80:腸
「さて、あなたの腸を晒してもらいましょうか」
年間に配信される無数のアプリゲームは二年以内にサービス終了するものが多いという。
初週でユーザーが集まった後は緩やかに落ちていく。
そんな中で生き残った、とある乙女ゲームがあった。
王道なら平民のヒロインが身分違いの恋に落ちて貴族の夫人や王妃になるシンデレラストーリーだが、これは真っ向から反対の道を行く。
「キミ色宝石に秘密のキスを」、通称キミヒミは「王妃なんてお断り!」がキャッチコピー。
意地悪な王太子に婚約者候補として選ばれてしまった公爵令嬢のヒロインが学園や街で出会ったヒーローと真実の愛を育み、身分を捨てて自分の幸せを手に入れる学園物語である。
婚約破棄しても心配ご無用、共に選ばれた優秀な異母姉こそが王太子にとって運命の相手なのだ。
詳しくは魔法の指輪や魔法使い魔女が絡む異世界物だが、内容はこんなところか。
異母姉の肩書は悪役令嬢だが、飽くまでもライバルとしての立ち位置。
全寮制かつ恋愛禁止という厳しい学園ではスキルを磨き続けなくてはいけないのだ。
例えば毎週末の外出許可は成績によるので、街での攻略対象に逢うには一定ラインを保つ必要がある。
ミニゲームで異母姉に勝つと起きるイベントなんかもありつつ、日頃の姉妹仲は非常に良好。
異母姉本人も王太子とのカップリングだって人気が高かった。
十万、百万とダウンロード数を超えるヒット作だった訳で母数が増えれば妙な者もそれだけ混ざり込む。
これは王太子のアンデシンに一目惚れした、とあるユーザーの話だ。
恋とは魔物であり、そのうちこの世の赤い物全てを見る度に赤い髪の彼と重ねる有様。
そうして沼へ転げ落ちるように深く嵌っていった末、ある妄想に取り憑かれていた。
というのも「アンデシンは表向きでは攻略対象ではないが、実は隠しルートがある」という眉唾の噂を鵜呑みにしてしまったのだ。
それからは寝ても覚めても昼夜問わず。
課金要素があるものだから、一発逆転で報われることを信じて金を注ぎ込んでしまうのはギャンブルの心理。
しかし幾ら注ぎ込んだところで、アンデシンとのエンディングはバッドエンドのみなので無意味。
それまでなら自己責任なのでまだ良かった。
問題はここから先のこと。
存在しないものを求めて時間と金を費やし、やがて苛立っての八つ当たり。
王太子のアンデシンと結ばれる異母姉のヴィヴィアを貶し、ヒロインのロードと結ばれる攻略対象全員を貶し、考察という形で悪意のある妄想を喚き散らすようになる。
いつからか全肯定で賛同する取り巻きが出来てリーダー格になり「自分が場の中心に居る」という快感に酔ってしまったことも一因か。
人は集団になると己の暴力性を強さとして誇ることがある、というものだ。
作品を腐す同士達で固まっていたものだから、もう腐敗は止まらない。
要するに、制作者や大勢のユーザーに対して喧嘩を売ってしまった訳だ。
それも世界中のどこからでも見られるネットで。
どうなるかって、玩具にされるに決まっている。
ヴィヴィアのことは開始早々の初登場から酷いと思っていた。
アンデシンが怒鳴ったのは、ヴィヴィアが普段から酷いことばかり言っているから耐え兼ねて言い返しただけに決まっている。
こんな人が王妃になるなんてゾッとしてしまう。
「ここ先に喧嘩吹っ掛けてきたのアンデシンなのに、アンロー推しの人にはどう見えてんの……怖……」
「酷いことも何も、ヴィヴィア姉様は人として当たり前の忠告しかしてないよ。アンデシンみたいにこんな暴言吐いたら園児だって叱られるわ」
「メタ的に見て、ここは"王太子はモラハラ野郎だ!確かに結婚しちゃ駄目だわ!"ってユーザーに分かりやすくする為のシーンだろ」
アンデシンは両親に愛されない可哀想な子供だった。
本当は聖人君子なのに両親の所為で意地悪になってしまっただけ。
ロードが心からの愛を与えれば道を正し、今度こそ二人とも幸せになれる。
「その意地悪でロードは死にかけたんだが……プロローグでロードが池に落ちたのは、アンデシンに突き落された所為って制作者の裏話ブログに書かれてたぞ」
「出たよ……"好きだから意地悪しちゃっただけ、許してあげて"って言うお決まりのやつ……」
「だから本編で親に見切りつけて、ヴィヴィア姉様と和解して幸せになっただろ」
アンデシンは治癒の魔法使いだった。
これこそ彼が聖人君子で誰より優しいという証拠だ。
「えっ、コイツ自分が魔法使いのくせにあの時ヴィヴィア姉様のこと魔女だなんて罵倒してたんか??」
