53:首輪
薄荷と雪椿
完全会員制の月華園は踏み入れるまでのハードルが少しだけ高い。
特殊な場所だけに、初心者ほど仮面を気にしながら所在なさげにしているものである。
冷たく恐ろしげに見えるS嬢達も人の痛みが分かるからこそなれるものなので、話してみれば意外と親しみやすいが。
それでも出演者達はやはり少し別格かもしれない。
華となるショータイムは週に一度。
通常営業日は彼ら彼女らも舞台を降りて、客と近い距離でお喋りする。
ショーを観た客の中には気圧されて硬くなってしまったり、ファンになったからこそ興奮してしまったり。
皆それなりに接客も出来るが、中でも話しやすいのは薄荷である。
柔らかく癖のついたハニーブラウンの髪に大きめの垂れ目で甘やかな顔立ち。
普段は制服の胸元を少し開いて、名前に因んでミントグリーンの薄いカーディガンを上に。
ポールダンサーらしい細身の筋肉質を飾るのはピアスと重ね付けのチョーカー。
雰囲気も受け答えも穏やかで、表情豊かなので裏が無さそうという安心感がある。
例えるなら木漏れ日の森といったところか。
さて、この日は指名で雪椿も一緒の席についた。
同い年の彼は彼で違った種類の美しさ。
涼やかな長い銀髪に、垂れ目は共通しているがこちらは上品な顔立ち。
にも関わらず耳から背中までピアスだらけで噎せ返るような危うい色気を持つ。
例えるなら星空に覆われた雪原である。
他者が踏み入れることを許さず、足跡を残して良いのは一人だけと。
「僕のピアスな、全部ノエさんが開けてくれたんよ」
色付いた表情と声で雪椿が恍惚と誇る。
なんて幸せそうに惚気けるのか。
同じ物でも着こなしに個性が出るもので、雪椿は紺色のタンクトップに制服のシャツは羽織るだけ。
銀髪から覗く耳と背中に施されたコルセットピアスが何よりの特徴だった。
耳朶はトンネル状のピアスで大きめの穴を開けて、背中はリング状のピアスを埋め込んで、それぞれリボンを通して飾るのだ。
ピアスの数が多くて見るからに痛々しくも、病的な美を感じさせる彼にはよく似合っていた。
蝶々結びは薄紫というか、ラベンダー色。
ノエの髪を纏めるお揃いのリボン。
耳ならまだしも背中は一人じゃ無理なので、ご主人様にやってもらってるなんて言うまでもなく。
優美な外見と裏腹に雪椿は訛がある口調。
しかし方言は垢抜けない印象の反面、それはそれでどこか可愛らしさや色気が出る。
特にアルジェント地方は語尾などに柔らかさが出るので不快感を与えない。
その舌にも、ピアスが見え隠れ。
真ん中を打ち抜く丸い銀色。
雪椿が舌ピアスを開けた時のことなら薄荷も覚えていた。
あれは二年前のショータイムだったか。
肌に針を刺す姿は痛々しい美しさで見応え抜群。
毎回彼がピアスを開ける時は舞台の上で行うことになっており、妙に儀式めいている。
尤も、これはノエの命令でなく雪椿の方から申し出ること。
針を使ったプレイなら金手毬が得意だが、こういうことは傷を付ける過程こそが大事だけにご主人様でないと意味がない。
されるがままの雪椿より開通の度に勉強や練習させられるノエの方がよっぽど大変そうである。
まずニードルを始めとして手や道具は徹底して消毒、衛生が大事。
舌の太い神経は左右にあるので真ん中が初心者向き。
裏側の血管や筋に注意して、ゆっくりと垂直に刺していく。
あの時は誰もが固唾を飲んで見守り、薄荷まで息が詰まったものである。
動くと危ないことと演出もあって大袈裟なまでに拘束され、突き出した舌から大量の涎が垂れ流しになっていた雪椿は銀色の獣のようだった。
痛みか興奮か、荒い息遣いを繰り返す表情はまた恐ろしく艷やかに。
今日の客はノエと雪椿のファンらしく、惚気が聞きたいだけなので今のところ問題なさそうだ。
薄荷は飽くまでも接客のサポート。
というのも、雪椿が誰にでもにこやかなのは相手に興味が薄い所為。
恐らく次に会う頃、もう綺麗に忘れている。
とはいえ、ここは顔や本名を隠す場。
仮面や仮名を変えて容易く別人になれるので仕方ない部分もあり。
「ノエさんが居るところが僕の世界なんよ」
何故ここに勤めているのかという質問に、雪椿の答えは堂々と。
これだけ言い切れるのは従僕として幸福だろう。
「……ところで何か言いたそうなんね、薄荷君」
先程の客が帰った後のことである。
楽しく過ごしてもらって「またのお越しを」と玄関先で見送りを済ませると、雪椿は接客用の笑顔を引っ込めた。
訝しげな目を薄荷に突き付ける。
「なんかずっと神妙な顔してて、流石に気付くわ」
「いや、別に……羨ましかっただけだよ」
「薄荷君もノエさんに飼ってもらいたいん?」
「そうじゃなくてさ……僕は、飼い主達が居なくなっちゃったから」
ピアスから辿って自分でチョーカーに触れる。
いや、よく見れば輪の両端を留めるのは小さな錠前。
薄荷の首に絡まる細い黒革、それを正しく称すれば二本の首輪だった。
薄荷とカミィはサーカス出身。
その頃はポールダンスだけでなくエアリアルという演目で、吊り下げたフープや布に絡まる空中パフォーマンスもしていた。
また、空中ブランコもエアリアル・トラピスと呼ばれる。
サーカスの花形であり薄荷の恋人達のポジション。
冷徹な兄と小悪魔じみた弟、双子の少年。
相手が同性どころか複数人。
決して二股という訳でなく「三人でなら」という条件を提示してきたのはあちらだった。
サーカスは街から街への渡り鳥。
幼い頃から同年代の友人はなかなか出来なかったが、まさか恋人が出来るとは。
その実、薄荷に首輪を着けるくらいなのでお察し。
一言で表せば飼い主とペット。
閉ざされた人間関係の上に思春期だけに情欲が暴走しやすく、その所為か倒錯的なことになってしまった。
周りの大人達から見れば仲が良くて微笑ましくとも、人目を盗んでは色事に耽っていたものである。
そんな爛れた関係も終わる時は突然。
サーカスが潰れて団員は散り散り、音信不通。
探したくとももう生死すら分からない。
何年も共にしたのに手元に残ったのはほんの数枚の写真、所有の証として着けられた首輪。
それから18歳の頃に双子が左右に一つずつ開けたピアスは冷たいゴールドの金属パーツと薄荷の目に似た緑のガラス玉。
ここ月華園は出会いの場、踏み出せば新しいパートナーだって出来るだろう。
それでも胸に焦げ付いた恋は呪縛。
繋がりを失いたくなくて首輪もピアスも外せずにいる。
「だからノエさんのこと忘れられなかった雪椿さんの気持ちは僕も分かるかな……って」
「そうなん?まぁ、でも僕、どうせその話すぐ忘れると思うわ」
やはり相手に興味が薄い飼い犬は軽々と受け流す。
ああ、こんな反応なんて知っていたとも。
同情や共感など期待しちゃいない。
今はそれが丁度良くて、捨て犬も苦笑いは飽くまで柔らかく。
さあ、そろそろ店に戻らねば。
夜空に背を向けて異界へ引き上げる彼らの耳、ピアスは小さく月光を弾く。




