55:茶会
金手毬とトワ
スリやパン泥棒をしながら孤児達で身を寄せ合って暮らしていた頃、その中のリーダー格で恋をしていた少年と一度だけ喫茶店のケーキを食べたことがある。
一人一つずつだというのにチョコとチーズのうちどうしても彼が選べなくて、両方買って半分ずつ食べた。
どれだけ時が経っても切なさで胸を締め付ける思い出。
楽しかった、幸せだった一時。
でも、あの時、本当は。
「ケーキ買ってきたぞ」
その日、トワが寮に顔を出したのは昼過ぎのことだった。
普段は月華園に居ることの方が多いものの、学園の仕事がある時は不在なので約二日ぶりか。
「んー……」
昼食を済ませた面々は各自好きなように練習や外出などで散った後、リビングに居たのは金手毬くらい。
読んでいた本から顔を上げると、曖昧な返事。
こういう場合「お帰り」なのか「いらっしゃい」なのか掛ける声はどちらが正しいのやら。
トワの方こそ「ただいま」や「お邪魔します」と言わないのでお互い様。
分からないままにしておいて、いつも両者は適当。
それよりケーキと言ったか、今。
「テマリ、お茶淹れてくれないか」
向かいの席に着いて、大きな態度。
確かに月華園のオーナーはトワなので実質一番偉いのだが。
「なによ、自分でやれば良いじゃないの」
「美味い淹れ方なら教えたろう?」
そうだ、その通り。
紅茶の淹れ方を教えてくれたのはトワだった。
他にも店の経営や接客、言葉遣いからセンスまで磨かれてここに居る。
ただ、自分も飲みたいので紅茶を淹れるのは賛成。
まずはたっぷりと湯を沸かす。
飲むだけでなくポットとカップを温めておく分。
一緒に暮らしていた仲間達全員が流行り病で亡くなると、生き残ってしまった少女は娼婦になるしか道があらず。
勤めた店が歴史あるショーパブだったのも昔の話。
この頃には、歌姫の中から夜の相手を選ぶ売春宿にすっかり変わっていた。
巻き髪にドレスで綺麗な格好をする生活が始まったが、これは飽くまでも商品としての装い。
毎晩舞台の上で歌うことになったが、これは「良い声で啼きますよ」とアピールする為のものなので歌自体が下手でもそれはそれで買い手は居る。
少女の場合、不特定多数の前に立っているというのに自分でも納得のいかないものを披露するのは我慢ならなかった。
自己流ながら頑張って喉を鍛え、せめて恥ずかしくない歌をと。
例え誰の心にも残らなかったとしても、最初に聴くのは自分の耳なのだから。
そんな時に、風変わりな客は現れた。
影を落とす帽子と身体のラインを隠す男物のコート。
短い黒髪に涼しい目元の中性的な顔立ち。
優男かと思いきや、厚底の靴を脱げば自分と同年代の少女だった。
東洋からの貿易商で財を成したスギイシ商会のお嬢様。
自分の欲望の為に、このショーパブを乗っ取りに来たのだという。
生い立ちも性格も好みも何もかも違い、普通に生きていたら交わることもなかったのに。
何故か気が合ったのも、長年の相棒になったのも不思議な運命。
「最底辺から抜け出したければ金持ちの寵愛を得ろ」というのが花街の真理。
嘘やお世辞を言えず、気が強い態度を崩さない少女にはきっと無理だった。
そういう意味ではトワと出逢えて良かったのだろうが。
「娼婦を囲って教養を身に着けさせて、って私まるでアンタの愛人みたいよね」
「いや、教えたのは別に私の為じゃない。教養なんてものは誰にでも幾らでもあって良いだろう?」
金に困ったことのないお嬢様の戯言。
そう思いつつも、その恩恵に救われた自覚があるだけに苦笑しか出来ず。
食う寝るだけでは獣と変わらない。
それが満たされた上での話だが、心と人生を豊かにする為にも教養は必要。
同時に欲なども出てしまうものの。
今だって若い頃に読んで感動した筈の本なのに、年を経て様々な物語に触れた後では全く違った響き。
そうこうしている間に湯も沸き立った。
茶葉と沸騰したての湯は人数分に合わせて。
蒸らすには砂時計で計り、茶漉しを使って均一の濃さにカップへ分ける。
トワも黙って待っているだけでなくケーキを皿に分けてフォークの用意完了。
季節の果実を使った定番からチョコ、チーズなどのケーキ、プリンやムースなど冷菓まで。
月華園が大成してからは誕生日どころか何でもない日にだって食べられる物。
その中で、トワの手がこちらに一皿を差し出した。
艶々した飴色のナッツが香ばしいフロランタンケーキ。
「テマリはこれで良かったか?」
「何かもう、ここまで好み知り尽くされてると却って気持ち悪いわ……」
本当はあの時、喫茶店で食べたかった物。
長年の相棒は「我慢するな」とばかりに与えてくれる。
随分と意地悪な返事に反し、表情と声は柔らかく。
かつての少女は月を浴びて生まれ変わった。
ここに居る女主人の名は、金手毬。




