第三話(後)
大変お待たせ致しました。後編です。楽しんでいただけると幸いです。
現れた生物は犬だった。しかし子犬のような可愛らしいものではなく、大型で牙を剥き出しにして唸っている、明らかに普通の犬とは様子が違った。周りの人々は、突然現れた三体の大型犬を物珍しそうに眺めている。
「みなさん、ここは危険です。直ちにこの場から離れてください!」
ケンヤが大声で呼びかける。言われた通りその場から離れる人々もいたが、それでもまだ大型犬が気になって足を止めている人もまばらにいた。
「ケンヤさん、あれは一体……?」
「わかりません、ですが不穏な感じがします。被害が出る前に倒した方がいいでしょう。アズマさんも下がってください」
とても凶暴そうで、今にも襲いかかってきてもおかしくない大型犬が三体。美蘭も怖くなったので、少し遠くまで離れる。倒すとは言っていたがどうするつもりなのだろうか。先程ケンヤは能力について話してくれたが、ケンヤにもそういった能力があるのだろうか。なんにしても「倒す」ということは、きっと「戦う」ことを意味する。美蘭は不安でいっぱいだった。
次の瞬間、ケンヤの体が一瞬、眩い光に包まれた。しかし光が消えても、ケンヤの外見に変化はなかった。一瞬、ケンヤの身に何が起こったのか美蘭にはわからなかった。そしてケンヤは右手のひらを広げた。その手のひらから小ぶりの白色の拳銃が出現する。現れた拳銃を両手で握り構える。その瞬間、大型犬三体が一斉にケンヤに向かって走ってきた。その迫力に美蘭は竦み上がってしまう。ケンヤは引き金を引いて一発撃った。弾丸は三体のうち一体の頭部に命中し、倒すことに成功した。残った二体は勢いを止めずケンヤに飛びかかるが、ケンヤは移動して躱す。このままうまく戦えば、残り二体も倒すことができるだろうと美蘭は思った。周りの人々も、もはやスポーツを観戦するかのように見入っていた。
二体に減った大型犬の一体が再びケンヤに襲いかかろうと接近する。ケンヤは先ほどと同じように頭部を狙って引き金を引いたが、大型犬が寸前で動きを変えてしまったため命中しなかった。大型犬はケンヤに大きく飛びかかる。接近する大型犬の頭部に銃口を向けたケンヤはもう一体の存在を失念していた。
「………!?」
もう一体の大型犬がケンヤの右脚を噛みちぎった。右脚を失ったケンヤの姿を見て、美蘭は絶句し周りの人々はどよめいている。バランスが取れなくなったケンヤはその場で蹲る。体が震えていて、見るからにとても辛そうだった。逃げることができなくなったケンヤに、大型犬二体は容赦なく襲いかかる。ケンヤは銃口を大型犬に向けるが、不規則な動きをする大型犬には、なかなか狙いを定めることができない。一発撃ってはみたものの、掠ることもなかった。二体の大型犬が接近し、拳銃を握っていたケンヤの右腕を噛みちぎった。
「ぐぅ……!」
右脚に続いて右腕まで失ってしまった。さらにもう一体の大型犬に体当たりをされて、ケンヤは仰向けに倒されてしまう。そして大型犬二体は、倒れたケンヤの体を貪り始めた。美蘭はケンヤの腕が噛みちぎられたところから、もう見ていられず目を覆っていた。助けに行きたい気持ちはもちろんあるが、恐怖で全身が震えて動けないでいる。
その時、突然謎の爆発音が美蘭の耳に入った。さらに最悪な事態になってしまったのかと、美蘭はぎゅっと目を瞑る。しかしそれとは裏腹に周りの人々の歓声が聞こえてきた。恐る恐る目を開いて状況を確認した。目の前には倒れているケンヤの姿が、その近くに一人の女性が立っている。見慣れた女性、ユミカだった。ケンヤを襲っていた大型犬二体は離れた位置にいてフラフラと立ち上がり、唸り声を上げてケンヤではなくユミカに襲いかかる。ユミカは腕を広げると両手のひらに赤い大きな球を出現させる。めらめらと燃えている様子から、あれはおそらく火の玉だろうと美蘭は思った。ケンヤも、彼女は炎を操ることができると言っていた。大型犬の一体がユミカに飛びかかると、接近する大型犬に向かってユミカは火球を発射させた。さらに足元から接近してきた大型犬にも大きな火球をぶつける。火球は大型犬に直撃すると大きな音を上げて爆発した。先ほどの爆発音と同じだったので、ケンヤを襲っていた大型犬をユミカが攻撃したのだろうと美蘭は理解した。かなりのダメージを受けた大型犬は、うまく動けないでいた。ユミカはとどめを刺すように先ほどよりもさらに大きい火球を出現させる。かつて明乃がやっていたゲームで見た火炎呪文のような火球は、二体にまとめて直撃すると再び爆発を巻き起こした。
