう、王宮の監視を強めなければなりませんね」


エドモンは静かに頷いた。


「新王即位の儀式まで、油断はできません」


だが、その警戒が現実となるのは、そう遠くない未来だった。


――王妃が密かに動いていた。


彼女は、かつて王宮でフェリクスの側近だった者たちを呼び寄せ、彼の復権を願う最後の手を打とうとしていた。彼女にとって、フェリクスが王位を失うことは、自らの存在が否定されることに等しかった。


「このままでは終わらせない……フェリクスは、私の誇りなのだから」


王妃の最後の賭けは、絶望へと変わる瞬間を迎えた。


夜の王宮は静かだった。


廊下を抜け、離宮へと続く扉を開ける。王妃の後ろには、彼女が密かに呼び寄せたかつての側近たちがいた。彼らはフェリクスに忠誠を誓っていた者たちであり、今なお彼の復権を願う者たちでもあった。


「……鍵を開けなさい」


王妃が低く命じると、従者が手早く扉の錠を外す。


フェリクスが幽閉されている部屋の前に立つと、王妃は僅かに息を整えた。


(フェリクス……あなたを迎えに来ました)


彼はまだ王となることができる。王家の血を引く限り、彼が正統な王であることに変わりはない。貴族たちの決定など、彼女にとってはただの茶番にすぎなかった。


(私があなたを助け出せば、あなたは再び輝くはず)


そう信じていた。


そう、扉を開けるまでは。


――そこにいたのは、かつての王子ではなかった。


フェリクスは、暗い部屋の片隅にいた。以前は常に整えられていたはずの髪は乱れ、痩せた頬には影が落ちている。王宮にいた頃の華やかさは見る影もなかった。


だが、王妃が扉の前に立つと、フェリクスの表情が一変した。


「……リリア……?」


王妃は息を呑んだ。


「フェリクス……? 何を――」


フェリクスはゆっくりと立ち上がり、光の差し込む扉の前に立つ王妃をじっと見つめた。


「……リリア、迎えに来てくれたんだね……僕は、君をずっと……」


彼の足が、ふらふらと王妃に向かって進む。


「フェリクス、私は――」


言葉を止める間もなく、フェリクスは王妃を抱きしめた。


「……会いたかった……君が、僕を捨てたなんて、そんなはずないよね……?」


その声は、幼い子供が母を求めるような、あまりにも儚いものだった。


「……フェリクス……?」


王妃の目が見開かれる。


「リリア、僕を愛しているって言ってくれ……可愛く僕に誓ってくれ……君だけが、僕を救えるんだ……」


フェリクスは、王妃の肩に顔を埋めた。


「愛しているよ、リリア……僕を、見捨てないで……」


王妃の背筋が、ぞっと冷える。


彼は、彼女をリリアだと思い込んでいる。


「違う……私は……フェリクス、私はお前の――」


「ねえ、僕を愛しているって言って……もう、独りにしないで……」


フェリクスの腕が強くなる。まるでこのまま王妃の存在そのものを抱きしめて、自分の中に閉じ込めようとするかのように。


王妃の喉が震えた。


「……これは、違う……こんなの……」


彼の声には、すでに理性がなかった。


フェリクスは、王妃の手を握りしめると、まるで恋人に誓いを乞うように震えた声で囁いた。


「お願いだよ……リリア……僕を、愛しているって言ってくれ……」


王妃の体から、力が抜けていく。


これは、王家の正統な後継者の姿ではない。


これは、彼女が誇りに思っていた息子の姿ではない。


「……ああ……」


王妃の唇が震えた。


「……フェリクス……あなたは……」


彼女は、最後の希望を失ったように、ふらりと足を一歩引いた。


フェリクスはそれを拒むように、さらに強く抱きしめる。


「行かないで……僕を見捨てないで……」


王妃の頬を、何かが伝う。


それが涙なのか、汗なのか、彼女には分からなかった。


「……私は、何をしてしまったの……?」


息子を助けるつもりだった。


王家を守るつもりだった。


けれど、彼女が向き合ったのは、もはや王の器を持たぬ男だった。


「……すべて、終わりなのね」


呟いたその瞬間、王妃の心は砕けた。


この息子を王にすることなど、不可能だ。


フェリクスの手が、ゆっくりと緩む。


「……リリア?」


彼が顔を上げたとき、王妃の目には涙が浮かんでいた。


だが、それは母としての涙ではなかった。


それは、彼女が王家の運命を悟った者の涙だった。


「……いいえ、私はリリアではありません」


その言葉とともに、彼女はそっと彼の腕を解く。


フェリクスは、まるで理解できないように王妃を見つめた。


「……母上……?」


王妃は何も言わず、一歩下がる。


彼の瞳には、王家の未来はない。


「フェリクス、あなたは……」


最後まで言葉を継げず、王妃は静かに背を向けた。


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