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第一話(中)

 突然の強い光に、美蘭は反射的に目を閉じた。ゆっくりとまぶたを持ち上げると、そこは先ほどまでいた場所とはまるで異なる世界だった。


「……え、えぇっ!?」


 足元に広がるのは時代がかった冷たい石畳。見渡せば、古い木造の住宅が所狭しと建ち並び、まるで時間が止まった昔の町並みのようだ。美蘭は思わず、周囲をきょろきょろと見回した。胸の奥に、じわりと不安が広がっていく。


(ここ……どこ……?)


 自分の居場所を確認しようとスマートフォンを取り出すが、画面には「圏外」の表示。GPSも反応せず、地図アプリは虚しく灰色の画面のままだった。途端に背筋に冷たいものが走る。


(ここはどこなんだろう……)


 改めて周囲を観察する。古風な景観とは裏腹に、通りを行き交う人々は皆、現代的な服装をしていた。どうやら時代そのものが違うわけではなさそうだ。 


(そうだ……さっきの人は……?)


 ここに連れてきたであろう黒いローブの男性に話を聞こうとしたが、見回しても近くにその姿はなかった。困惑は止まらない美蘭だったが、状況を理解するために黒いローブの男性を探しつつ、誰かに話を聞こうと決めた。行き交う人々の中から話しかけやすそうな人を探す。


「あの、すみません」


 通りがかりの温厚そうな男性に声をかけると、彼は足を止めて応じてくれた。


「ん? なんだい?」


「ここってどこですか?」


 男性はきょとんとした顔で美蘭を見る。


「ここって、この世界のことかい? ここはルスリドだよ」


「ルス……リド……?」


 聞き慣れない地名に、美蘭は思わず眉をひそめる。頭の中が疑問符で埋め尽くされる感覚だ。


「えっと……何県ですか?」


「けん? それは、いったいなんだい?」


 意味が通じず互いに困惑が顔に出る。


「お前さんは、いったいどの世界から来たんだい?」


「せ、世界……?」


 突飛な言葉に美蘭の思考が一瞬止まる。


「日本? うーん?地球……?」


「すまないが、おじさんじゃわからないや。他の人をあたってくれ」


「そうですか……ありがとうございました」


 お礼を言ってから次の人を探す。少し焦燥感が募ってきた。


「すみません、この辺りで黒いローブを着けた男の人を見ませんでしたか?」


 声をかけた女性は首を横に振った。


「見たことないね。そんな目立つ格好なら覚えてると思うけど」


「そうですか、ありがとうございます」


 女性は去っていった。美蘭は気を取り直して情報収集を続ける。


・・・・・。


 昼下がり、太陽が西に傾き始めた頃、美蘭は広場のベンチで休憩していた。膝には、すでに中身が空になった昼食用の弁当箱が置かれている。


「はぁ……」


 ため息が漏れてしまう。これまでに何人もの人々に尋ねた結果、ここが日本でも外国でもない、どうやら「別の世界」らしいことだけが判明したいた。


(パラレルワールド、って言うのかな……)


 そういえば、瑞香がそんな話をしていた気がする。複数の世界が同時に存在する、という空想のような理論。


(どうしたら帰れるんだろう……)


 この世界に来た理由も、帰る方法もわからない。スマートフォンを起動すると、画面には見慣れた時刻表示が静かに浮かんでいた。現在、午後一時過ぎ。いつもなら、学校の賑やかな昼休みを過ごしている時間だ。このままわけのわからない世界に居続けるわけにはいかない。早く帰らないと両親がきっと心配する。


(やっぱり……あの男の人を探すしかないのかな)