「………ッ!」
爆発によって生じた爆風が過ぎ去った後、そこにいたのは完全に動かなくなった二体の大型犬の姿だった。周りの人々から賞賛の声が上がったが、ユミカはそれを制止する。
「皆さん、この場の状況は大変危険でした。今後このような事が再び起こった場合は、観戦などせずに速やかに避難をお願いします!」
真面目な語り口に周りの人々は静かになり、散り散りにその場を離れていった。ユミカは倒れたままのケンヤのもとへと向かい、美蘭もケンヤのもとへ駆け寄った。ケンヤの姿を見た美蘭はひどく驚いた。大型犬二体に貪り食われ、顔の一部から体の大半を失った無惨な姿をしていた。美蘭は何と言葉も出せないでいた。
「酷くやられたわね。大丈夫?」
そんな無惨な姿のケンヤに対して、ユミカは慌てる様子もなく落ち着いた態度で話しかけた。
「はい……」
ケンヤの声はとても弱々しいものだった。次の瞬間、ケンヤの体が再び眩い光に包まれた。光が消滅すると、ケンヤの体は完全に元通りになっていた。大型犬に噛みちぎられて失ったはずの脚や腕も復活しており、戦う以前の状態まで戻っていた。美蘭は、その光景に呆然とする。あまりにも常識外れの出来事に、美蘭の理解は到底追いつかなかった。
復活した腕を使ってケンヤが起き上がる。
「ありがとうございます。助かりました」
「気にしないで、ケンヤくんはよく頑張ったよ」
ボロボロの状態だったはずなのに、ケンヤは何事もなかったように平然としている。美蘭はそんなケンヤに改めて声をかけた。
「あの、ケンヤさん。大丈夫なんですか……?」
「平気ですよ」
笑顔を見せる余裕があるケンヤに、美蘭は心底安堵した。
「でもケンヤくんは戦闘体を失ったから、家に戻ってシンヤと交代ね。アズマさんもケンヤくんと一緒に待機して」
「わかりました……後はお願いします」
「任せて、まずはあれから何とかしないとね」
そう言い、ユミカは視線を先程まで美蘭がいた場所を向く。見ると、そこは広範囲が凍ってしまっていた。無意識に美蘭の不思議な力が溢れてしまったのだろう。
「ああ、すいません……私また……」
「あれくらいなら、すぐに何とかなるから大丈夫よ」
ユミカは炎を操る能力を持っているので、彼女が氷を溶かすのだろう。再び迷惑をかけることに、美蘭は後ろめたさを感じた。
「それではアズマさん、行きましょうか」
後のことはユミカに任せて、美蘭はケンヤと共に家に戻ることにした。
***
夕刻、客間には美蘭とンネサカたちが集まった。今日の巡回の報告が始まった。
「まずは一つ目、黒いローブの男だが、今日も発見には至らず、目撃情報も一つもなかった。アズマさんの言っていた『チキュウ』という世界についても調べてみたのだが、一切情報がなかった」
ンネサカの言葉に、今日こそはと期待していた美蘭は、落胆に打ちひしがれた。元の世界についての情報が何もないた以上、唯一の希望は、美蘭をこの世界に連れてきた黒いローブの男性だけ。だが、それすらも見つからない。まるで、元の世界に帰るための唯一の道が閉ざされたような絶望感が、美蘭の胸を締めつけた。
「ルスリドも広いわけじゃない、捜索と聞き込みをしてない地域も僅かだ。ここまで情報がないとなると、もうルスリドにいないのかもしれない」
美蘭をこの世界に連れてきた男性が、もうこの世界にはいないのかもしれない。男性の方は、美蘭を探してはいないのだろうか。不安が胸の奥で渦巻く。
