62:崇拝
トワとレピド
花街に昼よりも明るい夜が訪れると、月華園の住人達も仮面と正装で着飾って客達を迎え入れる。
煉瓦造りの店には艶やかな音楽が満ちており、そこかしこの席で胸に秘めていた欲望を曝け出す語らい。
ショータイムの無い日でも、この異界には草木を名乗る好事家により妖しい花々が咲く。
一方で寮は人が出払って随分と静かなものである。
動き回っているのは就業後の住人達を応対する準備や明日の支度をしている寮母くらいだった。
故に、内緒話をするなら店よりもこちらの方が良い。
扉が並ぶ真っ暗な廊下に漏れる薄明かり一つ。
光源は応接室、人影は二つ。
オーナーのトワと花街の若頭であるレピド。
今日は「竜胆」としてでなく、仕事や諸々の話があって。
そもそもトワとレピドは学生時代から顔見知り。
彼女の実家、スギイシ商会はライト公爵家の御用達という後ろ盾あってこそ大きく発展した。
その縁により分家の伯爵家、当時の当主リナ・ライト女伯爵とも交流があり不思議とトワは気に入られていた。
この店も支援を受けてこそ乗っ取れた物。
当時トワは学生だった訳だが、母校は国の五大名門校の一つ、アレキサンドライト学館。
中等部にライト女伯爵のご令孫が入学してきたという話を聞いたのは、高等部二年生になった時のことだった。
とはいえそのご令孫ことレピドは妙な噂の絶えない問題児。
例えば入学早々、中等部三年生で素行不良のボス格である男子生徒と恋仲になって公衆の面前にて痴話喧嘩を起こしたとか。
というのは表向きの話。
卒業した今レピド本人曰く、真相はこうである。
昔から、目立つ新入生が素行の悪い先輩に喧嘩を売られるなんてよくある話。
場所は中高の生徒が集まる昼休みの中庭。
人目があるので顔を近付けながら脅す言葉を吹き込まれていたところ、その凄む表情が何だか可愛らしく見えたのでレピドからも引き寄せて思わず唇を奪ってしまったそうだ。
何を言っているんだと思うが、彼は両性愛者なのでここまでは真実。
突然のことなので男子生徒が狼狽えるのは当然のこと、顔を近付けて何やら囁いているところからキスシーンまではっきり見てしまった者も居たので何だどうしたと周りから注目を浴びたところでレピドが「お騒がせしてすみません、痴話喧嘩です」などと堂々とした態度で頭を下げたと。
場を収める嘘のつもりだったが、大変センセーショナルな話題だけに広まるのは早かった。
「思いつきで行動したら、あン時はキスした後の方が結構大変でしたね……"俺の方がボスのこと先に好きだったのに"とか言う奴が何人か現れて」
「ずっと何の話をしているんだお前は……」
「別に、ちょっとした思い出話ですよ。先輩こそモテてたでしょうに」
「……いや、どうだか」
強面で巨漢のレピドが「後輩だから」と敬語を使ってくるのが何だか白々しい。
今は悪ガキだった頃の面影がある表情。
それに実のところ、彼の指摘通り当時のトワも引く手数多であった。
ただし女生徒からであったが。
もともと学生時代から翻訳や出版の実績まであるので、文系の生徒達には一目置かれていた。
東洋人というだけで少し目立つ存在であり当時から短くしていた烏濡羽の黒髪に、中性的な線の細い容姿。
馬術に優れて長身で爽やかな女生徒も人気はあったが、文学少女はどちらかといえばトワのようなタイプに惹かれがち。
猫を被っているトワは至って知的で物静か。
その凛とした横顔に嘆息を漏らす。
平民にも門を開いているとはいえ、やはり名門校は貴族の割合が多い。
卒業したら嫁ぎ先の決まっているご令嬢ばかりなので、思春期の憧れや淡い初恋相手としては同性に惹かれてしまうこともあるのだ。
誰にも言ってないがトワも身に覚えなら。
「卒業と同時に二十も年上の男と結婚して自由が無くなるので、それまでは付き合ってほしい」と図書館でよく会う高等部の先輩から告白を受けたのは中等部の頃。
同情なら断った方が良いと分かっていながら受けてしまった。
何というか風にそよいでは舞い散る桜のようで目が離せず、危うさすら感じる人だったもので拒否を呑み込んだのだ。
果たしてトワとの日々は慰めになったか。
再び懐かしい名を聞いたのは最近のこと。
不祥事により没落したとある家は彼女の嫁ぎ先だった。
せめて幸せになってほしいと密かに思っていたが、それも叶わなかったようだ。
「……まぁ、スギイシ先輩は豚にもモテるようですが」
「イヤミか貴様」
そうして感傷に浸っていた時、レピドの妙な言葉。
反射的に睨み返してしまったが意味ならば分かっている。
トワ、否、鳥兜の熱心な信者に「枝垂桃」という男が居た。
月華園に通うことかれこれ十年以上。
レピドが豚と例えたくらいよく肥えており、鳥兜に縛り上げられて冷たくそう呼ばれる度に喜びで打ち震えていた。
要するに完全な骨抜きだった訳である。
それももう過ぎ去った話。
先月のこと、あまり衛生的でない娼館が一つ潰れた。
看板娼婦が病で亡くなり経営も危うくなった為、店主が頭を抱えていたところ「攫ってきた女に客を取らせてはどうか」という悪魔の誘いに乗ってしまったのだ。
結果、被害者は軽傷を負いつつも保護。
今は店主も誘拐犯も御縄にされたので心配無用。
その店主がお察しの通り、枝垂桃。
誘拐事件とはトワとヴィヴィアに起きたあの一件である。
ライト伯爵家の領地であり、ここは国で最大の花街。
色地獄とも呼ばれる大人の遊び場とは厳しいルールの上で成り立っている。
違反者を生き地獄に落とす役目を負いつつ、レピドも直接でなかろうと性的な搾取に関わっているという自覚や覚悟なら重々に。
さて、店主こそそれを分かっていながらどうしてトワとヴィヴィアを逃がしたのか。
SMは加虐と被虐の遊戯。
過激な行為ばかりに気を取られがちだが、その真価とは心を支配することにある。
哀れな男は成す術も無く、鳥兜の作り上げた劇場に引っ張り上げられて意思や言動までも呑まれてしまった。
トワは知らないが怒りを司る魔法使いのレピドもまた、その性質は支配者。
それこそ本気になれば数多の信者を作ることだって可能であろうけれど。
「ところで今日は夕食要らないのか?」
「いや、こっそり帰るわ……飼い主との貴重な時間あんまり奪っちまうとワン公が気の毒だし」
そうしてレピドは迷いなく背中を向ける。
婚約者の元恋人のことまで気に掛けるのは余裕なのか何なのか。
真っ暗な双眸のノエもだが「魔獣」なんて二つ名を持つ彼こそ、学生時代から相変わらず何を考えているのか分からない。




