第二話
かなり空いてしまいました。最後まで楽しんでいただけると幸いです。
東美蘭は、ゆっくりとまぶたを開けた。
(ここ……は……どこ……?)
目に映ったのは、見慣れない天井。ベッドの上で体を起こし、辺りを見回すと、やはり自分の部屋ではない。一瞬戸惑うが、すぐに昨日の出来事が脳裏をかすめた。
黒いローブの男性に出会い、気づけば異世界へと連れてこられていた。わけもわからないまま見知らぬ街をさまよい、ガラの悪い男たちに絡まれ、挙句の果てには謎の力が目覚め、その力で少女を傷つけてしまった。そして今、美蘭は警察のような組織に軟禁されていた。状況としては最悪に近い。それでも食事も寝所も用意してくれたので、全てが最悪という訳でもない。
目が冴えたので、美蘭はベッドから出る。出たところでやれることは少ない。昨日から制服のままなので着替える必要はなく、部屋から出ることもできない。そのため、ベッドに座って誰かが来るのを待っていた。しばらくすると、ドアがノックされる音が響いた。扉を開けると少女が立っていた。少女の左目は昨日と変わらず閉じられていた。左目が見えていないと言っていたが、もしかして噓なのではないかと不安になってしまう。
「おはようございます。朝食をお持ちいたしました」
少女は穏やかな声でそう言い、お盆に乗せた朝食を机の上に置いた。
「しばらくしたら、また取りに戻ります。ゆっくり食べていいですからね」
一言添えると、少女はすぐに部屋を出て行った。空腹を感じていた美蘭は、用意された朝食をいただくことにする。お盆の上には、パンと卵料理とサラダが乗せられた皿と、牛乳と思われる白色の飲み物があった。見知らぬ世界で、こんなにも普通の朝食が出てくるなんて――妙に安心した。出された朝食に手を合わせてから手をつける。
食べながら、美蘭は今後のことを考えてみる。
この世界に来た原因――黒いローブの男性を見つけなければ、元の世界に帰れない。しかし、今は軟禁状態で外に出られない。どうにかして許可をもらうか、それとも、無理をしてでも逃げるしかないか。
「ごちそうさまでした」
食事を終えた美蘭は、お盆を回収しにくる少女を待った。できれば、外出の許可をもらいたい。少女に直接頼んでもどうにもならないかもしれないが、試す価値はある。
再びドアがノックされ、少女が顔を覗かせた。
「すみません。食べ終えたらで良いので、一緒に来てもらえませんか?」
・・・・・。
少女に連れられ、案内されたのは、昨日と同じ客間だった。中に入ると、すでに席についている二人がいた。美蘭に敵意を向ける灰色髪の男性――シンヤが正面に、昨日美蘭の精神的なケアをしてくれた水色髪の女性――ユミカがシンヤの左隣りに座っている。昨日主に美蘭と対話した中年男性――ンネサカの姿はなぜかなかった。一体どこへ行ったのだろうか。少女も遅れて合流し、シンヤの右側から離れた位置に座ると、シンヤが口を開いた。
「昨日の続きで、いくつか質問に答えてもらおうか」
昨日、謎の力で少女を傷つけてしまったことで中断された尋問の続きが始まった。
「他世界から来たと言っていたが、どこの世界から来た?」
言葉に詰まってしまった。自分の世界が“なんて名前”なのか、改めて問われるとどう答えればいいのか困ってしまう。
「日本……地球……? えっと……」
「はっきりと言わないか」
シンヤの鋭い声が、美蘭の体を硬直させる。思わず身をすくめた。
「ち、地球……です……」
震える声で恐る恐る口にすると、案の定、三人は首を傾げた。地球という名に、聞き覚えはないらしい。
「聞いたことのない名前の世界だな。なにかごまかそうとしてるんじゃないか?」
「え、えっと……」
言葉を続けられないまま、美蘭は視線を伏せる。シンヤの冷たい視線が突き刺さり、美蘭はさらに身を縮めた。シンヤは腕を組んで美蘭を睨みつけながら、たたみかけるように尋ねる。
