挿話Ⅱ とある勇者と反転世界
私は勇者――、人間を邪悪な魔王から救う選ばれし英雄。
仲間と共に世界を旅し、聖なる剣を手に魔物と戦い続けた艱難辛苦の日々。
そんな生き方を運命づけられた窮屈な存在。
それでも私は構わなかった。
救えた人々の幸福な未来がその先にあるのなら、私の命にも十分な価値があるのだと思えた。
何より仲間たちと世界を巡ることは楽しかった。
辛い別れもたくさんあったけれど、流した涙の数だけ強くなれた。
そして繋いだ絆の数だけ勇気を貰えた。
旅の途中に寄った村落で私は一人の幼い少年と出会った。
少年は両親を魔王の配下に殺されており、魔物に対し激しい憎悪を抱いていた。
しかし勇者である私は少年に「憎しみだけでは強くなれない」だとか、「両親もきっと君が復讐に生きることを望んでいない」とか欺瞞に満ちた冴えない言葉を掛けた。
いえ、あの時の私は本当にそうだと信じていた。
戦う理由が正義に悖る想いや思想では、その魂に真の強さは宿らないのだと思っていた。
それでも少年は私の拙い言葉を真っすぐに受け止めてくれた。
私は泣きじゃくる彼の頭を優しく撫でた後、世界を救うことを誓って握手を交わした。
その時、少年は不意に思った疑問を私に投げかけてきた。
『どうして魔王は……僕ら人間にひどい事をするの?』
私はその問いに上手く答えることができなかった。
だってそうでしょう――?
まだ会ったこともない魔王がなぜ、人間を苦しめ殺し、果てに世界を支配しようとしているのか私には知る由もなかった。
そんな思いと答えに至った発端なんて分かるわけがないのだ。
だから私は何の根拠もなく、身も蓋も無い〝魔王はそういう存在だから〟という投げ槍な答えを少年には伝えなかった。
そんな曖昧模糊とした回答を私自身が望んではいなかったから。
誰にでもきっと歴とした戦う理由や信念がある。それが相容れないものだからこそ争いが生まれ、他者を傷つけてしまうことになる。
魔王にもそういうモノがあるのだと私は漠然と思っていた。
それが魔王城に辿り着く前の最後に立ち寄った人里での出来事だった。
そして私たちは魔王と邂逅し、彼の答えを知ることとなる――。
凶悪な魔王の配下たちを討ち倒し、私たちは遂に魔王を追い詰めることに成功した。
私は彼の喉元に聖剣を突きつけながら、自分の中に蟠っていた疑問を投げかけた。なぜ人間を殺すのか、虐げるのか、支配しようとするのか。その答えを知りたかった。
『――人間になりたかった』
魔王はそう答えた。
私には意味が分からなかった。
困惑する私の顔を見て、魔王は全てを悟っているかのように小さく嗤った。
『勇者が勇者でしかないように、魔王もまた魔王でしかない。神が定めたその運命によって縛られ続け、俺もお前もそれ以外の何者にもなれはしない』
『何を……言っているの?』
『頸木だよ。俺たちはこの世界の総則に基づいて配された装置なのだ。生まれ落ちた瞬間からその役割を与えられ、それが使命や大義だと嘯き滅ぼし合う』
『そんなんじゃない! 私は自分の意志で戦ってきた!』
『それはお前自身の意志ではない。勇者という役割が持つ意志だ。そして俺もまた魔王という意志を持つが故に〝そういう存在だから〟貴様と戦い負ける』
魔王が口にした答えに私は絶句した。
彼の内には何も無かったのだ。殺意も悪意すらも無い伽藍洞。ただ勇者に敗れ去ることを到達点とした存在でしかないのだと魔王は語った。
『……』
認めたくない。認められるはずがなかった。
魔王の言葉を認めてしまえば、私のしてきたこともまた無意味な塵芥となってしまう。
震える剣の切っ先と、その先にある虚無なる魔王の相貌に私は狼狽えた。
私は魔王の戯言だと己の心に言い聞かせた。
しかし、最後の村で問われた少年の顔が脳裏に浮かび上がる。
私自身が〝魔王はそういう存在だから〟と、あの時そう考えていたんだ。
そうでない事を信じていたかったのに――。
『それでも……私は……私はぁ――ッ!!』
思考を拒否し、私は握りしめた聖剣で魔王を貫こうとした。
その刹那――、
『故に俺は神に反逆する。世界に反逆することを決めたのだ!』
魔王は己の片角を自らの手でへし折り、暴風雨のような魔力を解放し始めた。
『全ては終わり、そしてこれから始めよう。反創世魔法――』
『――ッ!』
魔王を中心に放たれた暗黒が大陸全土を覆い尽くしていった。
この日、この瞬間を境として全ての人間は魔物となり、全ての魔物は人間となった。
私はこの反転した世界で魔王となった元勇者――。
焉りの魔王 アムルゼアノート・テラ=ニルファリス。