「あと一日。それでも成果が挙げられなかったら、ルスリドを出て異世界に行ってみるのも一つの手だ」
「わかりました……」
もし本当に男性がこの世界にいないのなら、いつまでもここに留まっていても意味はない。知らない世界へ足を踏み出すのは怖さしかないけれど、元の世界に帰るためには、それがベストなのだろう。美蘭はンネサカの意見を受け入れることにした。
「さて、明日もと言いたいところだがそうもいかなくなった、それが二つ目、今日現れた犬の件だ。ケンヤくんとユミカくんが対処してくれたおかげで被害はなかった」
するとンネサカは、何かを机上に置いた。置かれたのは三枚のカード。よく見ると、昼間ぶつかった男が落としたトレーディングカードによく似ている。そして、現れた犬の絵が印刷されていた。
「これがユミカくんが戦ったあと、犬がいた場所に落ちていてな。代わりに犬の姿がなくなっていたようだ。推測するに、この札から犬が召喚されたのだろう」
カードから脅威のある生物が現れる。美蘭の元の世界では絶対にありえないことが、今、現実に起こっている。その異常な状況に、美蘭は思わず息を呑んだ。
「私とアズマさんは、これと似たものを見ましたよ」
ケンヤの言葉に、三人が反応して美蘭の方を向いた。
「詳しく説明してくれないか?」
「はい。私と男性がぶつかった際に男性が落としたものと似ています。あの人は何かを企んでいる様子だったので、それを指摘したら逃げていきました。追いかけている途中で男性が何かを地面に投げ捨てると、煙の中からこの犬が現れました」
ケンヤが、男と会ったときのことを要約してくれた。
「ケンヤくんが見た札には何が描かれていたか覚えているか?」
「鳥のようでした。詳しいことはわかりませんけど」
「ケンヤくんとぶつかった男の特徴は?」
「赤い襟巻きをつけていて、それ以外は普通でした」
「そうか……」
ンネサカが腕を組み、しばらく黙り込んでいると、突然シンヤが「ドン!」と音を立てて机を叩き、立ち上がった。
「ンネサカさん。黒の男よりも、その男を優先して探すべきです。どうせそいつもルスリドを襲撃するに間違いない。十五年前の惨劇を繰り返さないように、俺たちはずっと活動してきたんです!」
美蘭は昼間の話を思い出す。多くの人々が犠牲になった、この世界の悲劇。同じような悲劇が起きようとしている今、シンヤがこれほどまでに躍起になるのも無理はないだろう。シンヤの力強い主張に、その場にいる誰もが強く頷いた。
「アズマさん、申し訳ないがこの件の決着がつくまで待ってもらえないだろうか。私たちはルスリドの平穏を保つのが役目、脅威が迫っているなら対処を優先しなければならない。どうかわかってほしい」
彼らは元いた世界で言う警察と同じ組織、個人の問題よりも、全体の治安維持を優先するのは当然のことだ。美蘭は迷わず頷いた。
「わかりました、私は大丈夫です」
美蘭はンネサカの要望を受け入れた。ンネサカは深く、紳士的に頭を下げた。
「それでは明日から、全員で分担して赤い襟巻の男の捜索だ。もう一枚の札を持っているなら、どこかで大型生物が現れるかもしれない。厳重に警戒して、なんとしてでも阻止するんだ!」
「「「はい!」」」
ンネサカ以外の三人の声が重なり、客間に響き渡る。役目を果たそうと、やる気に満ちている様子が伺えた。
「今日はここまでだ。シンヤくんとユミカくんは帰りなさい。ケンヤくんはアズマさんのことを頼むよ。私はもしものためにもう少し巡回をしてこよう」
報告会が終わると、それぞれ散り散りになった。美蘭は未だ自由の身ではないため、ケンヤに部屋まで連れていかれた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。初めての戦闘シーンですが、まったく自信がありません。どうか温かい目で見てください。
次回更新は一ヶ月後を予定しています。気長にお待ちいただけると幸いです。