中編
ボニファーツィオが紹介しようとしている者たちも双子だ。
こちらは二卵性の双子とのことで驚くほど似ていない。
ただ性格は根っこのところが似ていた。
医学に対して恐ろしく真摯なのだ。
きっと頼めば薬の調合に尽力してくれるだろう。
そして、また。
桜華の周囲に男が増えるのだ……。
医学に強い双子は兄をバルトロメウス、弟をヘルムフリートといった。
不真面目で教師と呼ばれる者たちから煙たがれるバルトロメウスだったが、実際対峙してみると弟に甘く、一度懐に入れた相手にも甘く、何処までも真面目な男だった。
余談だがヘルムフリートは生真面目なイケメンマッチョだ。
「……んー。全く同じは無理でも、限りなく近い調合はできると思う。そもそも使っている薬剤が足りねぇんだ。栽培から始めるが、それでもいいか?」
「ありがとうございます! 本当に再現できるなんて……夢のようですわ」
「おう。これを調合した薬師は天才だな。実に緻密で飲む者に寄り添った薬だと思う。是非紹介してほしいくらいだ」
「まぁ、嬉しゅうございますわ。そのようにおっしゃっていただけて。存命でありましたら、兄も光栄だと心から喜んだことでしょう」
兄弟が揃ってひゅっと小さく息を呑んだ。
「双子の兄でしたので……生きていたら、一緒にここへ入れたかもしれませんの。あぁ、でも私は、兄が亡くなったから、ここへ、入れられたのですから。兄と二人で穏やかに過ごせる日々は……たぶん夢でしか、なく……」
桜華の瞳が違う世界を見始めた。
兄の不在は彼女を酷く傷つけているのだろう。
普段は思い出さないようにしているが、こうして刺激されるとクリアに再現されてしまうのかもしれない。
兄の不在と、それに纏わる思い出したくもない、悍ましい記憶の数々が。
何故かグロウリーハウスに売られる者は大半が双子だ。
健康診断が異様に多いことからもアッボンディは、グロウリーハウスが双子に関するあらゆる研究をする機関ではないかと推測している。
そして恐らくそれは間違っていないだろう。
本来なら双子揃っての研究が好ましいが、片割れを失った双子の研究もまた興味深いのかもしれない。
だからこそ、桜華は一人でグロウリーハウスに売られた……。
暗い思考に囚われている間にも、ボニファーツィオと兄弟は上手に桜華を誘導してこちら側の世界へ引き戻したようだ。
我に返ったときに、力になれなくて申し訳ない、と頭を下げれば。
「……ただそこにいてくださるだけで、十分な場合もありましてよ?」
そう言って、何時も通り穏やかに微笑んでくれた。
バルトロメウスとヘルムフリートは真面目でマメな兄弟で、特にバルトロメウスは桜華を妹認定したようだ。
弟以外と話しているのを見かけなかった彼が、桜華に積極的に絡むようになるまでの時間は短かった。
健康に関してはかなり神経を使って管理しているグロウリーハウスに置いて、度々体調を崩す桜華は有名で。
その流れで医療系に強い兄弟が興味を持って近づいたのだろう、と噂は広まった。
適切な距離を保っている人々は、この変化をむしろ微笑ましく見守り始めている。
しかし、ここでも暴れたのはブラッドフォードだ。
ブラッドフォードの頻繁な誘いは桜華の体力や気力を削っていた。
今まで堂々と注意するのはボニファーツィオくらいだったのだが、ここにバルトロメウスとヘルムフリートが加わったのだ。
バルトロメウスは恐ろしく口が立ち、ヘルムフリートはブラッドフォードに負けない体力と気力の持ち主で、巧みにブラッドフォードを牽制した。
「桜華がいてくれないと、頑張れないんだよ!」
ブラッドフォードが懇願するとおり、彼のパフォーマンスは明らかに落ち込んでいた。
教師たちどころか校長すらも苦言を寄せているほどだ。
しかし心理状態を的確に判断できるヘルムフリートに言わせれば、ただの甘えなのだとか。
しっかりと書類なども提出しているらしく、ただただブラッドフォードが責められているらしい。
「彼女に絡まないでくれ。君は桜華に甘えすぎだ」
「肉食系の女相手に盛ってろ。上手く発散すりゃ、以前と同等のパフォーマンスを維持できるぜ?」
