虐げられた公爵令嬢は復讐を終えました
『オルランド女公爵は、自らを虐げた全てに対し復讐を果たし、地位を取り戻した強かな女性である』
世間ではこのように言われていますが、わたくし自身はあまりそう思ったことはありません。
わたくしは公爵令嬢でした。
生まれた時にお母様を亡くし、お父様も再婚の後に流行病で亡くなってしまいました。
お父様が存命の間、継母はとても優しかったですが、お父様が亡くなると私を使用人の部屋に押しやり、義弟たちを跡継ぎとするため当主代理となりました。
その日からオルランド公爵家は継母と義弟妹たちのものになり、わたくしは邪魔者として扱われるようになりました。
でも、悲しくはありませんでした。
辛い境遇にあれど、神様はわたくしを見守ってくださると信じていれば、きっと乗り越えられると信じていたからです。
それからしばらくして、ある日のこと、王家から突然王太子殿下の婚約者となるように命じられました。
継母は義妹を婚約者にしたがっていましたが、王家は『オルランド公爵家の血を持つ娘でなければならない』と頑なに譲らなかったのです。
ですが王妃殿下と王太子殿下は、わたくしがあまり好きではないようでした。
王妃殿下の前では常に完璧な淑女としての振る舞いを求められ、笑顔を絶やしてはなりませんでしたが、王妃殿下はわたくしの笑顔が薄気味悪いと言い、鉄の飾りが付いた扇で何度もわたくしを殴打しました。
王太子殿下はわたくしの方が優秀なのが気に食わないと言い、自分といる時は控えめな振る舞いをしろと言われ、それは次第に、「頭が悪く王太子がいなければ何も出来ない馬鹿な女」としての振る舞いを求められるよう変化してきました。
けれどもわたくしは文句のひとつも言いませんでした。
わたくしよりも立派で素晴らしい王家の皆様がそう仰るのですから、異論などありえないからです。
しかし成長するにつれ、王太子殿下は他の女性と関係を持つようになり、結婚を目前に控えた頃には、寝室にいつもわたくしの知らない女性がいるような状態でした。
わたくしを「傲慢で出しゃばりたがりな馬鹿女」と罵った口で、可憐な貴族令嬢に愛を囁くのです。
王太子殿下がわたくしを愛してくださったことはおろか、婚約者として扱われたことは一度もなく、殿下にとってのわたくしはどのように扱っても良い所有物同然でした。
それでもわたくしは、王太子妃とはそういうものなのだと受け入れ、自分の役目を果たそうと努めてまいりました。
そうして迎えた結婚式の前夜。
王太子殿下はわたくしを身に覚えのない罪で糾弾し、一方的な婚約破棄を宣告されたのです。
王太子殿下は、「俺の命令に従え」と常々仰っておいででした。
ですから、わたくしはご命令に従いました。
「悔しかったら反抗のひとつでもしてみろ」、というご命令に。
王家を追い出されたわたくしはお父様の遺した本物の遺言書を手に、遺言書を改ざんしたとして継母を訴え、法廷で正式にオルランド公爵家当主はわたくしであると認めさせました。
お父様は最初から継母を当主代理とする気はなく、公爵家当主はわたくしただ一人であると決めてくださっていたのです。
幼いわたくしには継母に逆らうすべがなく、隠し持つことしか出来ませんでした。
まさかわたくしが本物の遺言書をずっと隠し持っていたなど思ってもいなかったようで、継母たちは罪を認めずわたくしを罵り続けました。
どうしてもわたくしを当主として認めたくないと。
ですから、家門から除籍して差し上げました。
そうすれば、わたくしを当主として認めることも、わたくしと屋敷で共に暮らす必要もなくなるからです。
これまで育ててくださった恩もあることですから、お父様に対する罪も多額の賠償金で示談とし、住居もなるべくわたくしと顔を合わせなくて済むよう王都から遠く離れた辺境を特別に選んで差し上げました。
継母と子どもたちは涙を流しながら去っていきました。
そうしてわたくしは居場所を取り戻し、ようやく王太子殿下のご命令に従う準備を整えることができたのです。
本番はまだここから。
わたくしはまず、王妃殿下が違法薬物を密輸入していらっしゃる証拠を新聞社に提供して差し上げました。
その薬物は依存性が高く臓器に対して深刻な影響を与えるとされており、使用は禁止されております。
しかし王妃殿下はお茶会でよくそれを煎じ、対立している派閥の夫人方にお出しされていたのです。
すぐにこの報道は国民の皆様の知るところとなり、祝祭の式典行事で王妃殿下が腐った果物を投げつけられるほどの異様な事態となり、王妃殿下はあっという間に表舞台から退かれました。
