8 追想 無くした物
消毒スプレーを吹きかけながら、カガリは頬を膨らませ、不満げに言い放った。
「貴方は強い。私は、どうして強くなれない」
「経験の差だろ、ケッ」
お互い、ボロボロだった。かすり傷も、幸い、大きい傷は無いが、それでも積もりに積もった傷口が、容赦なく痛みを訴えてくる。満身創痍。もう動けない。
「ところで、聞いても良いでしょうか」
「嫌だ」
「その背中、どうしたんです」
「嫌だっつってんだろ」
墓守の背中には、何も無かった。
何も、無かった。
「――羽、どうしたんですか?」
墓守は、羽を持って産まれる。だが、彼にはそれがない。初めて会った時、介抱した時から、気付いていた事だが、なかなか言い出せずにいたのだ。明らかな異端だった。
墓守としての力はある。それは、葬儀屋としてのカガリ自身の直感と、彼が、彼専用の武器を持つことから明らかだ。彼自身も墓守を自称している。
だからこそ、解せない。羽が無い理由が、分からない。
「奪われた」
一言に込められた感情は、いつぞやの、荒れ狂う嵐のような憤りが含まれていた。彼の足元には、薙刀が鎮座している。カガリが、彼に背を向けているから、一体、どんな表情をしているのか、見る事はできなかった。
*
燃えていた。一面が、火の海になっていた。
建物は崩れ、周囲は瓦礫に埋もれていた。無残に、手の施しようもない程に、壊れていた。
「ぐっ、あっ、――がっ」
這い上がる様にして、体を引きずり出す。腕が折れている。足も瓦礫に埋もれている。獲物はどこにいった? 様々な言葉を頭中に巡らせる。
動かなくなった仲間たちを盾にして、何とか衝撃を堪えたが。
一体、何が起きたんだ。
眼が、合った。
二つの足があった。体は人間のものだった。だが、色違いの両目だけが怪しく光り、頬を、炎の赤と、血の赤とが染めていた。体には歪な文様が刻まれ、その姿は、人間に似た、けれど、人間ではない――何か。
魔族。
墓守としての直感が走った。
「~~~~~~~!」
言葉にならない声を振り絞った。生存本能ではなく、洗脳本能が、刻まれた、魔族への強い敵意が、全身に電撃を浴びせる。呼んだつもりだった。己の武器を、半身を。
ミシリ、と、鈍い音が、した。
「……………………?」
ソレが、何か、気付くまでに時間を要した。いつの間にか、距離を縮めていた魔族が、彼の背中に手を伸ばし、握りしめていたのだ。
ミシリ、と。
握りつぶそうと、していた。
「…………ろ」
信じられなかった。魔族が、墓守を殺そうとすることはある。だから、わざわざ、その部位を壊そうとするだなんて、思わなくて。
「おい、……やめろ!」
羽は。墓守にとって、羽は、器官と同じだ。月の魔力で構成されている部分は、墓守であることを象徴する。月の魔力の塊と化した魔族と対峙するには、月の魔力の影響を受けない墓守である方が、効率が良い。墓守にとって、羽は象徴なのだ。
絶叫が迸る。口から、毟り取られた背中の象徴が消え失せていく。壊された、違う、奪われた、吸収された! 墓守の手から離れた羽が、魔族の内に入っていくのが分かる。
魔族に異変が起こった。ビキリ、と小さな罅割れの音と共に、魔族の背中には、一対の純白な羽が表れていた。
そして、魔族は、身を翻した。
「な…………て、」
殺さないと言うのか。奪うだけ、奪って、そのまま去るというのか。俺のものだ、俺の羽だ、俺の――。
「許さねぇ…………! てめぇ、絶対に…………!」
そして。
俺は、自由になったのだ。
――嫌な、夢を見た。
起き上がった拍子に、毛布がずり落ちる。首筋に流れる汗の不快感と、背中が湿っている感覚に身震いをする。
羽が無くても、【墓守】だ。自分は、【墓守】なのだ。
「…………クソッ」
消毒液の臭いが未だ染みついている部屋の中で、少年は悪態をついた。
パチ、パチ、音を立て、火の粉が散る。その色を、ぼうっと見詰めながら、カガリは人知れず、毛布を握りしめていた。
*
「勝負です、墓守」
「嫌だよ」
朝、未だ軋む体を持ち上げる墓守を前に、カガリは言い放った。最も、カガリもまた、体はボロボロだ。お互い歯止めが利かなくなり、やり過ぎてしまった。反省はしていた。
それでも、申し出を取り消さないカガリに、墓守の端正な顔立ちに青筋が浮く。
「あ、の、なぁ⁈ 俺様は、てめぇの私欲に付き合う趣味はねぇんだよ!」
「私は、強くなりたい。そして、貴方も」
カガリは、挑発気味に唇をつり上げた。
「葬儀屋でさえ倒せる墓守なんて、それこそ最強ではないですか?」
「…………言うじゃねぇか……オイコラ表出ろ! ぶっ殺す‼」
「それはこちらの台詞ですっ、先日のような失態は二度と致しませんので!」
お互い張り合いながら小屋を出ていく二人を見ながら、博士は深々と頷いた。
「仲良きことは美しきかな」
日々は過ぎていく。
それは、けれど、不意に崩壊する。