前編
気がつけばアッボンディオはここにいた。
ここ、とは。
グロウリーハウスを指す。
グロウリーハウスは寄宿舎付の、学校のようなものだ。
校長と名乗る男が教えてくれた。
だが生活をしてみて思う。
本当は悍ましい何かを研究する、施設ではないのだろうか? と。
アッボンディオはオリーブが名産の国出身だ。
実際は世界最大の秘密組織を抱える国として名が知れている。
双子の弟であるボニファーツィオが、自分たちは秘密組織幹部の庶子でグローリーハウスに売られたんだよ! と何処までも明るく教えてくれなければ、アッボンディオの現在はもっと曖昧なものだった。
記憶に欠落が見られたのだ。
ボニファーツィオ曰く、アッボンディオは真面目で聡明で。
だからこそ疎まれて。
多少の記憶改ざんまでされた挙げ句に、売られたのだとのこと。
「この学校? は、そうやって売られた子たちばかりが生活しているんだよ、兄ちゃん。権力とお金があって、親として屑な輩が不必要な子供を売るんだって!」
どんな酷い内容でもボニファーツィオが話せば、それは一流の戯曲になる。
弟の声は澄んでいて美しく、その笑顔は人を和ませた。
けれどボニファーツィオの本質は、秘密組織幹部の息子として相応しい残虐さを併せ持つ。
アッボンディオ以上に深い闇を抱えているのだと、看破できる者は少ない。
そんな数少ない看破した者が桜華だった。
珍しく作り物ではない笑顔を浮かべて走ってきたボニファーツィオが、しっかりと手を繋いで連れてきたのだ。
神秘的な黒目に、艶やかな黒髪。
ボニファーツィオが謳う夜の女王のように、何処か浮き世離れした容貌の彼女。
ボニファーツィオとは違い、偽りのない穏やかさでできている生き物で、とても驚かされた。
兄である自分以外に初めて心を開いた相手にボニファーツィオは、それはもうつきまとった。
ストーカーとして通報されてもおかしくないレベルで、心底困ってしまうほどだ。
勿論度を超した接触にアッボンディオも注意した。
一度や二度どころではない。
もう既に数え切れないほどだ。
けれどボニファーツィオはつきまといをやめない。
桜華が苦笑して受け入れてしまうからだろう。
優しすぎる桜華にも幾度となく助言をしたのだが、毎回言われてしまうのだ。
『ツィオ君の好意は純粋で下心のないものですわ。私としても嬉しゅうございます。
気楽でもありますのよ。だからどうぞ、心配なさらないで? 温かく見守ってくださいまし』
何処までも慈悲深い微笑とともに。
古風な言葉遣いで。
本人同士が納得しているし、むしろ喜んでいるのならいいのか……と自分に言い聞かせて口を噤むようになったアッボンディオだったが。
誰もが皆、アッボンディオのように判断したわけではなかった。
どちらかといえば、そうでない者が多かったのだ。
桜華は神秘的な容貌と穏やかな口調に、品の良い立ち振る舞いで、誰にでも平等に優しかった。
そんな彼女だったので他の住人たちからも人気があったのだ。
そもそもグローリーハウスに住まう女性は少ない。
八対二の割合だ。
そのうち一割は奔放で性病が心配なレベル。
アッボンディオも肉食系の女性にはうんざりしていた。
肉食系女性を食い散らかしながらも癒やしを桜華に求める男性が驚くほど多いのには、殺意さえ芽生えるほどだったのだ。
その中でも最悪だったのが、ブラッドフォード。
目に鮮やかな金髪と透き通った空色の瞳を持つ、カリスマ性の高い脳筋。
「屑は邪魔しないでくれるかなぁ? 僕が、今! 桜華ちゃんと話をしているんだけど」
「うるせぇな! 桜華は俺の応援をしてくれる約束なんだよ。ほら桜華。駄目だろ。こんなナンパ野郎に捕まってないで、俺を応援してくれよ」
ぐいぐいと桜華の手首を握り締めて引っ張るブラッドフォードの辞書には、遠慮の二文字が存在しない。