 黒いローブの男性だけが手がかりを持っているはず。美蘭は空になった弁当をしまい、ゆっくりと立ち上がろうとした。その時――


「ねーねー、そこの綺麗なお姉さん」


 声がかかり、顔を向けると、明るい髪色と派手な服装をした若い男性が二人、にやついた顔で立っていた。


「うお、やっぱ綺麗じゃん」


「こんなところでなにしてんの?」


 美蘭の容姿を見て楽しそうに笑っている二人の男性からは、見るからに質の悪い印象を受ける。これは間違いなく、ナンパだと直感した。その証拠に男性たちの視線は顔から少し下を向いている。美蘭はわかりやすく嫌な表情を見せるが、内心は恐怖を感じていた。美蘭は元来男性が苦手で、特におちゃらけている人や特定のものに対する熱烈な信者には強い苦手意識がある。一刻も早くこの男性たちから離れる必要があった。


「私、急いでいるんで……」


 素早く立ち上がりその場から去ろうとする。しかしそれだけで男たちが諦めることはなく、美蘭の後をしつこく追ってくる。


「ちょっとくらいいいじゃん。遊ぼうよ」


 男たちは執拗に、美蘭のすぐ後ろを追ってくる。少しでも刺激すれば何をされるかわからず、美蘭はひたすら恐怖心を隠して無視を貫いた。人の多い場所に行けば、なにかされても誰かが助けてくれるかもしれない――そう思い、美蘭はひたすら人通りの多い場所を目指す。その間にも男たちはしつこく話しかけてくる。


(離れてくれないかな……)


 やがて人通りの多い場所までくることはできたが、依然として男たちはついてくる。走って逃げれば振り切ることができるだろうか。そうした膠着状態の中、突然――


「なあいつまで無視すんだよ!」


 イラついた荒っぽい声でそう言われてから男が美蘭の腕を掴んできた。がっしりとした力に息が詰まる。しかしその直後――


「……!?」「な、なんだこれっ!」


 美蘭の腕を掴んだ男の腕が、手首からみるみるうちに凍り始めたのだ。あまりにも突然の出来事に、美蘭も、二人の男も、皆が言葉を失った。やがて男の右腕は分厚い氷で覆われてしまった。男は勝手に凍りついたのか、それとも自分が引き起こしたのか、美蘭にはまったく理解できなかった。


「うわあああ!腕が!」


「てめぇなにしやがる!」


 恐怖と怒りに顔を歪ませたもう一人の男が、醜く本性を露わにして殴りかかってきた。いきなりのことで防ぐことも回避することもできず美蘭は固まって動けないでいた。


「痛ってぇっ!?」


 しかし、その拳は美蘭に届くことはなかった。よく見ると、美蘭の目前に氷でできた透明な板のようなものが、音もなく宙に浮かんでいたのだ。男の拳はそれに遮られたようだ。かなりの強度だったのだろう、男の手は赤く腫れあがり、余程の激痛に耐えているのか片手で強く押さえていた。氷の板は美蘭を守ってくれたようだが、先程の凍結といい美蘭にはまったく身に覚えがない。


「こ……こいつやべぇ……!」


 二人組の男は一目散に逃げ出した。不思議な氷の力によって助けられたが、もちろん自分がこんな力を持っているはずがない。一体誰が助けてくれたのか、美蘭は周囲を見回して見る。


(え……?)


 周囲の人々は皆なぜか美蘭を避けている。まるで美蘭を恐れているかのように、人々は蜘蛛の子を散らすように離れていく。程なくして、あれだけ賑わっていた広場はあっという間に閑散としてしまった。助けてくれた人がいないとなると、この不思議な力はどこから出てきたのか。そう思った時、ふと足元から白い冷気が立ち上がっていることに気づいた。


「……!?」


 見ると、なぜか美蘭の足元の地面が、じわりと凍結し始めていた。その凍結の範囲は、美蘭を中心にじわじわと広がっていく。なぜ自分の足元だけ地面が凍ったのか、理解できない美蘭は怖くなりその場から離れた。


(え……!?)


