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第2話  電話との戦い

「はい。『ひとやすみの法則』企画部です」

彼女は今、電話の応対をしている。

連続ドラマの企画部の一員として、テレビ局で働いているところだ。

週一のドラマの中でも、高視聴率をマークしているこの番組は、テレビ局の上層部も目をかけている存在。

17階に位置しているこの部屋には、今日も大人数が出入りしているわけだ。

「上田ディレクターにお客様が」

「上田ディレクターですか?」

彼女は受付を相手にしゃべる。

「NKO機器の村川様でございます」

「わかりました。上田ディレクターにつなぎますね」

彼女は『2』のボタンを押すと、4つ隣の席の上田に声をかける。

「上田ディレクター、受付からです。2番でお願いします」

まわりの電子機器の音に遮られないように、大きめの声を出す。

「2番?…わかった」

上田は2番を押しながら、受話器を手に取る。

彼女はその様子を見届けてから、机の上の書類をあさりだす。

上に指示された仕事に取り掛かるわけだ。

しかし、まもなく電話のベルが鳴り、まじめに取り掛かることなど、なかなか難しい。

それでも気を緩めることなく、雑に対応することなく、熱心に仕事をこなす。

『新人だから』

そういわれればそれまでだが、彼女はそれだけじゃなかった。

彼女は脱却したかったのだ。

昔の自分と…

「水無月さぁーん!書類できた!?」

誰かが彼女の名前を呼ぶ。

どうやら、書類を頼んでいた上司らしい。

「あっ。今日までには出来上がらせます!」

「頼んだからね!」

「はい!」

彼女はまた鳴り出した電話の受話器をとった。




午後三時ごろ。

彼女は、湯を沸かすやかんの前に立っていた。

上司にコーヒーでも持っていこうかと考えていたのだ。

彼女が憧れ、尊敬する上司に。

やかんは次第に沸騰音をたて始めた。

コーヒーのフィルターにお湯を通し、マグカップにコーヒーを注ぐ。

茶色を帯びたお湯が滴る。

大人の香りを漂わせる湯気を放ちながら、彼女は上司の元へと運んだ。

プロデューサー専用の部屋へと。


「高島プロデューサー、コーヒー。どうぞ」

高島は下がりかけている眼鏡を指で上げると、彼女を見上げた。

「ああ、水無月さん。ありがとうございます」

「入れたてでちょっと熱いですけど」

「ちょうど喉が渇いていたところだったので。ありがたいです」

高島は彼女が差し出すコーヒーを受け取った。

息をかけて少し冷ましてから、コーヒーを一口含んだ。

いつも微笑んでいるような高島が、真っ直ぐな目でコーヒーを味わうと彼女のほうを見た。

「ちょうどよくて、美味しいですよ。ありがとうございます」

眼鏡の奥の瞳がやけに澄んでいた。

彼女はその瞳を見ようとしてみる。

だが、すぐにそらしてしまう。

これが「恥じらい」というものなのだろうか。

「そ、それじゃ、お仕事がんばってください!」

「ありがとう」

高島は彼女にそう返した。

彼女がドアノブに手をかけようとしたとき

「水無月さん」

彼女はあわてて振り返る。

「はい?」

「…これ」

高島は茶封筒を手渡した。

「私宛に届いた手紙の中にこれが入っていました。宛名が『水無月朝日様』となっていましたので、あなたに。と」

「あっ、すいません」

「いいえ。なにも、あなた宛の郵便物を届けただけですから。…あ、中身は見ていないので安心してください」

「わざわざ、すいませんでした」

「それじゃあ、お互い仕事頑張りましょうね」

高島は再び朝日へと笑いかける。

朝日に思わず笑みがこぼれた。深々と一礼して、高島の部屋を後にした。


朝日は机に座ると、高島から受け取った封筒を封切った。

中には、A4サイズの白紙のコピー用紙が入っていた。

裏返しても何も書いてなく、朝日は間違って入れてしまったのだろうと思うことにした。

深く考えてもきりがないからだ。

そして、ペンを持って仕事を再開しようとしたとき、朝日の右手の斜め前にある電話が鳴った。

「はい、ひとやすみの法則企画部です」

朝日が出ると、相手はしばらく返事をしなかった。

「あ、あの…」

「…ドラマの視聴者なんですけどー」

若い男性の声が返ってきた。

「あ、いつもご視聴ありがとうございます」

「てかさ、さっきみたいに視聴者なんですけどーってはじめてよかったわけ?」

「はい。大丈夫です」

「初めてだからさ、こんな風に電話かけんの」

朝日の頭の中には、もうすでに相手の人物像が出来上がっていた。

絶対に茶髪に、腰でジーンズをはくようなやつだ。と。

「それで、ご用件は…?」

「ん?あー。あのさ、…あのキャスティングっつーの?」

「はい」

「そんで、あれ。なんとかしてくんない?」

『あれ』って言われても…と朝日は苦笑していた。

