6 【墓守】の力
伸ばした左手が、踏みつけられる。装甲を割るような勢いに、思わず唇を噛みしめた。
「ぐ、ぅぅぅううう」
背中に掛かる重圧。魔族の体重が、ミシリ、と音を立て、地面に押さえつけてくる。拘束する、そんな生易しいものじゃない。これは、圧迫死させるためだ。
やはり、敵わない。自分の力では、無理だった。カガリは、痛みを訴え、悲鳴をあげる両足に、自嘲気味に心の中で呟いた。
博士。ただ、心残りが、浮かぶ。
ミシリ、と、また軋み、呻き声が飛び出す。それを、魔族は楽しんでいるようにも思えた。……けれど、時間は稼げた。これで、あの子に、害が及ぶことは無い筈だ。きっと、街にも辿り着けた。息が漏れる。白い。寒いのは、空を吹く雪のせいだけじゃない。
「かえ、らなければ」
帰らなければ。
「博士が…………博士が、待って、いるのだから」
最後の力を振り絞り、右腕を跳ね上げる。仕込み刃は、とうの昔に折られてしまった。だからこれは、せめてもの抵抗。このまま潰されて殺されるものか、という足掻き。予想外の動きに魔族は仰け反り、必死に抵抗をする。
「ギ、グ、アアアアッ!」
魔族が、鉤爪を振り上げた。――回避、できない。
死を覚悟したそのとき、誰かの≪足≫が、魔族の腕を吹き飛ばした。
蹴り上げたのだ。動作は見えた。ただ、それだけで――魔族の腕は、血しぶきを伴いながら宙を舞う。
その影は、ポケットに手を入れたまま、カガリに圧し掛かり、苦痛に悶える魔族を横殴りに蹴とばした。雪の上を滑っていく獣。咳き込みながら、酸素を取り込む。圧迫感がようやく消え、カガリは、息を呑んだ。
「理解、不能。貴方、どうしてここに」
「アアン? 博士が、頼み忘れたから買ってきてくれ、つって、俺様を街に寄越したんだ。人を顎で使うなんて、あのクソジジイ」
博士に何と言う汚い言葉を。いや、そうじゃない。
墓守の少年は、フードを払い、白い息を吐いた。
「駆け込んでくる女が、何でも街の外で魔族から逃げてきた、とか言ってやがるからよぉ。俺様は墓守だからな」
「私を……助けに?」
「ハァ?」
心の底から、馬鹿にしたような目を向けられた。というか、馬鹿にされた。
「何で、俺様がてめぇを助けなきゃなんねーんだ」
「グル、グルウウウウウウウウウウウウッッッ!」
魔族が立て直す。突然の来襲に怒り狂ったような様子に、カガリは、体を強張らせた。ダメだ、もう戦えない。立てない。魔族が、恐ろしい。
(私は、こんなにも弱かった)
「つうかよぉ、てめぇは俺の獲物を盗るんじゃねぇ」
「え……?」
見下ろされた蜂蜜色が、剣呑な様子で細められた。唇の端には笑みが浮かんでいる。その様は、水を得た魚のようだった。
魔族がこちらに向かって駆け出す。
「命刀・春光――――来いッ!」
墓守が叫んだ。凛、とした声が、灰色の空に吸い込まれていく。次の瞬間、
どこからか、降ってきた刃が、墓守の目の前に突き刺さった。土埃がにわかに上がり、刀身も、持ち手も、普通の刀よりはるかに長い。恐らく、薙刀だ。
柄に手を添え、墓守は告げる。
「同調、開始」
墓守にとっての武器は、唯一無二の相棒である。と、いうのも、彼等の武器は、彼等の為に作られる。この薙刀が、彼の武器なのだ。
「同調率、七〇パーセント」
そして、彼は薙刀の柄を弾いた。クルリ、と彼の腕を渡り、使い慣れた様子で、持ち直す。迫りくる牙を、彼は――正面から、受けた。
腕を無くした魔族は、自身の鋭利な牙を以ってして、特攻を仕掛けてくる。勢いに押され、後方へ追いやられた墓守は、それでも笑っていた。
「こんなもんか――よっ!」
墓守が、地面を蹴る。魔族の上空を飛び、勢いによろめいた背中を、返した薙刀の、柄部分で穿つ。悲鳴のような声を上げながら、魔族が雪の上を滑り、対して、墓守は薙刀を後ろに引いた。
「薙ぎ、払え、鵲!」
長いリーチが、先手を打つ。確実にとらえた切っ先が、魔族を切り裂いた。ゴポリ、と、血が流れ、魔族の体が痙攣する。流れるような、巧みな仕草で振り払う墓守の顔には、汗一つ、浮かんではいなかった。
倒れ込んだ魔物が起き上がることはない。
「チッ、この程度かよ……物足りねぇなぁ、おい」
死体を、蹴り飛ばす。乱暴で、そして、死者への容赦ない行為。それから、ふと、思い出したように墓守がこちらを見た。
「さっきの話だがよぉ」
音を立て、墓守は、未だ蹲ったままのカガリに近づくと、カガリの青い瞳を覗き込んだ。
「墓守にとって、魔族を殺すことは、即ち、存在意義だ。ソレを、盗るな」
重い言葉だった。返り血が、まだ、少年のあどけなさを大いに映す顔を染めている。
泣いているような風が吹いていた。カガリは、ただ、何も言えなかった。