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聞き耳屋  作者: もも
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第6話 耳と脳の集音実践

 勤め人はまだ仕事中であろう平日の夕方前、僕は目的の店にいた。


 聞き耳屋が言っていたと思しきテーブルを背にする格好でカウンター席に案内された僕は、お通しに出されたプチトマトのピクルスをつまみながらそっと周りの様子を伺った。


 狭く細長い造りになっている店内は、厨房に対してコの字型にカウンター席が配されている。テーブル席は入口から最も遠い場所にふたつしかないため、大人数で来るには向いてなさそうだ。


 顔を近付けて笑い合っているカップルや、赤ワインのグラスを傾けながら赤い顔で喋り倒している女性たち。僕のような一人客も何人かいる。若くてにこやかなスタッフがキビキビと働いてる姿は、見ていて気持ちが良かった。


 こんな中途半端な時間でもそれなりに賑わっているのだから、恐らく人気店なのだろう。

 人の出入りが多くて活気があり、更にお酒も入るとなれば、隣の席で誰が何の話をしていようと誰も気に留めない。木を隠すなら森の中と言うけれど、会話と会話が狭い空間で混ざり合って渦を巻くような状況は秘密の話をすることに向いているのかもしれないと、僕はクラフトビールにちびちびと口をつけながら考えていた。


 聞き耳屋は、ここでTの名前を聞いたと話していた。

 あの口振りからして、きっとそれは一度や二度のことじゃない。僕は後ろのテーブルをチラリと見る。この席に座る客がTの名前を出した人物とは限らない。けれど手掛かりがここにしかない以上、ひたすら張るだけだ。


「お待たせしましたぁ。おでんの盛り合わせとトリッパの洋風味噌煮込みでぇす」


 元気の良いスタッフがカウンター越しに注文した料理を渡してくる。

 フレンチと和食を組み合わせた創作料理を提供する店だけに、半分に割られた玉子にはキャビアが添えられ、とろりとしたチーズがかかった大根からはコンソメの香りが漂う。ポトフとはまた違う味わいに、おでんという料理が持つポテンシャルの高さに驚いた。


 うーん、これは美味しい。

 長期戦になるかもしれないんだから、店員に怪しまれない程度のペースで食べ進めなくては。


 メニュー表を手に次に何を注文するか悩んでいる風を装っていると、「お客様、テーブル席にご案内しまぁす!」という声が聞こえた。三人連れの男たちがこちらへ近付いてくる。


 こいつらか。


 黒のフーディーにデニムを合わせたラフな格好をした男と、チェックのシャツにキャップを被った男。この二人は自分と同い年か、あるいは少し上ぐらいのように見える。カーキの長袖シャツにカーゴパンツを履いた体格の良さそうな男は三十代後半というところか。親しそうな雰囲気はなく、どういう関係なのかが掴みづらい。


 僕の背後で男たちが椅子を引き、座る音がする。

 程なくして彼らが注文したドリンクが運ばれたが、乾杯の声が聞こえない。グラスをテーブルに置く音がわずかにするぐらいだ。あまり音を立てないようにしているのだろうか。


 僕はメニュー表を置き、スマートフォンの画面を見ている振りをしながら背後の動きに意識を集中させてみた。が、彼らの話し声がかなり抑えられていることに加え、他の客や店員の声が覆い被さることで、うまく声を拾うことが出来ない。


「……で……あそこはいつも……これが……」

「でも……が……だから……」


 あそこって何だ? 

 場所に関する話をしているのか?


 話している顔が見えれば表情の変化から少しは推測出来るけれど、後ろを振り返って凝視する訳にはいかない。


 ダメだ、落ち着け。


 他の人間の話し声も食器が当たる硬い音も、騒がしい気配は全部意識から排除するんだ。耳に全ての神経を集中させろ。


 脳の中にある、音量を調節するツマミをイメージする。

 目標の音以外に関するそれをゆっくりと少しずつ絞っていく。


 関係のない客たちの声、フェードアウト。

 店員の声、フェードアウト。

 無機物の音、フェードアウト。

 余計な音、全部フェードアウト。


 そうして僕の耳は、残された音――すなわち、僕の背中側にいる三人の男たちの声を全力で聞きにかかった。


「お願いします、もう俺、こんなこと辞めたいんです」

「最近、どこの家もガードが堅くなってるんスよ。今まではちょっと困った顔してピンポン押したらすぐ開けてたのに、あれだけ手口とかニュースでやられたら警戒されちゃって」

「じゃあ新しいやり方でも考えろよ」

「そんなこと俺たちに言われても」

「現場の俺らばっかり捕まるリスク高くて、その癖ギャラは少ないとか、やってらんねぇです」


「おい。直接会って話したいことがあるって言うからこっちもリスク侵して来てやったのに、つまんねぇ話すんな。抜けたらどうなるか分かってんのか。お前らの情報は全部ニギってんだ。勝手に抜けたり自首してみろ、お前らのネタ全部SNSに流すからな。家族や友達もどうなるかわかんねぇぞ」


「いや、それだけは勘弁してください」

「家族は関係ねぇだろ」

「子の不始末は親の不始末ってな。ははは」

「……すみませんでした、もう言いません」

「家族にも友達にも手ぇ出すのはやめてくれ」

「お前らがちゃんと働いてるうちはな」


 威圧的な声。

 これはもしかして、いや、もしかしなくともいわゆる闇バイトの連中か。

 抜けたがっている二人を脅して屈服させ、犯罪に従事させている。


「次の仕事、ココな」

「……E市ですか」

「『鷹の爪』の話じゃジジイの独り暮らしだけど、寝室に金庫があることを下見のヤツが確認してるらしい。暗証番号とかそのあたりは縛り上げて口割らせろ」

「いつやったらいいんですか」

「明日の夜だ。いつも通り現場まではTが車で運ぶ手筈になってる」


 T。


 今、Tの名前が聞こえた。


「近くで待機させとくから、五分で終わらせろ」

「分かったよ」

「残りの細かいことはまたアプリで連絡する。逃げようとか思うなよ」

「こんな雁字搦めにされて、逃げられる訳ないじゃないですか」

「はは、ちげぇねぇ。じゃ解散ってことで」


 年長の男が去り、残りの二人ものろのろと店を出て行ったところで、僕の耳に全部の音が一気に戻って来た。周りの客たちは何も気付いていないのかひたすら酒を呑み、料理を食べ、談笑している。こんなにも平穏な日常の音に囲まれた場所で、あんな話が繰り広げられていたなんて信じられない。


 ていうか、Tだ。

 バイトしてるとは言ってたけど、まさかこんなバイトだったなんて。

 いつも通りという言葉が出てきたってことは、既に何度もやってるのか。


 何で。

 どうして。


 戸惑いと衝撃で、頭の中がぐるぐるしている。


 こんなこと絶対ダメだ。


 そう思うものの、僕の腹の底にはまた別の感情がどんどん膨れ上がっていることも自覚していた。

 何か事情があるのかもしれないけど、Tは僕に何も話してくれなかった。

 友達だから全部を話せとは言わない。

 友達だからこそ言いたくないことだってあるのは分かっている。


 でも、コレは違うだろ。


 腹立たしさと悲しさが叫び声になって口から零れそうだ。

 瞼を閉じると悔しさで眉間に皺が寄る。


 Tに会わなきゃ。

 Tを止められるのは、僕しかいないんだから。


 息を吐いて、脳と感情を整える。

 十秒数えてからゆっくり目を開けると、僕の隣の席に佐藤氏が座っていた。

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