「…あの、台詞間違いとか、台詞の言い回しが悪いだとかでしょうか?」

「いや、あのキャスティングやめてくれない?」

「…えっ?」

朝日は目が点になった。

なにせ、こんな要望を赤裸々に言う視聴者は初めてだったからだ。

「それでも、もうドラマはスタートしていますし、なにより今からキャスティング変更というのは…」

「んだよてめぇ。視聴者の意見を水の泡にするつもりかよ!」

「いいえ、決してそういうわけではありません。ただ、ドラマがスタートしているのにも関わらず、今から変更はできないということなのですが」

相手は、文句を混じらせたため息をついて見せる。

そんな無理な意見をぶつけられても…と朝日は頭をひねらせた。

こういうときはどうやって切り交わすべきなのかと。

まじでさ、あんなくそ真面目なドラマなんていまさらはやんねぇし。…なんかさー、もっとこう色気があるやつ?あんなのがいいんだって」

「脚本も、ドラマの展開も決まっていますし」

「主役もさ、もっと胸のあるやつ使えよなぁ!まじでつまんねぇんだけど!!」

朝日は受話器から耳を離した。

鼓膜がおかしくなりそうだ。

「それで…そういうあんたは、何カップ?」

「えっ!?」

こいつ、頭おかしいんじゃないだろうか。

朝日は受話器を切ろうと、耳から徐々に離していった。

「おーい、お姉ちゃん。電話きるなよ。他局のマスコミに『ひとやすみの法則 視聴者の意見を踏みにじる!!』って垂れ込むからな!」

朝日は急いで、受話器を耳に当てる。

「す、すみません!」

「楽しく話そうよ。せっかく出会えたんだし」

相手は高らかに笑った。

朝日は否が応でも、置くことはできない。

受話器を置いたら、番組がめちゃくちゃになってしまう。

泣きたい気持ちでいっぱいだった。

答えようと口を開きかけた、ときだった。

「はい。替わりました。ひとやすみの法則番組プロデューサーの高島尚秋です」

朝日の受話器を高島がいきなり取り、応対し始めたのだ。

「視聴者の方ですか?…いつもご視聴ありがとうございます。はい…あ、なんでも私たちの番組に意見があると伺っていたのですが。はい…そうですか?失礼いたしました。…はい。それではこれからも当番組をよろしくお願いいたします」

高島はいつもの冷静さで応対すると、受話器を置いた。

朝日はただ呆然としていた。

「…大丈夫ですか?」

「あ…はい!大丈夫です!!」

「ああいう視聴者は結構いるんですよ。いたずら半分に困らせる質問ぶつけてくる方って」

「ど…どうして、私が困っているって知ってたんですか?」

「ちょうどスタジオに顔出しに行こうかと思って部屋を出てきたら、水無月さんが顔真っ赤にして、たどたどしく応対していたものですから。これはいつものだなと」

高島はいつもの笑顔で話す。

朝日は自分がそんな状態に陥っていたことを改めて知り、さらに顔を赤くする。

「ありがとうございました!」

「いいえ。もしまたなにかありましたら、いつでも呼んでください」

高島は朝日に微笑みかけると、颯爽とその場を後にした。

『高島プロデューサーの顔がすぐ目の前に…』

朝日はさっきの光景を思い返す。

地獄から天へと舞い上がった。



波打つ栗色の髪。

肩より少し下まで下げて、彼女は歩いている。

ヒールの高い黒革の靴。

胸を強調させる、服に袖を通し、彼女は歩いている。

「清水さん、おはよう」

先輩ディレクターが、廊下を歩く清水に挨拶をした。

「おはようございます」

清水は礼をする。

しかし、それは他の誰よりもしなやかで、艶やかだった。

「すごいよねぇ。そっちは」

「…すごいとは、なにもそんなに」

清水は照れて見せた。

これも、自分を褒めてくれる相手に対しての気持ちだ。

可愛さも混じらせながら、先輩の顔を見上げる。

「なんだっけ、たしか…」

先輩は頭をひねらせていた。

「…そう、ひとやすみの法則!!清水さんのいる番組ですよ。いいよねぇ。報道は浮かばれないよ」

先輩は参ったとばかりに、苦笑いをした。

清水はというと、まぁ言わんばかりの反応だ。

「それじゃ、頑張ってよ。応援してるからさ」

手をひらひらさせながら、先輩は去っていった。

清水はというと、まぁ言わんばかりの心境だ。

清水は、ヒールの音を鳴らしながら、ひとやすみの法則企画部へと足を進めた。


「…はい。それではこれからも当番組をよろしくお願いいたします」

清水が企画部に足を踏み入れたとき、目の前の世界でありえないことが起こっていた。

「…大丈夫ですか?」

「あ…はい!大丈夫です!!」

清水は呆然となった。

『な…なに、あいつは!?あの小娘は?』

「ああいう視聴者は結構いるんですよ。いたずら半分に困らせる質問ぶつけてくる方って」

「ど…どうして、私が困っているって知ってたんですか?」

清水は高島相手に話す、名前も知らない小娘が無性に腹が立った。

なんだ?あいつは?