 しかし異変は治まらない。美蘭が踏んだ地面までもが凍り始めた。どれだけ場所を変えても、美蘭が踏みしめた地面はことごとく凍結してしまう。気づいた時には、まるで巨大な氷の絵を描くかのように、辺りの地面が全面凍結してしまっていた。


(なんで……どうして……)


 一体誰の仕業なのか、はたまた自分が起こしたものなのか。困惑が恐怖に変わった美蘭は逃げるように走り出した。


・・・・・。


 空が薄暗く、もうすぐ日が沈む黄昏時。美蘭は昼間とは違う広場のベンチに、ぐったりと腰を下ろしていた。


 冷気はあれからも収まらず、腰かけたベンチはカチカチに凍りついていた。さらに、足元や周囲の地面は数メートルにわたって凍結していた。広場を行き交う人々が異常な光景に目を見張り、じろじろと美蘭を見てくる。なんとかしたくても、今の美蘭にはどうすることもできなかった。


「………」


 げんなりとした表情で、美蘭は目を伏せる。今朝、探し物のためにいつもより少し早く登校しただけなのに――

 見知らぬ黒いローブの男性に気づけば、わけのわからない世界に連れてこられ、ナンパ男に絡まれたと思ったら、突然自分の中から得体の知れない力が溢れ出した。そして今もなお周囲に迷惑をかけ続けている。


 黒いローブの男性はどこに行ったのかわからず、元の世界に帰る手がかりもない。空腹と疲労が重なり、美蘭の心は限界に近づいていた。このまま、自分はどうなってしまうのだろう。そんな不安が胸を押し潰していく。


「君、ちょっといいかな?」


 不意にかけられた声に、美蘭ははっと顔を上げた。そこに立っていたのは、見慣れない服装をした男女二人組だった。一人は灰色の髪の男性、もう一人は水色の髪の女性で、どちらも美蘭よりも少し年上に見える。彼らの表情からは、敵意も好意も読み取れず、ただただ戸惑いが募る。目が合った瞬間、男性の方が口を開いた。


「ホルー広場で、女性が氷結能力を乱用したと聞いた。現場から凍結した地面を辿っていったら、君にたどり着いたのだが、何か心当たりはないか?」


「………」


 事件を調べているということは、この二人は警察のような立場の者たちなのだろう。美蘭は無言で目線を落とす。自分にこんな力があるなんて信じられない。でも、この状況で「知らない」なんて言っても通用しないことはわかっていた。だからといって、どう答えればいいものかもわからない。美蘭は沈黙を選ぶしかなかった。


「詳しい話を聞きたい。一緒について来てくれるか?」


 きっと、連れていかれるのは警察署のような場所だろう。ここで抵抗すれば、再び力が暴走してこの二人を凍らせてしまうかもしれない。それだけは避けたい。美蘭は静かに立ち上がり、大人しく二人に従うことにした。二人は美蘭を挟むように並び、逃げられないようにして歩き出す。


 だが歩くたびに、美蘭の足元の地面はことごとく凍っていく。氷の道に慣れていない通行人たちが、足を取られたり転倒したりと被害が出てしまっていた。それでも美蘭には、止める術はなかった。


 このまま罪に問われてしまったら――。黒いローブの男性を探すどころではなくなる。助けを求めるどころか、罪人として拘束されてしまうかもしれない。

 自分は、もう終わりなのかもしれない。美蘭は深い絶望に囚われていた。


「大丈夫だよ」


 不意に、左隣りを歩いていた女性が穏やかに話しかけてきた。美蘭は驚いて顔を上げ、彼女の優しげな瞳を見つめた。


「怖がらせるつもりはないの。ただ、ちょっと確かめたいことがあるだけ。一回落ち着いて深呼吸してみようか」


 言われるまま、美蘭は大きく息を吸い込み、吐き出す。何度か繰り返すうちに、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。


「心配しないで、大丈夫だから」


 ――この世界に来てから、初めて誰かに優しくされた気がした。先の見えない状況に変わりはないが、ほんの少しだけ、胸の重さが軽くなる。ふと気づけば、歩くたびに凍っていた地面も、いつの間にか氷を作らなくなっていた。

長くなりましたので分割しました。次話もお楽しみいただければ幸いです。

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