常に緩やかな微笑を浮かべている桜華の眉間に、皺が寄っているのにも気がつかないようだ。
スポーツが得意なブラッドフォードは、自分がどれほど力が強いのか自覚がないようだ。
桜華の手首からみしっと嫌な音が聞こえる。
「そこまで! 強く引っ張りすぎだよ、兄さん。もしかして捻挫したかもしれないよ? ボニファーツィオ君、ごめんね。桜華さんを医務室へ連れて行ってもらえるかな」
「任されたよ! 本当、オーガストは紳士なのにね。見習ったらいいんじゃないの? できた弟をさ!」
「何だと? この、ナンパ野郎が!」
ボニファーツィオはひょいっと桜華を抱きかかえると、すたこらさっさと医務室へ向かった。
なかなかの素早さと紳士さにアッボンディオは感心しながら、暴れるブラッドフォードの背後に忍び寄り、首を絞めて手早く落とす。
「……はぁ、はぁ。ありがとうございます、アッボンディオさん。何時も兄が迷惑をおかけしまして申し訳ございません」
深々と頭を下げるオーガスト。
派手なイケメンが多いグローリーハウスの中では、かなり印象が薄い。
よくよく見ればやわらかな輝きを放つ金髪に、ペリドットのように澄んだ瞳を持つ彼はかなりの美形なのだが。
こんなにも美形なのに何処か、印象が薄いのは不思議だった。
長年ブラッドフォードの影のようにフォローをしてきたせいなのだろうか。
双子の兄弟だというブラッドフォードとオーガストは、何と魔法がある国出身だ。
千年以上も鎖国を続けて、どんな国なのかほとんど情報がない桜華出身国同様、謎に包まれた国である。
ブラッドフォードの異常なまでの体力は、身体強化の魔法を。
気がつけばそこにいるのを忘れてしまうほど印象が薄いオーガストは、隠蔽の魔法を常時発動していると囁かれていた。
そもそも情報規制が酷いグローリーハウスなので、眉唾と一笑に付したいところだが、授業で教えられているのだ。
魔法は存在すると。
魔法の国出身の者は一つ以上の魔法が使えると。
参考までにグローリーハウスには十人以上の魔法の国出身者がいる。
他の国出身者は五人が一番多いので、魔法国出身者が如何に多いかわかるだろう。
「気にするな。俺は桜華が心配だから医務室へ行くが……」
「ええ。僕はブラッドフォードを見張りますので、お二人には何時も申し訳ありません……と伝言をお願いできますか?」
「任された」
大きく頷けば、軽い会釈をしたオーガストはブラッドフォードの足首を引っ掴むと、容赦なく引き摺って何処かへ消えていった。
医務室へ向かうと案の定、桜華は手首を痛めていたらしい。
ボニファーツィオが念入りに包帯を巻いていた。
「鎮痛剤も飲んでおけよ。お兄さんが調合した物は残っているのか?」
「ええ。残っておりますけれど、あと少ししかありませんの。飲むのを迷ってしまいますわ」
桜華には双子の兄がいた。
とても仲が良く可愛がってもらっていたのだが、亡くなってしまったらしい。
ボニファーツィオがどうやって調べたのかはわからないが詳細を教えてくれた。
頭の回転が速く桜華を溺愛していた双子の兄は、家督争いに巻き込まれた形で暗殺されたようだ。
桜華には絶対に内緒だが、彼女を人質に取られていたので、覚悟の上で殺されたとのこと。
薬剤の調合に長けており、病弱だった桜華にたくさんの薬を残してくれたので、桜華は大切にそれらを使っている。
形見だと言われれば無理に勧めるのも躊躇われた。
「うーん。医学系に強い奴がいるから、相談してみる? もしかしたら同じ調合ができるかもしれないよ」
「本当ですか? 是非、紹介をお願いいたします!」
珍しく興奮気味の桜華の頬がほんのりと赤く染まる。
何とも初々しくて可愛らしい。
ボニファーツィオも見惚れていた。