「はいはい、悪口は自己紹介の法則ね」
「後々でアンデシンがヴィヴィア姉様に謝罪するシーンあるけど、控えめに言ってもドブカスじゃん」
あれだけアプローチされてたんだからロードだって満更でも無かった筈、照れているだけ。
パラメーターが上がらなくても娶るということは何の役に立たなくても愛してくれるのはアンデシンだけなのだから、これこそが本当の愛だ。
「自分を池に突き落とすような奴、どうやって好きになりゃ良いの?あれらがアプローチって完全に間違ってるし、女からすると恐怖しか感じないんだけど。モンスターに"お前美味そうだな"って言われてるようなもんよ?」
「アンデシンと結婚して王妃になるのはバッドエンドだっていうのが公式です。何の役にも立たない女が王妃って、国も終わるわ……馬鹿じゃないの」
「ロードはアンデシンに毛ほども矢印向けてないだろ、ありもしないものを捏造すんな」
「アンデシンの方も"ロードに執着してしまったのは母親と重ねていただけだった"と謝罪してるじゃん、もともとお互いに愛なんか無かったよ」
キャッチコピーは飽くまでも「王妃にならない」と言ってるだけ。
アンデシンだって王位を捨ててロードと幸せになるルートがあるって聞いた。
「そんなものウチにはないよ……」
「それ有名なデマじゃん、公式からも一刀両断されてたのにまだ信じてる人が居たんか」
「どのルートだろうとアンデシンが王太子になるのは変わりません」
もう良い、アンデシンとロードが幸せになる二次創作を書く。
同士達も「原作に負けるな」と応援してくれている。
「勝ち負けの問題だっけ?」
「あれだけボロクソ言ってたのに、憎くてたまらない作品の二次創作するの?」
続編の制作が発表された。
今度こそアンデシンのルートがある筈。
「次回作は約二十年後の世界だってさ。ていうか、アンデシンとヴィヴィア姉様の息子めっちゃイケメンだな!ママそっくり!」
「アンロー推しの人まだ息してる?」
「もうやめて!アンロー推しの人のライフはゼロよ!」
うるさいうるさいうるさい!
知らない知らない知らない!
誰も彼も皆死んでしまえ!
こうして勝手に燃えるが故に、反対意見は全て油と見做して引っ込みがつかないところまで炎上。
キャラクターのみならず制作者に対する誹謗中傷までも繰り返すようになり、常に憎しみだけで満たされて不眠や食欲不振が続く。
ストレス過多は免疫力の低下に繋がる。
心身共に弱っていたものだから恐ろしい流行り病に罹ったら悪化は実に早い。
高熱で数日苦しんだ末、気付けば肉体を離れて真っ白な空間へ放り出されていた。
そこには桜色の髪をした女が一人。
誰かに教えられる訳もなく理解すること。
ここは成り代わる登場人物の心の中、身体の主導権を奪い合う場。
そうして相手が戸惑っている間に殴り殺すと、覚醒した。
「キミ色宝石に秘密のキスを」の世界に。
ヒロインであるロードの母親、モルガとして。
時計塔前の池で母子揃って溺れるという事故から数日、状況が呑み込めてきた。
時間軸としてはロードが指輪を手に入れたばかりの子供で、ゲームが始まるより何年も前。
そのロードやアンデシンの乳母もまた自分と同じく彼を愛する転生者という。
ああ、これは恐らく神様からの贈り物に違いない。
不運な前世を哀れに思って下さったのだろう。
この頃、勉強の為にと王太子のアンデシンもまたナイト領に長期滞在していた。
それにしても幼い彼のなんと可愛らしいことか。
こんな愛すべき少年が幸せになれないなんて間違っている。
ネットで怒りをぶち撒けていた時は視野が狭くなっていても、やがて長い歳月を掛けても鎮火していき「実に馬鹿なことをした、あれは黒歴史」と羞恥や罪悪感を抱えて生きていく道もあったろう。
しかし燃えている真っ只中で死んでしまったものだから、ここでも熱はそのままにモルガとして暴走していく。
もともと王太子であるアンデシンを叱れる立場の者は少ないのだが、乳母と結託して厳しい家庭教師達は冤罪を着せて次々と追い出した。
こうして何をしても褒めて甘やかし、金品や嘘で周りに味方となる貴族の信奉者をつけ、モルガは彼を「愛される王太子」として原作を捻じ曲げ続ける。
それは溺愛という虐待だとは気付かず。
叱られることを知らない化け物が育つと考えもせず。
一国の王太子と公爵夫人による権力は強い。
やがてアンデシンを完璧な神とする、カルト宗教めいた異様な集団の始まりだった。




