11:会議(トワ視点)
それでは会議を始めましょうか。
ここに住人を増やすか、それともお引き取り願うか。
「それより、もう食べて良いかしら?」
白蓮は言いたいことを我慢しない。
答えも待たず、いただきますの手を合わせてからベーコンエッグサンドに噛み付く。
会議なんて大袈裟に表現してしまったが、実際は何のことはない昼食の席。
夕方から開く月華園は丑三つ時に店仕舞い。
住人達は閉店作業が済み次第ベッドへ直行する生活。
寮まで渡り廊下一本なので、余程のことが無ければそれ以上遅くなることもない。
割りと規則正しく過ごしている者も中には居るが、大抵は昼前まで怠惰。
着席している面々は、女主人の金手毬を始めとした寮の住人達。
トワは自宅もあるが寝泊まりすることも多いので半分該当、何より今回の元凶なので強制参加。
何しろ行く当てのないヴィヴィアは住み込みになるのだ、昼夜を共にすることになる彼ら彼女らの意見も欲しいところ。
午後から来る通いの者達にはこれから意見を求めるとして。
ちなみにヴィヴィアは部屋で食事と合否待ち。
全員に売り込むには良い場かつ、一人では寂しいだろうけれども仕方ない。
どうしても一度は本人抜きで話をする必要がある。
「まぁ、平たく言えば鳥兜がまた他人の性的嗜好をブッ壊して人生変えちゃった話なんだけどさ」
「テマリ、言い方」
「アンタは前科が多すぎんのよ」
「ヴィヴィア嬢は兎も角、他の奴は私が壊したんじゃなく勝手に目覚めただけだろう……」
月華園で耽美な世界を作り出す者達も、今この場では素顔を曝け出して寛いでいる。
気品と艶を合わせ持ち、主として君臨する金手毬も同じく。
物言いは刺々しくドライ、トワに対しては更に遠慮なし。
歴戦のサディストとして業界で名を馳せる鳥兜ことトワも。
冷酷無比な緊縛師の彼女も、舞台から降りれば突ける隙間くらいある。
「あぁ、そういえば昨日鳥兜さん治療した時になんか女の子居たような気がするわぁ……あの子か」
スープで曇った眼鏡を拭いて、雪椿が独り言。
接客での彼はどんな相手にも穏やかにこやかに流し、人当たりが良いという評判。
それは実のところ他人への興味が大変薄い所為。
顔と名前をなかなか覚えず、そして誤魔化し方も手慣れたもの。
「僕はノエさんと同意見ってことにしといて」
やはりこの会議も良きに計らえの態度。
「ノエの飼い犬」というのが住人達の共通認識。
それだけ言って、食事に戻ってしまう。
雪椿は兎も角として、次の方ご意見どうぞ。
ヴィヴィアと接していた時間が長かったのは薄荷とカミィ。
第一印象では正直なところ冷たい美貌で気圧された。
とはいえ兄妹共にあまり人見知りしない上、ここは強い女性ばかりで慣れている。
店で呑むまでに打ち解けて、勿論賛成で二票が入る。
「というか、反対の人って鳥兜さん以外で特には居ないの?」
「それじゃ、これ正確には鳥兜さんを説得する会じゃない?」
こうして兄妹二人掛かりで畳み掛けられると、いよいよトワに味方が居ない。
駄目の一言だけでは押し切れそうもなし。
真っ直ぐ口説かれてしまったが、素直に受け入れるには場所が悪い。
「この伏魔殿に教え子を迎え入れるのは、なぁ……」
歯切れ悪く呟いて俯くと、何人か笑った気配。
決して馬鹿にしている訳ではなくても。
こういう時、臆さずトワに刺してくるのは金手毬の役目。
「保護者ヅラしてるけど、あの子はアンタとここで対等になりたいんじゃない?もう学園での関係は切れちゃった訳だしさ」
「保護者も何も、年長者が若輩者を守るのは当たり前だろう」
年齢で言えば、白蓮やカミィだってヴィヴィアとは一つ二つ程度しか変わらないのだが。
何より肝心な話、月華園の中でもピアニストなら比較的健全である。
店の雰囲気作りで演奏が必要なので、ショータイムが無くても仕事自体は毎日。
ただでさえ舞台上は客達と距離が離れており、仮面をすれば顔見知りであってもヴィヴィアだと気付かないだろう。
ピアノ以外ではデスクワークや数字にも強いので事務もやる気あり、ここは商会に行ってもうまくやれたであろう強みだった。
それでも箱庭育ちのご令嬢。
