裂剣・霞浮かし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ねえねえ、ふと思ったんだけどさ、現代人と昔の人ってどっちが強いと思う?
以前、誰かに聞いた時は、銃器とかを使えれば現代人が勝ち、それらなしの白兵戦なら、昔の人の勝ちだと話していた。でも、僕はいまひとつ納得いかないんだよねえ。
銃器を持ち出せば勝てるというのは、昔の人がそれらに対処できない前提で話しているよね? そりゃ火縄銃で撃たれて死んだ人は多いし、当たれば死ぬだろうね。
でも、本当は当たらないだけの技術、身体能力を持っていたら? 最新装備に身を包んだ今の人より、ずっと高い身体能力を有していたら?
そう話すと、たいてい笑われるか、かわいそうな目で見られる。「そんな妄想、便所の紙にでも書いとけ」とでも言わんばかりの態度さ。
僕だって、伝説を鵜呑みにしているわけじゃない。けれど、伝説の火種を成すだけの力を持つ事実だってあるはずだ。古代の刀の作り方のように、しっかりと伝わっていないだけでね。
最近、僕もまたひとつ、面白い伝説を仕入れたんだけど、耳に入れておかないかい?
戦国時代のとある領内のはずれ。見回りを行っていた将のひとりが、刀を握った賊の死体を発見した。
数は七名。すこしずつ距離を空けながら、道に沿って点々と躯が転がっている。そのいずれもが、胴か背中を横一文字に切られて絶命していた。
ここは高い木もほとんどない野原。相手がどれほどいたかは知らないが、まさかひとりひとり順番にかかっていきはしないだろう。
七人のうち、横一文字切り以外で斬られている者はいない。しかも賊の刀を見るに、巻き技やすり上げなど、胴を開けるための技を受けたような傷はない。
仮に賊たちが、刀をろくに振るったことのない素人だとしても、それならば恐れのために、なおさら胴を防ぎにかかり、四肢に余計な手傷を負う可能性が高いはずだった。
いかなる使い手の仕業によるものなのか。
地面には彼らの死体とともに、点々と血が滴りながら続いている。いまだ赤みが残る、真新しいものだ。それを追うにつれて、血痕は潤いを帯びていく。やがてその血は、一軒のあばら家の中へと消えているのが見て取れた。
将は声をかけてみる。三度目の呼びかけで戸が開いた。
出てきたのは、細面に長く白いひげを蓄えた、男だった。身に着けている裃こそ上質なものを使っているが、そこからのぞく肌のところどころには、しみと傷が浮かんでいる。右手には鞘に入った刀を一本提げている。
将は自分が領主に仕えている者だということ、今は治安維持のため、領内を見回っているということを告げた。
老人の目が、すっとわずかに険しくなる。それを見て将は、外の連中を斬ったのは、おそらくこの御仁だとアタリをつけたんだ。
「罰する気なら手向かうことも辞さない」とばかりに殺気立つ老人に対し、まずは治安の回復に手を貸してくれたことの礼から入った将は、どうにか穏便に話を進めていく。半刻ほど話し込んで、ようやく、ことの顛末を聞くことができた。
老人は隠居してより、若い頃から修行を積んでいた剣の道を極めるため、一年の半分以上を各地の霊山に籠って過ごす生活を送っていたらしい。
つい先ほども、100日を超える山籠もりの帰りに、この住まいに戻る寸前で、彼らに襲われたのだという。制止したが聞かずに、斬りかかってきたので、やむなく返り討ちにしたとのことだった。
「あの横一文字の傷は、修行の成果ですかな? いずれの賊も、まるで防ぎを知らぬかのような死にざまでありましたが」
かねてよりの疑問をぶつけてみると、老人は「試してみますかな?」と、うっすら笑いながら、提案してきたそうだ。
二人は家の外に出ると、お互い鞘にくるんだままの刀で、手合わせすることになった。
中段に構える将に対し、老人は空を衝くような大上段に振りかぶっている。ますます胴切りに向いた構えとは思えない。
けれども、まとう空気は静謐そのもの。話し始めた時には駄々洩れだった殺気が、今はこそりとも感じられず、対峙しているだけで、井戸水につけているかのように背中が震えた。
「――ふっ!」
将は気合で誘ったが、老人に動きはない。
一気に踏み込んだ。中段の構えのまま、老人の胸元へ向けて渾身の突きを放つ。
だが、それより速く。老人が刀を振った。大上段から一気に、雷のごとき勢いで黒い鞘が降り落ちる。
いや、速いどころじゃない。速すぎる。老人の剣は突き出した将の剣に、まったく触れ合うことなく、地面へ吸い込まれたんだ。
仕損じたか、と将が思った時には、すでに老人の剣が盛大にじゃりを巻きあげていた。
ここで目くらましなど意味がない。もう鞘の先が胸に届くまで、数寸もない。かわせる間もない。将自身は、そう確信していたんだ。