王太子殿下にとって最大の後ろ盾である王妃殿下が退いた時点で、陥落まではあっという間でした。
王太子殿下のこれまでの女性遍歴に加え、派手な遊びに使い込んだ金額についての情報を新聞社の皆様に提供すると、これまたあっという間に世間に広がりました。
さらに、王太子殿下はこれまで公務をわたくしに任せきりでしたので、わたくしがいなくなってから公務が滞るようになっておりました。
国王陛下から厳しい目を向けられるようになり、困り果てた王太子殿下は、散々馬鹿にしていたわたくしに、戻ってきて欲しいとすがりついて大泣きされたのです。
わたくしはこれに頷き、再び王太子殿下の補佐をするため王城へ戻ることとなりました。
しかし、王太子殿下のご命令はまだ完遂しておりません。
王城に戻って間もなく、外国から使節の方々がいらっしゃることになったのですが、王太子殿下は外国語を全く話せませんでした。
世間には四ヶ国語を操ると公表しておりますが、それら全てはわたくしの通訳によるものです。
王太子殿下はわたくしを使節団を迎えるパーティーで同席させましたが、王太子殿下の前では「馬鹿な女」を演じるという決まりでしたので、わたくしは何一つ王太子殿下に対して訳しませんでした。
使節の皆様とわたくしが会話をし、主催者であるはずの王太子殿下は側で立ち尽くすのみ、という異様な光景に貴族の皆様は失笑されたそうで、王太子殿下が実は外国語を話せないという話はしばらくお茶会の鉄板の話題となりました。
結果として使節団に無礼を働いたとして国王陛下はたいそうお怒りになり、王太子殿下に謹慎を言い渡すほどでした。
殿下は傷付いておいででしたので、これまでのように心の慰めとなる美しい女性が必要になると思い、わたくしはとても美しい娼婦を手配して差し上げました。
そして彼女に、王太子殿下のお悩みに耳を傾け、その全てを肯定して差し上げなさいと命じました。
王太子殿下はすぐに彼女に夢中になり、みるみるうちにお元気になられました。
そして、「あの女が憎くて仕方がない、今すぐにでも殺してやりたい」という言葉を彼女が肯定したことにより、王太子殿下はわたくしを舞踏会で毒殺しようと計画されたのです。
娼婦には全てお手伝いして差し上げて、と命じ、つつがなく毒殺計画は進行されました。
そうして迎えた舞踏会当日、わたくしは毒の混ぜられた飲み物を王太子殿下のグラスとすり替え、殿下ご自身でご用意した毒を飲んでいただくことになりました。
毒でのたうち回り苦しみながら、殿下はわたくしを激しく罵り、本当ならわたくしを殺すはずだったと叫びました。
もちろん、招待客の皆様の前で、です。
それからすぐに用意していた解毒薬で殿下は回復されましたが、ご自身で計画を洗いざらい皆様の前で告白してしまったので、もうどうしようもありません。
協力者であるわたくしが用意した娼婦は、舞踏会の直前に大金を持たせ、彼女の母国へ帰還するため旅立ちました。
しばらくの暮らしの保証を約束すれば、彼女は喜んでくれましたが、巻き込んでしまったのが申し訳なかったので、継母が大切にしていたオパールのネックレスも差し上げておきました。
協力者は姿を消し、殿下は元婚約者であるオルランド公爵毒殺未遂の罪で投獄されることとなり、王太子としての身分も剥奪されました。
殿下のご命令通り、わたくしは殿下に反抗し、奪われた人生の全てを取り戻したのです。
ですが、どうしてでしょう。
わたくしの心は、空っぽなままでした。
ある晴れた日の午後。
わたくしは宮殿の廊下ではなく、市場の石畳の道を歩いていました。
「この鍬がいいかしら」
昔よく着ていた質素なワンピースを身にまとい、露店の農具を吟味していれば、背後から声をかけられました。
「リディア様!」
「まあ、エミリオ様。懐かしいですわ」
こんなところで旧友に会えるとは思いもよりませんでした。
わたくしより少し年上の彼は、カルドナ王国の外交官であり、使節として何度もお会いした方です。
長い黒髪を肩の下で結び、きっちりと首元までシャツのボタンを締めている几帳面さは相変わらずです。
「我が国に来ていたのですね」
「はい。今回はしばらく逗留できるかと思うのですが……」
エミリオ様は生真面目な表情で、恭しくわたくしに礼をしてくれます。
それから、困惑したようになにか言い淀みました。
「その……このようなところでどうなされたのですか」
「畑を耕そうと思って」
「畑?」
「家庭菜園、というものです。敷地は十分にありますから」
「なるほど……」
