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エール・中編

おじょうさまとおとうさま

 出された課題の練習をしていると、いつの間にか父がそばにいた。イザベルが二曲目を通して弾き終えると静かに猫のぬいぐるみの頭を撫でていた。澄んだ陽が降り注ぎ、父の手元を柔らかく縁取る。つやつやした若葉を思わせる綺麗な翡翠色の瞳と目が合う。

「ピアノを始めたばかりのことを覚えているかな?」

「はい」

 ヘンリーおにいさまが侯爵家に遊びに来るようになった頃である。イザベルをサロンに残して兄とその友人である第二王子殿下が市街地へ遊びに出てしまい、がっかりしていると同じく二人に置いて行かれたヘンリーさまがピアノを弾いてくれたのだ。

 退屈していたイザベルのためにコンサートをしてくださるおにいさまのやさしい心遣いがとても素敵で、イザベルを隣に座らせて鍵盤に向かうおにいさまの穏やかな青空のような瞳も静かな横顔も素敵で、陽だまりの満ちたサロンのピアノの音色もずっと素敵で、イザベルもヘンリーおにいさまのようにピアノを弾いてみたいと思ったのだ。


「最初から上手に弾けたのかな?」


 首を大きく横に振る。母のように指がなめらかにすらすら動くことなどなくて、ヘンリーおにいさまがピアノ椅子の隣に来てくださるのも最初はとても恥ずかしかった。

 ちょこんと座るイザベルを覗き込むように、父が翡翠色の瞳を向けた。

「では、弾くのが楽しくなってきたのがどうしてか覚えているかな?」

 少女はそっと指折り数える。ヘンリーおにいさまと連弾をする時間が素敵だから。練習の進んだところをおにいさまにもみんなにも褒めてもらえるのが嬉しいから。もちろんそれらもあるが――練習が進むと一つ一つの音符が生きた音色に、音色を繋ぐと春の咲き染めの花を集めた花冠のように、きらきらした音楽に形が変わるのが楽しいからだ。


「うん。それをイザベルがよく知っているのは、何度も練習を続けてきた努力の賜物だからだね。努力はすぐに実も花も形にはならないことが多いが、決して自分を裏切ることはない。人はいつでも何度でもそれを繰り返して立ち上がり強くなる。だから――」

 ねこちゃんともきっとまた仲良くなれるさ、と結んで父はイザベルの頭を撫でた。硬くて大きな手のひらがくすぐったい。イザベルは笑いそうになるのを、眉をきゅうと下げることで堪えて尋ねる。おとうさまもそうでしたか、と。

 父はちょっと驚いたように目をしばたたくと、はにかんだ笑みを見せた。いたずらが見つかったような照れ笑いだった。それからイザベルの小さな身体を抱き上げて、少年時代のとっておきの秘密を耳元に囁いてくれた。

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