第三話 名物料理
「一体なんなんですの!?」
叫び声を上げ、怒鳴りながら室内にある物を投げつけて暴れ回る。
昔から癇癪を起こしては似たような事を繰り返し、屋敷の使用人達は『またか』と呆れのような感情を抱く。
抱きはするが表情に出す事はない。ただ、好き勝手に暴れさせて、落ち着いた頃に手早く片付けをする算段に思考を切り替えていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
息が切れ、肩を上下させる令嬢を傍目に使用人達は手早く動く。それらを視界に収めながら令嬢は苛つきをなんとか抑えながら部屋を後にした。
「お爺様ぁ!」
「可愛い私の孫娘。泣いてては可愛い顔が台無しだよ?」
ソファに体を沈める壮年の男に令嬢は抱きついて、服を涙で濡らす。
物を強請ったり、困り事や癇癪を起こすと、実父や実母よりもまず祖父の元へと飛んでいく。
一人しかいない孫を祖父は大層溺愛していた。妻に先立たれて久しく、その寂しさを紛らわせる為に、少々騒がしくても孫娘を叱る事はない。
孫娘の頭を撫でながら、泣いてる理由を聞く。
「そうかそうか」
「お爺様!あの生意気な娘達を懲らしめてやって下さいませ!私の気がおさまりません!」
「そうだなぁ…」
孫娘は自分は悪くない。恥をかいたと喚き、正当性を主張する。
祖父はすでに孫娘が起こした騒動を耳にしており、孫娘の関係者や店の者から詳しく聞いていて、ほぼ事実を把握していた。一部怪しいというか要領を得ない部分はあったが、些事であると祖父は判断した。
「わかった。然るべき事をしよう。だけどね?我々貴族は無闇に権力を翳してはならないんだよ?国に仕え、領地を豊かに。住まう領民や市井に目を向けて、よりよくしていかなくてはならない。それは分かるね?」
「…はい、お爺様」
祖父は名君と呼ばれるに相応しい領主だった。自分よりも貧しい者たちの為。力無い庶民を守り、知恵や知識を与え、時に盗賊や魔物討伐に率先して向かい、いまの領地を元の数倍に広げた手腕と人望の持ち主であった。
長年の苦労が祟って身体を壊し、さらに妻を喪った哀しみで数年前、息子に家督を譲った。
いまだ祖父の持つ影響は凄まじく、屋敷にいながら領内の情報は全て入ってくるようになっている。とある喫茶店での騒動など手に取るように分かる。
「そうだ。今度わたしもそのパンケーキとやらの店に連れていってくれないか?」
「お爺様が、ですの?あ!」
「おや?年寄りで甘い物が欲しくなるのがおかしいかい?」
「いえ!そんな事はありませんわ!」
「そうかい。その日が来るのが楽しみだなぁ」
それから他愛もない話をして祖父と孫娘は過ごした。
☆
喫茶店を出た少女2人は町を散策していた。
噴水広場、屋台や露店で賑わう通り。観光名所のような場所を周る。
程よい時間になり、2人は木陰のベンチで休憩していた。
「あの!」
「なにかしら?」
「私の名前はレーミアです!貴方の名前はなんですか!」
「あら?名乗ってなかったかしら?ごめんなさいね」
ベンチから立ち上がり、くるりと黒髪とロングスカートを靡かせ、淑女の礼をとる。
「アウラ・ヴィレンツェでございます。以後、お見知りおきを」
「あ、いえ!こちらこそ、末永くお願いします!」
レーミアはアウラの完璧な所作に魅入り、気が動転して、変な返事をする。
アウラは一瞬呆けるが、くすくすと笑う。小馬鹿にするではない、本当に可笑しそうに。
レーミアは自分の失態に気付いて顔を赤らめて両手で顔を覆う。
「落ち着いたかしら?」
「私ったら、なんて事を口にしたんでしょう…」
まるで求婚のような台詞になってしまったのを思い出し、穴があったら入りたいと落ち込むレーミア。
アウラはただ優しく微笑み、レーミアが落ち着くのを待った。
「あの…アウラ、様は」
「様はいらないわ」
「え?でも、家名持ちですよね?」
「名ばかりの物で役には立たないわ。アウラと呼んでちょうだいな?レーミア」
「は、はい!あ、アウラ…」
「ふふ、なにかしら?」
ことある事にあたふたと動きや、表情がコロコロ変わるレーミア。
「えっと…この街にはいつまでいるんですか?」
「特には決めてないわね。久しぶりに外に出たから、しばらくはのんびりするつもりよ」
「そうなんですね。名物料理とか興味は…」
「この街にあるのかしら?」
「はい!あー…」
レーミアは言いにくそうにするが、アウラに促されて口にする。
「ボルゴイの肉を使った料理なんですけど…」
「まぁ。ボルゴイって食べれるの?」
「食用に飼育されてるボルゴイなら食べれます。野生のは、なんというか。残飯の方がまだマシといいますか…。あ!す、すみません!」
「気にしなくていいわ。…へぇ、そうなの」
レーミアは、貴族相手になんて事を!と慄いたが、アウラは毛ほども気にしておらず、あの醜悪な見た目のボルゴイが名物料理になっている事に思いを馳せていた。
しばらく引きこもっている間に、色々と変わったのだと実感した。
「それでですね。実は実家が料理店をしてまして、街でそこそこ有名なんですけど、一番の売りがボルゴイを使った料理なんです」
「あら、すごい偶然ね。もしかして、招待して頂けるのかしら?」