エミリオ様は納得したのかしていないのか、曖昧な表情で頷きました。
露店から離れ、市場を二人でゆっくりと歩きます。
「それより、エミリオ様こそどうしてここへ? 視察ではないようですけれど……」
「リディア様のご様子をうかがいに。カジノや仮面舞踏会に出没するという噂を耳にして、心配になりまして」
「まあ、わたくしが? ふふ、面白いことを考える人もいるものね。わたくし、夜はゆっくり眠りたいから舞踏会にはもう出席しないことにしているの」
「そうでしたか。良かった」
「わたくしが夜遊びばかりするような人にならなくて?」
「違います。また私の知らないところで危ない目にあっていなくて、という意味です」
からかうように言ってみれば、エミリオ様はその美しい顔を赤く染めてしまった。
「ふふ、もう復讐はしないわ。相手もいないもの」
エミリオ様は、王太子殿下の醜聞を広めるきっかけのひとつであった使節団の一員でもありました。
わたくしの様子がおかしいと気づいてくれており、毒殺未遂事件の際には何通も手紙を送ってくれました。
「リディア様。私からで申し訳ありませんが、これを」
エミリオ様が、封筒を取り出して渡してくれます。
封蝋には王家の紋章が。それだけで差出人は分かります。
「国王陛下のご命令ですか?」
「いいえ。私自ら進んで引き受けました。陛下はあなたを大変心配してらっしゃる様子でしたから」
「相変わらずですね。元より、陛下と王妃殿下は対立しておられましたから、昔からよく気にかけて頂いていました。ですが、今のわたくしはもう王太子の婚約者ではありません」
「だから、受け取れないと」
「ええ」
わたくしは中を開くことなくそのまま返したのですが、エミリオ様は黙ってそれをしまってくれました。
「それにしても、肌寒くはありませんか? この国ではまだ少し冷えますから、風邪を引いてしまいます」
「まあ、ありがとうございます」
エミリオ様は上着を脱ぐと、そのままわたくしの肩にかけてくれました。
まだエミリオ様の体温が残っていて、とても温かいです。
「実は、恥ずかしながら何を着て良いのか分からなくて……いつも着ていたものばかり選んでしまうんです」
「分からない?」
「はい。クローゼットを開けても、興味がわかないのです。料理もそうです。食べたいものが思い浮かばなくて、毎日同じものを用意してもらっています。好物というものが、まるで思い浮かばないのですよ」
「リディア様、それは……」
なぜだか、エミリオ様はとても悲しそうな表情になってしまいました。
「おかしな話でしょう。わたくしはもう自由になったはずなのに、わたくしにとっての自由はあまりに広すぎて、どう歩いたら良いのか分からなくなってしまったなんて」
公爵家の必要な業務であれば、滞りなく行えます。
けれど、自分自身のこととなると途端に何をして良いのか分からず、こうしてふらふらと市場をさまようことしかできなくなってしまうのです。
エミリオ様は悩ましげな顔をした後に、立ち止まってわたくしの目を見つめました。
「でしたら、私が貴女を誘導しましょう。道が分からないのなら、私が示します」
「エミリオ様……」
「好きな物が分からないのなら、これから探しましょう。世界には、美味しい料理も素敵な景色もたくさんあります。もちろん、この国にも」
エミリオ様の瞳は決意がみなぎっていて、わたくしにはとても眩しく見えるかのようでした。
「大丈夫、畑仕事も経験はあります。諸外国から輸入した作物を育てて試作したこともありますから」
「まあ、それは頼もしいですわ。でも、エミリオ様のお仕事のお邪魔をするわけにはいきません」
ありがたい申し出ですけれど、エミリオ様は外交官です。わたくしが独占して良い相手ではありません。
けれど、エミリオ様は諦めませんでした。
「でしたら、明日一日だけ、貴女の時間を私に頂戴できませんか?」
「ええ。エミリオ様が良いのでしたら……」
翌日、約束通りエミリオ様は公爵家の屋敷に来てくださいました。
「リディア様。今日は一段とお美しい」
「せっかくですから、飾り付けて欲しいとお願いしたのですよ。皆に選んでもらったのですが、似合っているようで良かったです」
やけに侍女たちから青のドレスばかり薦められると思っていたのですが、エミリオ様の大海のような青い瞳と同じだったと気付いたのは、髪飾りまで選び終わった後でした。
それから、エミリオ様は家庭菜園用の小さな畑を拵えてくださり、植える種もいくつか候補を出してくださいました。
わたくし一人でも管理ができる大きさにしてくださったのですね。