「うるさい! 貴様らに何がわかるんだっ? 俺の隣には桜華がいなくちゃ駄目なんだよ」
「はぁ……兄さん。皆さんに絡むのは止めなってば。桜華さんは兄さんの彼女でも奥さんでもないんだよ?」
「彼女なら、奥さんなら、側にいてもいいよな?」
「兄さん!」
呆れるほど同じパターンの繰り返しで、オーガストに咎められるブラッドフォード。
しかしブラッドフォードの眼差しは今までにないほど、不穏な光を発していた。
「……桜華。決まった相手を作った方が良さそうだぞ。ブラッドフォード以外で良い奴いねぇのか?」
狭い世界の中だが、恋人関係になるものは多い。
婚姻をする者だっていた。
アッボンディも何人かと付き合って別れているし、ボニファーツィオは常に彼女を欠かさない。
「良い人はたくさんいらっしゃいますが、恋愛となると……なかなか踏み出せませんの。兄が過保護だったせいでそちら方面は疎くて恐縮ですわ」
「ブラッドフォード避けを考えるのであれば、オーガストが一番だろうがなぁ」
「そうだねぇ。彼は良い人だもん。ブラッドフォードも弟の彼女になら、引いてくれそうだし」
桜華が望めばオーガストは付き合いを了承するだろう。
傍若無人なブラッドフォードに振り回されて不憫ではあるが、しみじみ良い奴なのだ。
ただ……ただ、彼には何処か不安定なところがある気がする。
ぴちょん。
「ん?」
不意に何処かから水音が聞こえた。
何で水音? と周囲を見回すも、水音がするような場所ではない。
水漏れかと天井を見上げても、それらしい箇所はなかった。
「どしたの、兄ちゃん」
「や。水音がした気がしたんだが……気のせいだろうよ」
「まぁ、古い建物だからね。水漏れとか、してるのかもしれないけど」
聞こえたのだとしても、おかしな音ではない。
音ではないのだが……。
アッボンディはその水音をきっかけに、表現しようのない不安に駆られるようになってしまった。
何処からともなく現れる違和感に首を傾げる日々の中、桜華は恋人をつくった。
相手はオーガストだ。
バルトロメウスのアドバイスを受け入れた結果らしい。
ブラッドフォードは許せない! と壮絶な兄弟喧嘩になったようだが、結局彼が振られただけの話。
「私が曖昧な態度を取り続けたせいで勘違いをさせてしまい申し訳ございません。私、ブラッドフォードさんのように人を振り回す方は正直に申し上げて苦手なので、今後個人的なお付き合いは遠慮させてくださいまし」
殴られてぼろぼろになっているオーガストを庇いながら、そう告げられてしまったブラッドフォードの心中は、どれほどのものだっただろうか。
アプローチの仕方は悪かったが彼が桜華に恋心を抱いていたのは誰が見ても明らかだったので、ブラッドフォードが酷く憐れで仕方なかった。
きっぱりはっきり拒絶された、ブラッドフォードの死んだ目は、今でも続いている。
アドバイスをした手前、バルトロメウスが時々カウンセリングを行っているが、経過は芳しくないらしい。
オーガストはブラッドフォードを心配しながらも桜華と穏やかな交際を続けていたのだが、横やりが入った。
ブラッドフォードの片思いを応援していた有象無象だ。
スポーツ万能で明朗闊達なオーガストは人気があった。
ファンクラブまであるほどだ。
そのファンが暴走して二人の恋愛を邪魔しにかかった。
教師どころか校長までもが介入する酷さだ。
桜華やオーガストは心身ともに傷を負った。
別れ話も出たようだが、オーガストが頑として聞かなかったようだ。
「……最近、少し。オーガストさんを恐ろしいと思ってしまいますの。あんなに優しかった方が、まるでそう。ブラッドフォードさんと酷く似てきたと……そのように感じてしまうのですわ」
アッボンディにまで愚痴を零すほど、桜華は追い詰められていた。
彼女は滅多に愚痴を零す人ではないのだ。
ほろりと滑り落ちた綺麗な涙を指先でそっと拭ったアッボンディの耳に、再びあの水音が響いた。
ぴちょん。
その水音は頭の中で鳴っていた。
ああ、この水音は警戒音だ。
そっと桜華を抱き締めて宥めながら、アッボンディは何故不安が忍び寄ってくるのかを理解した。