「アウラが良ければですけど」
「もちろん、受けさせていただくわ。あ、予約しないと迷惑になるわね」
「いえ!大丈夫です!私がなんとかします!」
「そ、そう?なら、お願いするわね」
レーミアの剣幕に押され、アウラはそこまで言うのならと任せる事にした。
アウラは宿泊しているホテルをレーミアに教え、連絡が取れるようにしてもらった。
「では、なるべく早く招待出来るようにしますので!」
「無理はしないでね」
「はい!頑張ります!」
たぶん、アウラの言葉は届いてないだろう。少女にあるまじき声を上げて気合いを入れるレーミア。
微笑ましいとも取れるが、アウラは今まで周りにいなかったタイプのレーミアが珍しく、一挙手一投足を見て楽しんでいた。
その日は、態々アウラをホテルまで送り届け、レーミアは帰っていった。
「楽しみね」
レーミアの後ろ姿が見えなくなるまで見届け、アウラはホテルへと消えていった。
☆
「お嬢様、やはりやめた方が…」
「わたくしの手で懲らしめないと気が済まないのよ!さっさと手配なさい!」
「…かしこまりました」
侯爵家の屋敷に場所は移り、令嬢は使用人達に指示を出す。
人探し程度なら令嬢の雑な指示でもこなし、目当ての人物の簡単な調査を終え、令嬢に報告した。
相手はどこにでもいるような顔立ちの庶民であったが、喫茶店で対応した衛兵がよく覚えており、且つ、その衛兵の同僚達がよく行く食堂の看板姉妹であった事から、調べはすぐについた。
「たかだか食堂の小娘が…。わたくしに恥をかかせた事を一生後悔させてやるわ」
令嬢は貴族令嬢にあるまじき口の悪さで悪態をつき、やがてニンマリと笑顔を浮かべる。
「そうだわ。わたくしと同じ目に、いえ、もっと恥ずかしい事をさせればいいのよ。そうよ。ふふふふふ」
令嬢は再び使用人達に指示を出す。
しかし、あまりの内容に顔を顰めるが、クビを突きつけられては、嫌々ながらも従うしかない。それがどんなに酷な事でも、どんな結果になるか火を見るより明らかであっても。
自分達は悪くないと自己弁護しながら、荒事専門の部署に令嬢からの指示を出した。勿論、他の家族には内緒にして。
☆
レーミアの店に招待されたのは、別れて2日後の事だった。
アウラは出会った最初と変わらず、黒のロングドレスを身にまとい、艶やかな黒髪が風に靡く。
レーミアはアウラを最初に見た感動そのままに見惚れ、レーミア?と声を掛けられ正気に戻る。
「そ、それでは、店まで案内を…」
「距離がありそうだから、馬車を使いましょう。手配出来て?」
「すぐに用意致します」
「え?」
いざ出発とレーミアが足を踏み出そうとすると同時に、アウラは手配を済ませる。
「え?」
「ごめんなさいね。レーミアの店の事を聞いたのよ。そうしたら、歩くには少し距離があるものだから、勝手に手配させてもらったわ」
「あ、いえ!そ、そうですよね!気が利かなくてごめんなさい!」
「いいのよ」
少しして馬車の用意が整いアウラは乗り込む。レーミアはポカン顔であった。
「乗らないの?」
「こ、こんな立派な馬車なんて、初めて見ました…」
「そうなの?まだ地味な方ではないかしら?そんな事はいいから、乗りなさいな」
「は、はい」
おっかなびっくりレーミアは馬車に乗り込む。椅子の座り心地に驚き、思ったよりも揺れない事に感動する。
こんな立派な馬車を地味だと言うアウラは、やはり貴族なんだと再認識した。
ちなみに、この馬車はホテル側からすれば、上から二番目に上等な馬車だと言うことをここに記す。
2人が会話をしてる内にレーミアの店へ馬車は到着した。
「お帰りの頃にお迎えに上がります」
「それなら結構よ」
「かしこまりました。失礼します」
なんともスマートなやり取りにレーミアが呆けていると、店の方が何やら騒がしい。
アウラはどうしたのかしら?と小首を傾げ、レーミアは『あ』と声を漏らした。
「れ、レレ、レーミア!お貴族様の馬車が来なかったか!?」
「ど、どど、どうしましょう!」
「おとうさん!おかあさん!落ち着いて!」
「そうよ!お貴族様でも王様でも店に来れば客は客っていつもお父さん言ってたでしょ!?」
「言葉のあやだよ!」
アウラは疑問符を浮かべたままで、親子4人のやり取りを見守る。
ようやくして、
「レーミア。それでお貴族様はどちらに?さっきのは前触れか?」
「アウラならここにいるよ。アウラ、騒がしくしてごめんなさい。アウラが貴族だって事言ってなかった」
なるほど。友達を食事に招きたいと言ったはいいが、相手の素性までは言わなかった、と。
アウラは気にしなくていいと、確かにレーミアに言った。
「レーミアのお父様、お母様。そして、お姉様ですね?皆様、はじめまして。アウラ・ヴィレンツェと申します。今回は食事に招待頂きありがとう存じます。名物料理を楽しみにしておりましたの」
お父様…お母様…お姉様…
レーミア以外の3人は頭の中で木霊する言葉を聞きながら、完璧なカーテシーと貴族の口上、そして目的を聞いて、しばし気を失った。
「…気持ちは凄く分かるけど。ウチの家族がごめんなさい」
「楽しそうな家族ね」
コロコロと笑うアウラと、乾いた笑いのレーミアであった。




