基本に忠実に
お嬢様とご友人。
午後の金色の陽光に満ちたサロン。くすぐったそうに眉を下げ頬を緩めるそのひとの笑顔はイザベルの宝物だ。長椅子の隣でおしゃべりをするたび、ピアノの連弾をご一緒するたび、その青い瞳の中心に自分が映るたび、イザベルの胸はいつもどきどきと騒がしくなる。胸がきゅうっとなるのにその笑顔をもっと見たいと我侭を抱いてしまうのだ。
王室の厳格な指導・審査を経た料理人以外の人間が王族に手料理を差し出すことは御法度である。しかし、毎年秋になるとオーキッド侯爵家のアップルパイを、青空に似た瞳を蕩けそうなほどやわく細めて美味しそうに召し上がるヘンリーを見て閃いたのだ。
料理が駄目なら至高にして究極の林檎を作れば良いのでは、と。
「それで、我が家の料理長に美味しいパイを作ってもらうための至高にして究極の林檎を作るにはどこからかと色々調べた結果、まずは土からという結論に至ったのですが」
「待って。前提どころか、そもそも何もかもおかしくない?」
今までの心温まるささやかな贈り物の思い出はどこへ、とマーガレットが異議を申し立ててきたが、グレイスが続けるよう強い眼差しで促してきた。深く頷き、先を続ける。
「アルトゥスの森の土が一番良いと分かり、個人でも取り寄せることが可能なのか調査を始めたのです。ところが、大きな壁が立ちはだかりました」
眉を寄せ深々と嘆息する。向かいのソファに座る二人も神妙な顔つきで姿勢を正した。
「林檎を育てるための土地がそもそも必要なのではないか、と」
そうだね、とマーガレットが何故か疲れたように頷いてくれた。
「それで土地を購入する方法について慎重に学習を重ねました。結局、我が家の庭を父から買い取るのが一番良さそうだと至ったのですが、今まで貯めたお小遣いですぐになんとかなるものではないので長期目標に切り替えることにしました。それで、確実に計画を進めるためにお小遣いをアップしてもらう方法について兄に相談したのですが」
年の離れた兄は怪訝な顔つきでイザベルのプランを聞き、巨大なため息を吐いた。そして、美味しい林檎を育てるのに必要なものは何か、となぞなぞを出した。
十分な環境――土と水と光だろうとイザベルが答えると兄は首をあっさりと振った。
責任を果たす覚悟だ、と。
イザベルが学院に行っている間に誰がその樹の世話をするのか、納得のいく実が成るまでに何年、何十年もの長い時間が必要なのに最後まで責任を持ってその樹をイザベル自身の手で世話できるのか。兄は静かに諭した。
がっくり肩を落とす姿に思うところあったのか、兄はイザベルの頭を撫でてくれた。
「これはお前が小さかった頃の話だが……猫と仲良くなる方法を、お前がヘンリー殿下とあまりにも真剣に肩を寄せ合って作戦を練るものだから、うちでも猫を飼えないかと父上たちに相談したことがある。結果は、失敗だった。父上にも母上にも責任を果たす覚悟があるのかと問われ、情けないことに何も答えられなかったんだ。でも――」
懐かしそうに淡い菫色の瞳を細め、兄はいつになくやわらかい笑みを落とした。
お前たち二人がサロンで仲良く並ぶ姿を見るのはいつも穏やかな気持ちになれたし、何よりお前を見つめる殿下の眼差しはいつだってやさしい色をしているよ――と。
「……そういうわけで至高にして究極の林檎大作戦も振り出しに戻ってしまいました」
深く深く息を吐いてイザベルは話を結んだ。けれども、何故かマーガレットとグレイスは揃って肩を揺らして笑っている。思わず三度瞬いた。
「そうそう。そういうのでいいんだよ、そういう基本に忠実なもので」
マーガレットが薄藍の瞳を細めると、グレイスも震える指先で眦に浮かぶ涙を拭った。
「そうよ、イザベル。あなた、答えはもう既に手に入れているじゃないの」
「うんうん。やっぱり青い鳥は最初からいつもそばにいるんだねえ」
なぞなぞが分からず首を傾げると、二人の笑い声がサロンの空気を大きく揺らした。





