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「君の笑顔は、陽だまりの中に咲く花のように美しい。だが、その花はもう、僕の手の届かない場所に咲いている……」
突然聞こえた詩のような言葉に、セリーヌはグラスを持つ手を止めた。振り向くと、そこには微笑を浮かべたアラン・ド・モントレイユがいた。
「……アラン様?」
思わず名前を呼ぶと、彼はどこか優雅に肩をすくめ、ゆったりとした歩調で近づいてくる。
「久しぶりだね、セリーヌ」
落ち着いた声色。だが、その瞳には妙な光が宿っていた。
「久しぶり、と申し上げるほどの時間は経っておりませんが」
セリーヌは静かに答えた。学園卒業からまだそう日も経っていない。それなのに、まるで過去の恋人同士が再会したかのような言葉遣いに、違和感を覚えざるを得なかった。
「そうかもしれない。でも、こうして君の幸せそうな顔を見るのは、僕にとっては久しぶりのような気がするよ」
「……ご機嫌うるわしくて何よりですわ」
なるべく無難に返したつもりだったが、アランは微笑を深めるばかりだった。
「君の幸せを見守ることが、今の僕の役目だ」
「は?」
思わず聞き返してしまった。
「もう、君は僕の手の中にはいない。けれど、君が微笑んでいるなら、それでいいんだ」
「……」
何を言っているのか、全く理解できなかった。夜会のざわめきの中で、アランの言葉だけが浮いている。妙な詩的表現、場にそぐわない甘やかさ、そして、まるで聖人のような物言い。
エドモンが静かに口を開こうとしたが、アランは片手を上げ、軽く制するような仕草を見せた。
「心配しないでほしい。僕は何も望んでいない。ただ……」
彼はグラスの中の酒を軽く揺らしながら、また詩でも詠むような口調で言葉を継いだ。
「人はそれぞれ、思い出を抱えて生きるものだろう? 僕にとって、君との日々は大切な思い出だった。それだけさ」
セリーヌは何とも言えない沈黙の中で、彼を見つめた。
(……これは、どういうつもりなのかしら?)
「……アラン様、それはつまり、どういうことでしょう?」
「だから、君の幸せを見守ると言っているんだよ」
朗らかに言い切られ、思わず息を飲んだ。
「……申し訳ございませんが、私には何の冗談か理解できませんわ」
ふと、視線が周囲をかすめる。気づけば、周囲の貴族たちがこちらを伺っていた。夜会の話題としてはあまりにも刺激的なのだろう。
だが、アランは意に介さず、穏やかな微笑を保ったまま、静かに続ける。
「冗談ではないよ。君が幸せなら、それでいい。僕はもう、何も望んではいない」
セリーヌはグラスを置き、ゆっくりと深呼吸をした。
「……アラン様」
「うん?」
「正直に申し上げますと、大変気味が悪いのですが」
彼の表情が、一瞬固まった。
「え?」
「以前のように冷たく突き放されるならともかく、今さらこのようなことを仰られるとは……正直、どのように受け止めるべきか戸惑っております」
彼の瞳がわずかに揺れたが、それでも微笑を崩さない。
「そうか。君は、そう思うのか」
「はい、心の底から」
セリーヌはきっぱりと答えた。
だが、アランはどこか満足げに目を細めると、グラスを傾けながら小さく笑った。
「……君らしい返答だね」
(そういう問題ではありませんわ)
言い返す気も失せた。
「まあ、いいさ。君の幸せを願っているよ、それだけだ」
アランはそう言い残し、グラスの酒を飲み干して、ゆっくりと去っていった。
「……」
「……」
セリーヌとエドモンは、しばらく彼の背中を見送った。
「……何だったのでしょうか、今の」
「さあ。少なくとも、害意はないようだけど」
エドモンが少し困ったように微笑む。
「……見守る、ね」
セリーヌは、さっきの詩のような言葉を思い出しながら、小さく息を吐いた。
「ご安心くださいませ、アラン様。私は私の道を進んでおりますので」
心の中でそう告げながら、グラスを持ち直し、冷えたワインを口に含んだ。