「まあいい、次だ。ルスリドに来た理由は?」
「えっと、来たと言うか……黒いローブの男の人に、連れてこられました……」
「その黒いローブを着た男は、昨日君と会った時点で見てないぞ。どこにいる?」
「わかりません。この世界に来た時にはぐれてしまって……」
「関係は?」
「昨日、初めて会いました……」
沈黙が落ちる。シンヤの視線は突き刺さるように美蘭の胸をえぐった。美蘭の言葉を信じていないことが、ありありと伝わってくる。
「ユミカ、やっぱりこの子、追い出す方が良くないか? 話が怪しすぎる」
美蘭の胸がぎゅっと締めつけられる。もしこの地から追い出されてしまったら、黒いローブの男性を探す手がかりを完全に失ってしまう。
「だめ。ンネサカさんはこの子の良心を信じたいって考えでしょ。監視を緩くしても逃げなかったし、危害を加えるようには思えないわ」
「だとしても部外者だ。彼女が、あの十五年前の惨劇の再来になるかもしれないんだぞ」
なにやら美蘭の処分について口論が始まってしまった。意見が二極化してしまい結論がなかなかまとまらない。美蘭はチラリと少女を見る。少女は口論に参加せず、ただ二人を片目で見ているだけだった。彼女がどちら側につけば多数決で決まると思ったのだが、二人の決着を待つつもりだろうか。と思ったその時、少女は美蘭と目を合わせて口を開いた。
「あの、見知らぬ黒いローブの男性にルスリドに連れてこられたのですよね?」
ピリついた空気を割るように、少女の静かな声が響いた。
「は、はい」
「その方があなたを連れてきた理由があるなら、今もあなたを探しているかもしれません。見つけられれば、なにかがわかるのではないでしょうか?」
少女の意見は美蘭の目的と一致していた。
「確かに。黒いローブを着ているなら目立つから、簡単に見つかるかもしれない」
「その男にならケンヤの能力も効くだろうし、存在するなら探してみる価値はあるな」
二人とも少女の意見に肯定的だった。目的だった黒いローブの男性を探してくれる協力者が思わぬ形で現れた。
「じゃあ、いつも通り巡回しつつ例の男を捜索しよう。今日の待機番はケンヤだから、俺とユミカで行こう」
協力的な人たちに、ただ任せきりにするわけにはいかない。美蘭はいてもたってもいられず、思わず声をあげた。
「あの、私も黒いローブの男性を探してて、一緒に探してもいいですか?」
「それはだめだ。危険性がある以上、きみを自由にはできない。ケンヤと共にここで待機してもらう」
仕方がないとわかっていても、少し悔しかった。それでも、探しに行けない代わりに探してくれるのはとてもありがたい。大人しく言うことを聞いて待機することにする。
「ケンヤはンネサカさんが帰ってきたら、事情を説明してくれ。俺たちは行ってくる」
「はい、二人ともお気をつけて」
シンヤとユミカが部屋から出て行き、美蘭は少女と二人きりになった。軟禁生活が始まってから、誰かと部屋に二人きりになるのは初めてだった。美蘭はそっと向かいに座る少女を見つめた。色々と気になることがあり、話しかけてみようかと考えた、その時――
「えっと、確かアズマ、ミランさんでしたよね?」
少女の方から先に声をかけてきた。昨日、名前を言っていたのを覚えてくれていたらしい。
「シンヤさんから“知り合うのは控えて”と言われているのですが、今更ですが自己紹介しますね。私の名前はケンヤです。よろしくお願いします」
少女――ケンヤは丁寧に頭を下げた。釣られるように、美蘭も頭を下げる。先程までシンヤが“ケンヤ”という名前を口にしていたが、彼女のことのようだ。しかし、美蘭の心は少女の名前に引っかかっていた。ケンヤ? 男性の名前では――
まるで心を読んだかのように、ケンヤが先に口を開いた。