その鞘の先が、空を斬る。それも胸へ定めていたはずのものが、老人の頭の上を通り過ぎて行ったんだ。
剣先を跳ね上げられたわけじゃない。将自身の身体が、宙に浮き上がっていたんだ。
地表からおよそ三尺(90センチ)。飛び上がり続けるかのような感覚と共に、身体全体が急激に締め付けられる。まるで分不相応な大きさの、とっくりかひょうたんの中に閉じ込められてしまったかのように、身体をまともに動かせない。
腕にもほとんど力が入らず、刀は周囲の浮力にどうにか支えられて、だらんとぶら下げて持つのがやっと。
「そうして動けない相手に」
老人は鞘ぐるみ、将の前で横一文字に素振りをして見せる。
確かにこれでは、相手の刃を防ぐことも、身をかわすこともできない、死に体だ。ざっくりと斬られていたのもうなずける。
老人が再度刀で地面を叩くと、浮力が消えて将は無事に地面へ降り立った。初めて味わう技と感覚に、将はいたく感心。かの技に名前をつけさせて欲しいと申し出たんだ。
この技を受けた者。地に縛られる定めが切れて、空へと浮かび上がらせられる。その姿は景色を隠す霞のごとし。
「霞浮かし」。その名は老人も気に入ったらしく、口元から笑みがこぼれていた。
将が老人の話を殿様へ伝えると、実際にその技を目にしたいという運びになる。
そうして召し出された老人は、剣技抜群として知られる諸将たちを相手に、遺憾なく「霞浮かし」の技を披露し、いずれにも後れを取らなかった。
殿様もその様子を見届けると、ぽんとひざを叩き、剣術指南役としての登用を老人に打診してみたという。提示された俸禄は当時の相場から見て破格のものだったが、老人は縦に首を振らなかった。
「私はひたすらに、剣を極めとう存じます。そのため、しばしば山に籠りたく思い、おそばにいられないことが多いでしょう。そのようなものに禄をくださるなど、もったいのうございます。その分を、有望な者へ与えてくだされ」
そう話し、去って行ってしまう老人。
求道の心意気。居合わせた者たちはその意をくみ取りつつも、ほどなく、秘かに見張りをつけることが決まった。
他国に流れ、戦場で出会うことがあろうと、老人のせいで戦況が変わることはないだろう。だがあれほどの技の持ち主が、戦以外の場でこちらに牙を向くことがあれば、しかるべき対応をしなくてはならない。
すぐに数人の忍びが、老人を監視する任務につく。しばらくは剣の鍛錬以外、目立った動きを見せない老人だったが。ひと月ほど経つと、旅支度をして家を空けてしまう。
担当の忍びたちが追ったところ、老人は霊峰と名高い山のひとつへと登り出したのだった。
武芸者然とした裃と刀を身に着け、食すものは時折、ふところから取り出す兵糧丸と水のみ。軽装とはいえ、ところどころがぬかるんで滑りやすい山道を、彼は惑うことなく進んでいく。
そして山頂付近。そこは、かかとがすっかり沈んでしまうほど、柔らかい泥の原になっていた。忍びたちが苦労して気配を殺す中、彼は泥の中央に横たわる大きな石の上で座禅を組み、腰の刀を太もも同士に渡すように乗せながら、動かなくなってしまう。
一日経ち、二日経ち、三日経っても、その状態は変わらなかった。
そして四日目の正午。老人はおもむろに石から下りると、その場で刀を抜いた。「何をするのか」と見守る忍びたちの前で、老人は大上段に刀を振りかぶり、あの「霞浮かし」の剣を振るう。
ざくり、と大きな音を立てて、白刃が土に埋もれる。ほぼ同時に、老人の姿が見えなくなってしまった。
霧。刀が刺された地面から、瞬く間に白い幕が伸びて広がり、老人と忍びたちを巻き込んだ一帯を白く染め上げてしまったんだ。
突然の視界不良と、まとわりつく水滴の冷たさに戸惑う忍びたち。けれども、それは長くは続かない。
フオン、フオンと刀を振る音がすると、霧がどんどん晴れていくんだ。次第に老人の姿も浮かび上がってくる。
老人は両手で握った刀で、何度も霧を薙いでいた。横に払い、その勢いのまま、身をひるがえして更に裂く。
その老人の太刀筋を受けると、霧はそこから分け放たれる。広がる切れ目に沿って、上下に離れた霧は、まるで大きな綿のよう。ほどなく、完全にちぎれた二つの綿は、老人の剣圧に押され、空の向こうへ飛び去っていく。
ぐんぐん遠く。ぐんぐん高く。白かった雲はじょじょに黒みを増していき、稲光の音さえ聞こえてくる。
老人はすっかり山頂の霧を晴らしてしまうと、懐から出した懐紙で刀身を丁寧に拭って鞘へおさめた。
「さあ、行って来い、霧たちよ。お前たちはもはや自由よ。風の吹くまま、気の向くまま、雨を降らしに行くがいい。たとえお前らを嫌う者あれど、お前らを待っている者も、またたくさんいるのだから」
老人は刀を地面につき、旅立った霧たちに朗々と声をかける。
その周囲の土は、先ほどまでのぬかるみ具合がウソのように、からからに乾いてしまっていたという。