それしか頭に浮かばない。

あんな光景は今までに見たことがなかった。

ましてや、あの高島プロデューサーが…

「ちょうどスタジオに顔出しに行こうかと思って部屋を出てきたら、水無月さんが顔真っ赤にして、たどたどしく応対していたものですから。これはいつものだなと」

高島はいつもの笑顔で話している。

水無月?あの小娘の名前は『水無月』っていうのか!?

「ありがとうございました!!」

うれしそうに笑顔で高島にお礼を言う小娘が、清水の癪にさわる。

「いいえ。もしまたなにかありましたら、いつでも呼んでください」

高島は小娘に微笑みかけてしまった…。

……ありえない。

『いつでも呼んでください』!?

私にそんなことを言ってくれたことなんて、今までないじゃない!!

清水の中には、明らかな青い炎が燃え盛っていた。


あの事件の後、企画部中の女子ではその話題で盛り上がっていた。

清水ももちろんその輪の中に入っている。

そこで聞き出したことは、

1.あの癪にさわる小娘の名前は『水無月朝日』

2.新人のくせに、高島プロデューサーとのうのうと話していた

3.友達が今のところいない

4.電話番をしていて、いつも大変そうに仕事をしている

5.電話番の仕事のせいで自分の仕事ができなくなり、いつも残業をしている

この5つだった。

しかし、情報がこれだけというのは物悲しい。

いつもなら、ありとあらゆるほど、いらないところまで情報が集まってくるというのに、今回はこれだけだったからだ。

友達がいなくて、自分の素性を話す相手もいないということも理由のひとつだろうが、これだけの女子がいてわずかだということは異常だ。

しかも、一同の本命はただひとつだというのに。

「清水さぁん。どうするんですかぁ?これから」

後輩が清水に尋ねてくる。

こいつも可愛い顔して、なかなかの業師だ。

「私?んー、いろいろ話したりしちゃおうかな。…意外にやり応えありそうだし。ねぇ?」

清水は巻いている髪をいじりながら、淡々と言い放った。

「もしかして、もうやる気ですかぁっ!?」

後輩たちがそれぞれに声を上げる。

……若い。実に若い声だ。

清水は目を細めた。

「まぁ、簡単よ。あんな小娘なんて。なんとかなるわ」

「さすがぁー。本当に頼りがいがありますよねぇ」

……黄色い。実に黄色い声だ。

なんだか、褒められているのにもかかわらず、胸焼けするのは気のせいだろうか。

その会合の後、ひとまず自分の席に戻った。

少しパソコンのマウスを動かしながら、考えていた。

華麗にやってのけなければ、清水佐夜香の名が立たない。

「清水くーん。この書類、もうちょっとそっちに寄せてくれないかな」

隣の先輩が試行錯誤している清水に申し訳なさげに声をかける。

…ダサい顔して、私に指図すんなよ。

心の中で舌打ちしながら、上辺で「すみません」としおらしく書類を寄せた。

その瞬間、瞳に光が戻った。


「水無月さぁーん」

清水は朝日のところを訪れた。

…まず、基本的なところから攻めていこう。

清水の中には、ある程度のプランが立てられているらしい。

「はい?なんでしょうか?」

「コーヒーでもどう?入れてきたんだけど、休憩に少し。ねっ?」

「あっ、ありがとうございます!」

朝日は清水が手渡すコーヒーを受け取った。

「いつも大変よねぇ。電話番しながら、書類整理でしょ?」

「いいえ。これも新人としての役割ですから」

朝日の謙虚な態度に感心していた。

うわべであれこれ話すものの、清水自身、朝日の頑張っている姿など目に留めたこともない。

…これが、情報のなせる業。

「清水先輩って、本当にお綺麗ですよね。いつもすごいなって思っているんです。先輩のオーラって言うのか…そういうものに」

朝日は意外にも、清水の名前を知っていた。

それだけ、目立つ存在なのだと清水は改めて感じ、高みに登った。

pipipipipi…

清水のほうから着信音が聞こえる。

ポケットから携帯を出し、話し始めた。

「もしもし、清水です。あ、こんにちは!はい…え、今からそちらにですか!?…いや、迷惑じゃないんですけど。…今日中に仕上げなきゃいけない書類があって。…い、いや、そういうことじゃないんですよ。はい…それじゃあ、その時間にお伺いします。すみません…」

清水は携帯を畳み、元の場所へしまった。

「…あぁ。どうしよ」

「どうしたんですか?」

深いため息をついて口をとがらせる先輩に、朝日は尋ねる。

「報道の先輩から呼び出されちゃって。でも、やらなきゃならない仕事があるから断ったの。…きっと、企画の清水はノリ悪いとかって噂たてられちゃうわ…」

「……よかったら、その仕事、私がやりましょうか?」

朝日がカップを持ちながら、清水に話しかけた。

「えっ?いいの?」

「はい。別に大丈夫ですよ」

朝日は微笑んだ。

清水は、ありがとう。ちょっと待ってて。というと、机の上に用意してあった、書類の山を朝日の机の上に置いた。

「よっし!そしたら、お願いねっ!バイバ〜イ!」

清水は手を振りながら、去っていった。

朝日の目は点になった。


「『アラームを利用して携帯に電話が来ました』作戦成功」

ガッツポーズをし、清水はにやりと笑った。



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