「えっと、私、男です」
ケンヤは困ったように眉を下げたが、その表情にはどこか慣れたような諦めがあった。
あまりの衝撃に、美蘭は思わず固まった。昨日からケンヤを“彼女”として見ていたが、低い身長に華奢な体つき、声も服装も可愛らしく、どう見ても少女そのものだった。まるでからかわれているのではと疑いたくなるほどだった。
「あ、えっと……ごめんなさい……」
「構いませんよ。いつも間違われますから。理解していただければそれでいいんです。それと、先に言っておきますが、十八なんです」
本人は気にしていない様子だった。それでも美蘭は、まだ心の整理が追いつかない。これほどまでに“少女のような少年”がいるなんて。しかも、自分よりも年上。とても信じがたかった。
「それよりもアズマさん、アズマさんがいた世界のこと、教えてくれませんか?」
話題があっさり変わった。美蘭の戸惑いを気遣ってくれているようにも見えた。元いた世界について教えてほしいとのことだが、どう説明すればいいのか、美蘭は困ってしまった。
「えっと、確か百九十六くらい国があって、七割くらいが海でできていて……」
とりあえず、思いついたままに星の構成を語ってみる。すると、ケンヤは目を丸くして、しばらく黙り込んだ。
「私もワールドの全てを知っているわけではないのですが、一つの世界にそれだけ多くの国があるなんて、すごく珍しいですね」
美蘭は昨日からずっと違和感を感じていた。それは、ケンヤたちが“異なる世界の存在を当然のように受け入れている”ことだった。
「あの、私……別の世界から来たなんて、おかしなこと言ってるのに、不思議に思わないんですか?」
ケンヤはぱちくりと瞬きした。美蘭はそんなに変なことを聞いたつもりはなかったのに。
「アズマさん、もしかして、ワールドをご存知ないのですか?」
“ワールド”……聞き馴染みはある言葉だが、知らないとおかしい単語なのだろうか。ケンヤの問に、美蘭は思わず首を横に振る。
「ワールドというのは――」
その時、玄関の方から物音がした。誰かが帰ってきたようだ。扉が開き、現れたのはンネサカだった。
「ん? ケンヤくんとアズマさんだけか」
「ンネサカさん、おかえりなさい 」
朝から姿を見せなかった人物に、ケンヤが駆け寄り、ここまでの出来事を報告した。
「なるほど。黒のローブを身につけた男だな。私もすぐに行くとしよう」
すぐに出かけようとするンネサカを、ケンヤが呼び止めた。
「ちょっと待ってください。アズマさんなんですけど、どうやらワールドをご存じないようなんです」
「ん? ワールドを知らない?」
ンネサカにも驚かれてしまった。どうやら、この世界では、常識以前の知識らしい。
「私も詳しいわけではないので、代わりに説明をお願いできますか?」
「わかった。アズマさん」
ンネサカは少し表情を和らげ、語り始めた。
「ワールドと言うのは、私たちの呼ぶ“世界群”の総称でね。全部で百七十九の世界がある。それぞれ別の空間に存在していると言われていて、陸続きじゃないが、ホールと呼ばれる穴を通じて行き来できるんだ」
百七十九の異なる世界。それらを一括りにワールドと呼ぶ――どうやら美蘭は、そのうちの一つ、“ルスリド”という世界に来てしまったようだ。美蘭の元いた世界では異世界なんて空想にすぎなかったのに、ここではそれが現実として扱われている。美蘭は呆然とケンヤとンネサカの顔を見比べた。異世界という概念がここまで当たり前のように語られることに、脳の処理が追いつかない。
「それにしても、ワールドを知らないとは……教育が行き届いていない世界ですら知っている、一般常識なんだがな……」
ケンヤとンネサカの視線が美蘭に向けられた。まるで怪しい存在を見るかのように。
「とにかく、私も巡回に行くとしよう。黒のローブを身につけた男が見つかれば、色々とわかるだろう。ケンヤくんもよろしく頼むよ」