だからといってこんな花街の店でなくても、とトワが思っていると。
「ここに就職したくて貴族籍まで抜けちゃったお友達ー?元気良く手ぇ挙げて、正直にー!」
突然カミィがやたら明るい声で呼び掛ける。
まるで子供向けのショーの場面。
何事かと皆一様に吃驚して戸惑ってはいるが分かっている。
該当者が居るのだ、挙がった手は一つ。
「ほら、こうして前例あるし今更かなって」
カミィのテンションは何なのか。
もはやからかって遊んでいるのかとすら。
かといって「貴族籍を抜けてこの店に来た」という立場の者が居るのも紛れもない事実だった。
これを金手毬の言う前科と取るか、カミィの言う前例と取るか。
「そもそもの話、ピアニスト志望なら誰より意見を訊くべきなのは一人でしょ?」
誰が言ってもおかしくなかった、当たり前の意見がようやく挙がった。
そうして皆の視線が集中するのは音楽家である。
金手毬やトワより世代が上の四十代女性。
しかし年齢や人目を気にせず、お洒落は現役。
キャラメル色の長い髪を花刺繍のターバンで纏め、この国ではまだ珍しいアジアンエスニックの絞り染めワンピースを好んで着こなす。
大きくて丸い目が賢い栗鼠を思わせる顔立ちで、少女趣味だが甘いだけでなくスパイスが利いていた。
そんな彼女の名は蛇苺。
月華園のメインピアニストであり作曲家、歌劇作家。
寝ても覚めても創作意欲を漲らせ、この店でしか聴けない曲は数え切れない。
「使えるかどうかじゃなく、育ててみせるさ。弟子を取るのは久しぶりだけど責任くらい分かってる」
頼もしい物言いだ、これで終わればの話だが。
「この蛇苺さんの調教次第ってこと」
「だから、言い方」
加えて「芸術家は変わり者」の典型でもある。
長年この国のクラシック音楽界にも籍を置いている人物なのだが、どうも一言多い傾向。
「僕も賛成というか……是非、お願いしたいです」
ここで初めて自分の意見を出したのは蜘蛛蘭。
どうしたのかと思えば、ショーの後で偶然にもヴィヴィアと二人で話をする機会があったらしい。
煙草で噎せた背中を擦って介抱してくれたらしい。
火傷した指に濡れたハンカチで手当をしてくれたらしい。
それはそれは、少女の好む絵物語のような場面だこと。
「手当自体は雪椿さんにしょっちゅうしてもらってるじゃない、あなた練習やショーでよく怪我するし」
「いや、単なる手当ごときでそこまで思い入れ持たれるのは怖いわぁ……」
今まで食事に集中していたくせに、白蓮と雪椿はそこだけ口を挟む。
「違うんです、そこじゃなくて」
誤解されては困ると打ち払った上で蜘蛛蘭が続ける。
至近距離での会話で、不意に男装している女性だと気付いたらしい。
そこを指摘したら冷たく「お黙り」と言われたらしい。
何だか思っていた方と違う向きになってきた。
「その声が何だか、もう、凄くときめいてしまって……」
「私の教え子をそういう目で見るな」
薔薇色に染まる刺青の頬を手で隠し、恍惚を宿す目。
余韻を味わう少女じみた仕草。
無駄に顔と声が麗しく、何も知らなければ絵になってしまうのが腹立たしい。
「月華園に巣を張る蜘蛛」こと蜘蛛蘭。
現在、トワの弟子として修行中であり後継者。
緊縛だけでなく歌にポールダンス、接客から事務まで器用にこなしてしまう主戦力。
それは痛み苦しみを求めて自分を追い込むのが好きで、根っからのマゾヒストというのが実情である。
努力家というより過程を楽しんでいるうちに習得してしまっただけ。
なので、適度なところで待ったを掛ける者が近くに居なければ早死しそうな危うさも。
トワも実力なら認めており、真面目で誰にでも丁寧な態度は嘘でないと信用もしている。
無理にヴィヴィアを口説いたりはしないだろうが、彼女から高鳴りを感じ取ってしまったのは厄介。
どうも彼女は妙な者を引き寄せる。
学園でヴィヴィアが女生徒に囲まれていた理由。
孤高の魔女めいた公爵令嬢から微笑まれて優しくされると、自分だけ特別扱いと思い込んでしまう。
やがて勘違いだと分かると、気恥ずかしさで好意は敵意に反転する流れ。
ただしマゾヒストの場合、鞭は刺激的な飴でもある。
