第5話 僕の家族と耳の良い伯母
父と母、妹二人がいなくなったのは、僕が十一歳の頃だった。
夏休み前に行われた林間学校で僕がクラスの皆と山登りをしていたその時、家族を乗せた車が事故に巻き込まれた。先生に付き添われて病院には到着したけれど、父や母、妹たちから「おかえり」の声を聞くことは出来なかった。
大型トラック二台の間に挟まれたら、軽自動車なんてひとたまりもなかっただろう。ほぼ即死だったのは不幸中の幸いだったと言ったら、怒られるのかもしれない。でも、痛いとか苦しいとか怖いとか、そんな風に感じる時間がなかったのなら良かったと思う。
ひとり残された僕を引き取ってくれた伯母は、母の姉に当たる人だった。
ひとりで暮らしていた伯母は、僕のことを必要以上に構わず、憐れまない人だった。転入先の小学校にロクに通おうとしない僕に対して宥なだめることも、説得することもせず、好きにさせてくれた。
一緒に生活していく中で、伯母は僕が何かを言い掛けると先回りして反応することが度々あった。
「何で僕が言おうとしていることが分かるの」
そう尋ねると、伯母はにやりと笑って耳を指差した。
「ちゃんと聞こえてるからだよ」
僕は「そんなの嘘だ。喋ってないのに聞こえる訳ない」と反論すると、伯母は「アンタの言おうとしてることなんて、お見通しならぬお聞通しだよ」と笑ったけれど、次の瞬間には真顔に戻って言った。
「でもね。本当に助けて欲しい時は、ちゃんと声に出して言いな」
「言うよ。そんなの言うに決まってるじゃん」
「いいや、アンタは言わない。というか言えない子だよ。自分の家族が死んだ時すら、助けてって言わなかったじゃないか」
「あの時はどうすればいいのか分からなかっただけだよ」
そう言ってみたものの、伯母には全部見透かされていたことを知って、恥ずかしくなった。
父や母、妹たちが死んだあと、その後始末について僕にはよくわからないところでどんどんと物事が進んでいった。
「説明したところで、理解するのは難しいだろうから」
誰かの話は僕の頭の上を通り過ぎ、耳元まで降りて来ることはほぼなかった。
もちろん、きちんと話そうとしてくれる人もいた。
けれど、その言葉をまともに聞いてしまえば状況を把握することになるし、理解したことは全て僕にとっての現実となる。
怖い。
何も知らない方がマシだ。
僕に『今』を分からせないで欲しい。
そう思う反面、自分の家族のことなのに自分が一番関わらせてもらえないことがたまらなく悔しかった。
お金がどうとか住んでいた家をどうするとか、確かに僕には分からないことがたくさんあった。だけど、僕自身のことについて勝手に理解したつもりになって決めてかかるのは止めて欲しかったし、僕のためを思ってという言葉も口先だけなのだとしたら、ひとり残された親戚の子どものことなんて見なかった振りをすればいいんだと思った。
僕はもう、ひとりなんだから何も知らせないで欲しい。
でも、完全に蚊帳の外に置かれるのは嫌だ。
見捨てられても構わないけど、ひとりにはしないで。
正反対の気持ちが身体の中で嫌な速度で混ざり合い、びちゃびちゃと浸しては溢れかえる。誰とも交わらない僕の周りを見えない箱が囲い、口からこぼれ出たいろんな感情に息が乱れて溺れそうになる。
そんな僕に気付いていつも手を差し伸べてくれるのは、伯母だった。
「世の中は私みたいに聞こえる人ばかりじゃない。思っていることを声にすることって、案外大事なことだからね」
今にして思えば、伯母は聞こえていたというよりも、物凄く察しの良い人だったのだろう。前後の会話や相手の仕草、表情。指や目の動きなどを読み取ることに長けていた。
だから、伯母は独りだったのだ。
察しの良い人というのは、とても損だなと思う。
引きたくない場面でも気付いてしまうことで諦めざるを得なかったり、過度な能力を持ったばかりに周りから利用されるだけでなく、受け入れられずに拒絶されたりと、いい態度を取られることはあまりない。
本当は優しいはずの人にすらそんな態度を取らせてしまう自分が許せなくなった伯母は、人間関係をリセットするために仕事や近所付き合いの一切を辞めた上、夫に対しても自ら離婚を申し出たのだということを後に知った。
伯母にとっては好意も敵意も、自分の心を脅かすものでしかなかったのだろう。
そんな伯母に、どうして僕のことを引き取ったのか尋ねたことがある。
「子どもは分かりやすいから」
そう言った伯母の真意は、二十歳を過ぎた今でも僕には分からないままだ。
あぁ、こんな時に良くないな。
カフェで聞き耳屋にヒトとの縁について訊かれたことで、家族のことを思い出してしまった。
記憶を振り払うように「もし、伯母が聞き耳屋だったら」と想像してみたら、話す前に察してしまうのでは会話が発される前にやりとりを想像して記録しそうだなと、少し笑えた。