「はい、お気をつけて」
ンネサカはドアを閉めて去っていった。再び二人きりになると、ケンヤはじっと右目で美蘭を見つめてきた。その視線がどうにも落ち着かず、居心地の悪さに、美蘭は今すぐこの部屋から出たいとすら思った。
「私は、アズマさんが悪いことをするような人とは思えません」
ふいに、ケンヤが独り言のように呟いた。ケンヤ美蘭を信じてくれている――その言葉に少しだけ救われた気がして、美蘭はそっと胸に手を置いた。
***
窓の外はすでに夕闇に包まれ、赤紫から深い藍色へとグラデーションを描く空が、静かに一日の終わりを告げている。その時、外に出ていたンネサカたちが戻ってきた。ほどなくして、部屋に全員が集まり、報告の時間が始まった。
「一通り巡回し、街の人たちにも聞き込みをしたが……黒いローブの男を見かけた者はいなかった」
ンネサカをはじめシンヤとユミカも、黒いローブの男性を見つけることはできなかった。美蘭の胸に、じわりと重い鉛が流れ込むような失望が広がった。頼みの綱だった報告は、なんの成果もなかった。
「まだ探し足りないのかしら……」
「そもそも、この女性が噓をついている可能性もある。ケンヤ、今日一日で怪しい行動は見られたか?」
「いえ。アズマさんは大人しく部屋にいましたよ」
ケンヤが即答する。だが、状況は好転しない。黒いローブの男性が見つからなければ、美蘭が疑われるのは当然の流れだった。
「とにかく、明日も引き続き探すとしよう」
「明日探して見つからなかったら、嘘をついたということでこの女性をルスリドから追い出すで構いませんね?」
その言葉に、美蘭は全身の血の気が引いていくのがわかった。喉が張り付き、恐怖で足がガクガクと震えだす。このまま異世界に追放されてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。
「ちょっと待って。それはさすがに酷すぎる。今日だって、なにも怪しいことはなかったんでしょ?」
「ユミカは楽観的すぎる。部外者に情をかければ、十五年前と同じ惨劇を繰り返すことになる」
ユミカは美蘭を庇ってくれるが、シンヤは冷たい視線を美蘭に向け、バッサリと言い放つ。彼の“よそ者”に対する敵意はあまりにも強すぎる。
「シンヤくんの気持ちはよくわかるが、悪人とも思えないアズマさんを無碍に扱うこともできない。もう少し調べたいことがあるから、あと二日待ってほしい。それでも成果を挙げることができなかったら、またその時考えさせてほしい」
「……わかりました」
ンネサカの提案に、シンヤは渋々頷いた。美蘭に残された猶予はあと二日。なんとしてでも目的の男性を探し出さなければならない。
「そういえばンネサカさん。今朝は代表さんに呼ばれていましたよね? なにかあったのですか?」
話の空気を変えるように、ケンヤが問いかける。美蘭もなんとなく耳をそばだてる。
「大したことではない、近況報告をしてほしいとのことだった。一応アズマさんのことも報告しておいた。こちらに一任すると言っていたよ」
代表……ンネサカよりも偉い人なのだろうか。警戒心が芽生える一方で、漠然とした好奇心も湧いてくる。しかし、今はそれどころではない。まずはこの窮地を乗り越えなければ。
「今日もご苦労だった。シンヤくんもユミカくんも今日はもう帰りなさい。ケンヤくんはアズマさんを部屋に連れて行ってくれ」
「はい」
こうして報告会議は終わった。ケンヤに付き添われ、軟禁状態の部屋へと戻る美蘭の胸には、残り二日という短い猶予と、漠然とした不安が渦巻いていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。次回更新も未定ですがぜひ楽しみにお待ちください。