21
セリーヌとアランは、学園の中庭の隅にある静かなベンチへと歩いていった。周囲にはほとんど人影がなく、風が木々を揺らす音だけが響いている。
二人が並んで腰を下ろしたが、すぐに訪れた沈黙がセリーヌの胸をさらに重くした。アランは視線を外の風景に向けたまま、何かを言おうとしているようにも見えるが、結局口を開くことはなかった。
「……何か話したいことがあるのではないのですか?」
耐えきれずにセリーヌが口を開くと、アランは少しだけ驚いたように顔を向けた。その表情は、普段の冷静な仮面から少しだけほころんでいた。
「……昨日のことが、君にどう映ったのか知りたいと思った。」
「昨日のこと?」
セリーヌは眉をひそめた。アランが指しているのは、リリアの叫びと王子の婚約破棄の騒動に違いなかった。
「……それが、アラン様が私に話したいことなのですか?」
彼女の声には失望が混じっていた。自分たちの関係について話し合うのではなく、王子やリリアのことを尋ねられるとは思っていなかった。
アランは少し戸惑った表情を浮かべた。
「君も見ただろう?リリア嬢が殿下に向けて感情を爆発させた。あれほどの勇気を見せるとは思わなかった。……僕は、彼女の気持ちに気付けなかったのかもしれない。」
「気付けなかった、ですか?」
セリーヌの胸に、今まで抑えていた感情がじわりと広がった。冷静を装っていたが、心の中では何かがひっかかる。
「リリアさんの苦しみを気付けなかったとおっしゃるなら……私の気持ちにも、アラン様は全く気付いていないのではありませんか?」
その言葉に、アランは目を見開いた。彼女の声には抑えきれない痛みが含まれていた。
「私はずっと、アラン様にとっての婚約者として何ができるのかを考えてきました。でも、どれだけ努力しても、アラン様の目には私は映っていないように感じていました。」
アランは何も言えなかった。彼女の言葉は鋭く、そして正しい。これまで、自分がどれだけ彼女をないがしろにしてきたか、その事実が重くのしかかってくる。
「王子を敬愛し、リリアさんを気遣うのは立派なことです。でも、それならどうして私を婚約者として見てくださらないのですか?私は、婚約解消の話を進めてもらうよう父にお願いしようと思っています。」
その言葉に、アランの顔がはっきりと動揺を見せた。
「セリーヌ、それは……」
「アラン様がリリアさんを望むなら、私は何も反対しません。むしろ、この状態を続けるよりもお互いのためだと思っています。」
セリーヌは静かに立ち上がった。彼の返事を待つつもりはなかった。これ以上、自分を無理に抑えて彼と話す必要はないと悟ったからだ。
「これ以上、お話しすることはありません。それでは失礼します。」
セリーヌは一礼すると、アランを置いてその場を立ち去った。足音が遠ざかる中、アランはベンチに座ったまま動けなかった。
彼の胸には、初めて味わうような喪失感が広がっていた。
セリーヌが中庭を後にすると、ジュリアとヴィクトールが心配そうな顔で近づいてきた。彼女の顔には疲労の色が浮かび、目元には決意の影が宿っている。
「どうだったの、セリーヌ?」
ジュリアが静かに尋ねると、セリーヌは小さく首を振った。
「話し合いは……無駄でした。彼にとって私は、婚約者という肩書き以上の存在にはなれないのだと思います。」
その言葉に、ジュリアは眉を寄せ、隣のヴィクトールが軽く息を吐いた。
「そりゃ、アラン様も今さらどうにもできないだろうな。でも、君が自分のために動くなら、それでいいじゃないか。」
セリーヌは彼の言葉に微笑を浮かべた。ヴィクトールの軽い調子には、いつもどこか救われるものがある。
「ありがとう、ヴィクトール。……もう、これ以上振り回されるのはやめます。」
一方、セリーヌを見送ったアランは、その場でしばらく動けずにいた。彼の胸には、これまで感じたことのない不安と後悔が広がっていた。
「……セリーヌ。」
彼は小さく呟いたが、その声は風に消えた。これまで自分が彼女をどう扱ってきたか、その冷たい態度がどれほど彼女を傷つけてきたかを、ようやく理解した。
だが、理解するのが遅すぎた。
彼の心に浮かぶのは、王子への忠誠心とリリアへの責任感ばかりで、セリーヌへの配慮は後回しになっていた。それが、彼女の中で何を崩していったのかを考えもしなかった。
王子の婚約破棄とリリアの叫びの余波は、社交界でもさらなる騒ぎを引き起こしていた。宮廷では王妃が激怒し、王子に対して何らかの処分を検討しているとの噂が飛び交う。
「王子が婚約破棄を公然と宣言した以上、リリア嬢に対する批判も避けられないだろう。」
「だが、リリア嬢があれほどの覚悟を見せたことには、ある種の同情も集まっている。」
一方で、婚約破棄を受けたカトリーヌ・ベルフォールには、貴族たちから称賛が集まっていた。
「彼女の冷静さと毅然とした態度こそ、真の貴族だ。」
「カトリーヌ嬢が新たな婚約者を探すなら、多くの家が名乗りを上げるだろう。」
セリーヌが帰宅し、昼間の出来事を家族に伝えると、伯爵は静かに話を聞いてから大きく頷いた。
「そうか……お前がそのように決めたのなら、我々もそれを支える。公爵家には、正式に婚約解消を伝える準備を進めよう。」
「ありがとうございます、父様。」
伯爵夫人が優しくセリーヌの手を取った。
「これまで、よく耐えてきたわね。これからはあなた自身の幸せを考えていいのよ。」
ルシアンはその言葉に頷きながら、セリーヌの肩に軽く手を置いた。
「姉上が自分の道を選ぶのなら、僕も全力で応援するよ。アラン様の立場なんて、気にしないでいい。」
家族の温かい言葉に、セリーヌは胸の中のわだかまりが少しずつ溶けていくのを感じた。彼女はようやく、自分の未来に向き合う覚悟を持つことができたのだった。