昼食を一緒に摂り、午後からはチェスをしたり紅茶を片手に近況を語り合ったりしました。
「それが、白いムースのような見た目なのですが、食感も味もまるで違うもので、とても薬膳とは思えないほど美味なのですよ。シロップ漬けにした果物と一緒に食べると、また更に違う味わいになるのです」
「東大陸にはそのようなスイーツがあるのですね……なかなか興味深いです」
「実はレシピを教わってきたので、材料が揃い次第今度リディア様にもご馳走しますよ」
「本当? 嬉しいですわ。エミリオ様はスイーツ作りの名手ですもの、楽しみにしていますね」
外遊での見聞を聞くのはとても楽しい時間でした。
わたくしは外国語を話せこそしても、この国から出たことがないので、いつもエミリオ様から様々な国のお話を聞かせてもらっていたのです。
「もちろん、我がカルドナのスイーツもご用意しますよ」
「カルドナのクレームブリュレでしょう? 以前ご馳走してもらったものも、とっても美味しくて素敵だったわ」
エミリオ様の趣味がスイーツ作りだと知っている人は少なく、わたくしはそのうちの一人です。
まだ王太子殿下の婚約者だった頃、わたくしのために振舞ってくださったことがありました。
クレームブリュレはその時の大切な思い出です。
「もしかして、わたくしの好物というものは、エミリオ様のスイーツなのかもしれませんわね」
「そうだとしたら……とても、光栄です」
そう言って笑ったエミリオ様の顔は、とても柔らかい表情でした。
「リディア様」
「はい、エミリオ様」
改まって名前を呼ばれたと思えば、エミリオ様はおもむろに立ち上がると、わたくしの前に騎士のようにひざまづきました。
「お手を取っても、よろしいですか」
「ええ……」
「これまでの貴女は私にとって、『他国の王族の婚約者』でした。でも、今は違う。私はもう、この手を離したくありません」
そう語るエミリオ様の表情は、とても真摯なものでした。
ですが、その真意を素直に受け取るわけにはまいりません。
「エミリオ様、それは……」
「私では、オルランド公爵様を支える配下として不十分でしょうか」
「そんなことありませんわ! もし、エミリオ様がいてくださったら……それはとても、嬉しいことでしょう。ですが、わたくしは……どのような手段を使ってでも復讐を成し遂げるような人間なのですよ。エミリオ様が思うほど、綺麗ではありません。汚れています」
「でしたら、その汚れごと貴女を愛しましょう」
「わたくしは、確かにあの瞬間、憎悪だけが心の中にありました。毒に苦しむあの方を見下ろして、侮蔑を隠すことすらしなかった。それこそが、わたくしという人間の本質なのです」
今でも、王太子殿下の怨嗟の声は忘れられません。
継母の暴言も、王妃殿下に殴打された傷跡も、全てわたくしを離さず過去に縛り付けています。
わたくしは解放されたはずなのに、心だけが過去に取り残されているのです。
「いいえ、貴女のその考えは間違っている! 貴女は長い間苦しみながらも懸命に耐え抜いて、必死に戦ってようやく自由を得たんだ。憎悪が貴女の本質だなんて、有り得ない。それならば、どうしてあのような優しい顔ができる……!」
優しい顔と言われても、わたくしには覚えがありませんでした。
むしろ、いつも笑っているのに薄気味が悪いと言われるばかりだったはずです。
「リディア様は気付いておられないでしょうが、私を見る貴女は、いつも少女のように穏やかに笑っておられます」
「え……」
エミリオ様に言われて、初めて知りました。
わたくしにとってエミリオ様という存在は、自分が思うよりもずっと大きくて大切だったのだと。
「貴女を苦しめる人は、もうどこにもいません。リディア様、あなたはもう、戦わなくて良いのです」
「エミリオ様……わたくし、は……」
「これからは、私が貴女を支えます。貴女を二度と一人にはさせません」
エミリオ様の言葉が、わたくしの心を溶かしていく。
気がつけば、ぽたりと涙がこぼれていました。
「私と結婚してくれますか?」
「っ、はい……!」
――――――――それから長い時が経ち、ある屋敷の窓辺にて。
年老いた女性が海を眺めてくつろいでいると、孫たちが読み聞かせをねだりに集まってくる。
「おばあちゃん! 今日もオルランド夫婦の旅行記を読んで欲しいの!」
「ああ、もちろんだよ。そうだねぇ、今日は二人の出逢いのお話にしよう。女公爵様と異国から来た夫の、愛の物語さ」
本のページを捲りはじめた女性の首元には、オパールのネックレスが淡く輝いていた。




