67:市場
ヴィヴィアとノエ
11月後半から始まったロゼリットのクリスマスマーケットは12月を迎えてますます賑わっていた。
凛と冷えた青空の下、そこかしこに飾られた真昼の星が揺れては陽光を受けて夜よりも眩しい。
ここは鮮やかな赤と緑でどこを見ても華やか。
小さな店が肩を並べて、人々はクリスマスを祝う為の品々や贈り物を楽しそうに選ぶ。
相棒となったばかりの玩具を手に駆けて行く子供達の姿も。
正時刻に踊り出す時計台の人形達までもサンタクロースやトナカイなどの小さな服を着せられ、遠目にも可愛らしくめかしこんでいた。
この広いロゼリットにとって、花街という顔は飽くまでも一面に過ぎず。
実のところ「大陸で最大の歓楽街」として健全な飲食店やレジャー施設なども立ち並んでおり、国内外から多くの観光客がやって来ていた。
マーケットが開かれているのも立派な美術館の前に広がる公園なので、普段は静かなものである。
何も無かった筈の中央にも天まで聳えるツリーが立っており、まるで急に魔法で生えたかのような錯覚に陥ってしまう。
もうじき横のステージでもオーケストラがコンサートを開く時間。
「はぐれるから手でも繋ぎましょうか、キツネさん」
「いえ、お構いなくノエさん……」
交わす会話は寒さで白く染まる。
風は冷たくとも取り巻く空気は温かく、なんとも麗しい休日の午後。
社交界で顔が知られているヴィヴィアは今、白狐に化けて人混みに紛れていた。
どこで知った顔に遭うやら分からないのだ。
例のホワイトブロンドのウィッグでダークグリーンを注意深く隠し、大人びた顔立ちも化粧で描き直して儚げな印象。
あれ以来、別人になることはすっかり慣れていた。
新しいカフェオレ色のコートは絞ったホイップクリームを思わせる小さなフリルがさりげなく施され、大変可愛いらしくてお気に入り。
寒色系のビビッドカラーが似合うヴィヴィアでは着こなせなかったので、こうして変装するのは楽しい。
とはいえ一人で出歩くのはまだ少しだけ怖く、用心棒や案内も兼ねてノエが付き添っていた。
無表情なので涼やかながら、相変わらず受け答えが柔らかで話しやすい。
「ノエさん、本当に金髪だったのですね」
日頃ヴィヴィアが見慣れているノエという女性は、ミッドナイトブルーのアップヘアに下着のような格好やドレスで武装した艷やかなS嬢。
そんな訳で一目見た時、正直なところ誰かと思った。
今のノエは洗髪剤を落としたとかで、綺麗な淡いレモン系のブロンド。
ふわふわ波打つ地毛を生かしてハーフアップ。
グラマラスな身体のラインはサンタクロースを思わせる落ち着いた赤系のコートですっかり隠されていた。
フード付きなので首元がもこもこしていて少しばかり少女趣味な印象だが、薄いそばかすの浮いた童顔にはとても似合う。
「女は化ける」とよく言ったものである。
まさかこの純朴そうな可愛らしいお嬢さんがSMショーパブの歌姫だなんて誰も思うまい。
そして、ロゼリットの次期領主である伯爵の婚約者など。
「ノエさんも婚約者の方に贈り物ですか?」
「そうねぇ、いつも"別に物は要らないからケーキとかクッキー作ってほしい"って言われるから……良さそうな材料とか型とかあったら」
これが「魔獣」なんて呼ばれる屈強な男性からの発言とは。
確かにあの面会の日もドーナツを手土産にしていたので甘党らしいが。
それはさておき。
ヴィヴィアが来た目的は、月華園の面々へのクリスマスプレゼント。
この約一ヶ月分、ピアノで稼いだので懐も暖かい。
衣食住で引かれているとはいえ花街での給料は良く、月華園も貴族や金持ちが密かに集まるだけあって儲かっているらしい。
初任給を人の為に使ってしまう辺り、やはりヴィヴィアはお人好しの性分。
とはいえあまり高価な物では相手にとっても重いだろうからと、ちょっとしたお菓子など消耗品が良いのではとノエから提案された。
つい先日まで王太子の婚約者候補、及び公爵家の令嬢だったのだ。
世間的な一般常識は身に付いているとはいえ金銭感覚など価値観が平民とはやはり違うので、こうして助言があるとありがたい。
もう自分は月華園の草木なのだから。
そういうノエも自身も没落した貴族の生まれで、経緯は違えどもヴィヴィアと似たようなものらしい。
なるほど、伯爵家の嫁として迎え入れられるハードルは平民と元貴族では高さが異なる。
結婚で確かに身分は上がるものの、玉の輿というよりも貴族に戻る形か。
ただでさえ手も喉も荒れがちな冬、パフォーマーは商売道具を大事にせねばならない。
こうして選んだのは、赤と白が渦を巻いて一粒ずつ包まれたミントキャンディの大袋。
クリスマスといえばステッキ型のキャンディケーンなのだが、こちらの方が気軽に摘めて良いだろう。
それから小さな薬用ハンドクリームの缶を人数分。
どちらもマーケットでは手頃な価格で並んでおり、沢山買ったのでサービスもしてもらえた。
王都でのクリスマスマーケットは城を背景にして、確かに絵本のような光景だった。
しかし清潔感と高級感で隅々まで整い過ぎており、あまりはしゃげるような雰囲気ではなかったか。
比べてみれば、ロゼリットの方はもう少し大衆的かつごちゃごちゃと雑多。
何だか魔女の秘密道具でもどこかに紛れていそうで、自分だけの掘り出し物を見つけた気持ちになる。
つい浮かれて要らない物までも手に取ってしまいそうな。
クリスマスとはそういう魔法があった。
ノエもリキュールの小瓶やクッキー型を一つ二つと袋に詰め、目当ての物は手に入ったらしい。
不衛生だからと公爵家では禁止されていた屋台の飲食物。
いつぞやそうして叱られた記憶の中にある父の声を払って、湯気すら甘いホットチョコレートで暖まりながら一息。
オーケストラのクリスマスソングに耳を澄ます。
一通り回って、買い物も済んだ。
いつまでもじっくり見ていると時間が溶けてしまいそうなのだが。
「もう一軒、宜しいですか?」
恩があるので、特別に贈り物をせねばならない相手が居る。
誰よりも敬愛しているトワへ。
荷物を抱えながら入ったのはマーケットの外、近くの文房具店。
ここもクリスマスの飾り付けはされているが飽くまでも控えめで、静謐な空気を保っている。
今まで騒がしい場所に居たもので冷たい物を飲んだようにお祭り気分の酔いを覚ます。
あれこれと考え込んだが実用的で身近な物が良いだろう。
トワの名である杉石と鳥兜、どちらも紫色。
ヴィヴィアが選び取ったのはダークパープルの艶が美しい万年筆。
知的で涼やか、学園で一人マイペースに過ごしていたトワの居場所は花街にあった。
金手毬というパートナーが居たことだけが理由でない。
隣に立ちたいなんて烏滸がましいことも考えない。
この万年筆一本だけを渡して、もう初恋に似た感情も名前を付けずに手放そう。
恥ずかしいくらいに綺麗なまま曖昧なまま。
そして、ヴィヴィアは永遠に知らないままだった。
"これ"が後に何を引き起こすかなんて。