蜘蛛蘭はむしろ冷たい態度でも喜ぶ有り様。
「ここって顔の良い変態ばっかりだよね、本当に」
「それお前も含まれるのでは?」
「自覚くらいあるし、僕はいつでも美しいよ」
「あぁ、そう……」
冗談混じりとはいえ薄荷ですらこの調子。
綺麗なハニーブラウンの癖毛にしなやかな長身、愛らしい垂れ目の甘い顔立ちは妹と共通。
花で例えれば蕾のサーカス時代なんて、器量良し兄妹の軽業師コンビとして人気を博していたらしい。
自己肯定感が高いのは結構、しかしナルシストになってしまったのは成長し過ぎ。
ああ、まったく。
どいつもこいつも何かしら問題児。
月華園の開店準備は昼休みが終わってから。
ショーが無い日なので比較的気楽な空気で始まる。
通いの者もこの辺りが出勤時間。
更に、ステージの出演者達は毎日の練習も兼ねてもう少し早め。
そうして一番乗りのご到着。
やっと来た、彼女をずっと待っていたのだ。
トワだけではないけれど。
「良い子にしてた?」
「はい」
床へ両膝を着いて座り込む雪椿に、その銀髪を包んで撫でるのはノエである。
仔犬を愛でる優しい手と同じく。
ただし甘やかすだけでなく躾も忘れない。
幸福そうに見上げる彼が手を舐めようとすれば、舌のピアスを押して制止。
この二人は主にペットプレイの関係だった。
犬扱いに拘りがあるのは雪椿の方。
こうした日課は本当にじゃれ合い程度。
ただ、トワとしてはこれをヴィヴィアの目に触れさせると思うと不安。
止めはしないので、どうか隠れてやってほしい。
昨夜の舞台ではマスクで隠していたノエの素顔。
柔らかい頬の線に緩めの口許で隙があるにも関わらず、その大きな黒目は魔力めいている。
どこか退屈そうで、何を考えているのか分からなくて、相手を見透かすような色。
正面から真っ直ぐ向けられると畏怖すら。
そうでなくても、薄闇の色気が滲み出ているのだ。
こんな女性に支配されたらその者は狂う。
「相手の為に心を鬼にして突き放す、という手はやめた方が良いわよ。根性ある子だと却って燃えちゃうから」
「説得力あるな、経験者が言うと」
そのままで良いので、とヴィヴィアの話をすればノエの意見はこちら。
対するトワも昼食の席で散々だったので八つ当たりじみた意地悪な返答。
思い当たる節など有り余るノエは無表情でいられず、この時ばかりは恥ずかしそうに歪む。
それを見て、雪椿が声を殺して笑った気配。
ここから先はちょっとした内緒話。
雪椿に席を外させると、トワとノエの二人きり。
場所も変えて自室に呼び入れた。
「聞いたところによれば……そのヴィヴィアってお嬢さんは"この世界"での悪役令嬢ね」
真っ黒な目でノエが愉しげに微笑む。
さて、他の者とは出来ない話をしようか。
「王妃の座を争う公爵令嬢姉妹っていう貴族間の噂話では薄々勘付いてたけど、鳥兜さんの教え子って点で私達に繋がるとは思わなかったわ」
「そうだな、今まで店では学園の話しなかったし……」
「この場合は私達のお仲間っていうのが定式だけど、鳥兜さんから見てどう?」
「その可能性は薄そうだな、教えた日本古謡や海外民謡を始めとしてそれらしき反応は無かった」
こんな空気には煙草がよく似合う。
トワが一本咥えると、ノエの溜息が先に満ちた。
「残念ね、やっとこの世界のこと分かると思ったんだけど。こんな端役じゃ全然駄目なんだもの。ああ、でも定式通りなら妹の方が可能性は高いかしら」
「そりゃ学園に居るから接触自体は一応チャンスあるが、交流ないのにどうやって切り出せと?下手すれば頭おかしいとか警戒されるだけで終わるだろう」
「そうねぇ、仮にビンゴでも素直に喋るとは思えないし。拷問でも出来るなら楽なのに」
「そこは残念そうに言うな。それにお前、何でそんなに詳しい?」
一体ノエとは何者なのか。
聞いたことはあるのだが、理解の範疇を超えていて全ては呑み込めなかった。
仲間なんて言ってもトワとは違う次元の存在。
「元、処刑された正ヒロインでしたから。別の世界の話だけど」
返答はスカートの裾を広げて優雅な一礼で。
それ以上のことは何も語らずに。




