9 彼女が守りたかったもの
炎が、燃えていた。あの日の炎を思い出させるソレに、心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えて、足元がクラリとする。
首を振り、彼は硝煙の臭いを吸い込んだ。
「街が、どうして、燃えているの」
カガリが呆然と呟く。ただ、漠然と、似ていると思った。
墓守が身を寄せて、三カ月、その日も、異常気象である吹雪が空を覆っていた。
雪の下で舞う炎は、何ともアンバランスだった。いっそ、大雨であれば、鎮火など容易いのだろうに。カガリが熱く照らされた地面に崩れ落ちる。対して、墓守は倒れている住人に近づき、傷口に触れた。
「……血は乾ききってねぇ。いや、何だ……この、傷口を抉られたような状態は」
恐らく、人間の刃物ではない。ならば――。
「魔族ですか? ……疑問。【墓守】が居た筈」
「あそこで死んでいる」
ヒッ、と、引き攣った声を上げるカガリが、ふいに、思い出したように立ち上がった。縺れながら、街の出口へ向かいだす。
「お、い⁈」
思わず、墓守が背中に声を掛けると、こちらを見ることなくカガリが叫んだ。
「博士、が‼」
小屋は、街から離れてはいる。だが、ここに渦中の魔族が居ないとなると――。
舌打ちをして、墓守も街から離れることを決める。何にせよ、人の気配が無いのだ。魔族にしても、人間にしても、墓守にしても。
子供のおもちゃが転がっていた。
薙刀を持ち直して、墓守は踵を返した。
ブドウ酒を買ってきてほしい。墓守と出掛けてきなさい。
そう言って、博士は、カガリと墓守を追いだした。多分、博士は、毎日毎日、飽きもせず、訓練という名の戦いを繰り広げる二人を見て、たまには息抜きがてら、街に行って来い、という意味合いだったのだろう。博士の優しさを無下には出来なかった。だが、今はそれを後悔している。
博士が心配だった。博士は力もない人間だ。葬儀屋は、カガリは、博士を守らなくてはならないのに。
「博士っ……!」
ただ、ひたすら、加速した先で、小屋から出てくる――誰かが、居た。背丈は博士のものではない、カガリが見間違える筈も無い。
ハァ、と乱れた息を吐けば、白い息が零れた。
「何者だ」
絞り出した声は、自分のものとは思えぬほど低い。見詰めた先には、異形の姿があった。自分は、【墓守】ではないから、直感的には分からないが、【魔族】であろう。漆黒の闇より深い髪が、右目を隠してしまっているが、露わになった赤色の瞳は、確かにこちらを認めていた。
その、足元は血しぶきにでも煽られたかのように、赤く染まっていた。
「逃げろ、カガリ…………」
くぐもった声に、ハッとする。男の背後で、倒れ込む博士の姿を見つけ、頭が真っ白になった。そこは、血だまりで。一体、誰の物かなんて、分かり切っていて。
銀色の粉が宙を舞う。寒さは、身を冷たく突きつけるのに、カガリの身の内から湧き出る衝動が、ちっとも冷えを感じさせなかった。ただ、ただただ、熱かった。
ありとあらゆる器官が、発火してしまったような感覚を、激情と呼ぶ。
「――貴様っ、何をしている!」
「カガリッ!」
博士が血を吐きながら、叫ぶ。だが、カガリは地を蹴った。
何日間も、墓守を相手に、もしくは、周囲を漂う魔族を相手に、競い合うように訓練を続けてきた。元々、葬儀屋の戦闘能力は魔族に劣らない。例え、自身が【墓守】ではなくても、カガリには、魔族を殺せる自信があった。
カガリは加速しながら、相手に急接近をする。仕留める、一撃で、躊躇いなく! 右腕を引き抜き、ナイフを掲げ、両足に力を込めた。
「え?」
突き出した右腕が、雪の上にドサリと落ちる。
切断された部分が、ドロリと液体を零す。それは、血だったり、機械汁だったり、彼女を構成する物を、流していく。理解ができなくて一瞬硬直した、次の瞬間、体が投げ出された。
「あっ――ぐぅっ⁈」
何、何だ⁈ 理解――理解、否、痛みが頭をかき乱す。視界が回り、何とか照準を合わせた先で、己の右腕が切り離された事実を認める。
「う、で……!」
脂汗が噴き出て、顎に伝う。先程とは違う熱情に、体が煽られる。腕が、何だ。切断されただけだ、博士を、守らなくては!
私は、葬儀屋だ!
「はか――」
顔を上げた。投げ出された腕が見える。小屋の中で、彼は、血の海に沈んでいる。
(――博士)
欠陥品の、カガリを、傍に置いてくれた人間。【墓守】を殺すためにではなく、一人の【人間】としても生きていけない、中途半端な人工生命体である彼女を、それでも、見切らなかったひと。
カガリの、大事で、大切で。
「~~~~~~~~ッッッ! お、まぇええええええっ‼」
左手で上体を起こす。両足が動くのだ、右腕が失われたとして、それが何だと言うのだ! 左腕は動く、両足は生きている! 自分はまだ、戦える!
魔族が腕を振り上げた。そこに光は収束していく。周囲を焼き尽くすような、ジリジリとした熱が風に乗る。魔力が――月の魔力が、魔族の元に収束していく。
その時、カガリの瞳には、信じられないものが映った。
「羽⁈」
「――」
魔族は、カガリに理解できない言葉を呟いた。感情が見えない表情で、光を放つ。目の前に迫る強大な力に、カガリは――。