1 出会い プロローグ
ルールが敷かれた世界で生きるのは、窮屈だが平穏だ。平和だが不平等だ。だが、人間に――この世界に生きる、全ての命に、必要なものだ。
金曜日の夜の街。喧騒が包む、静寂とはかけ離れた、空を黒が彩る時。騒がしさから、やや離れた場所に、西園寺 千景が見つけたフード店はあった。人数制限と時間制限があり、その時間の間しか客は取らない、という、ちょっと変わった店だ。千景が、友人である愛海を誘ったのは、一風変わった店ながら、外装は整い、窺った所、室内も整っていたからだ。
「良く見つけたわね、千景、凄いわ」
「ああ、愛海が喜んでくれるのなら、何よりだ」
ニコリ、と笑顔で、愛海は言う。それに対し、女っ気がない、やや、堅苦しい口調で応対する千景にとって――愛海という少女は、特別だった。
愛海は、千景の友人であるが、同時に、恋人だ。
表には出せない、互いを想い合い、そろそろ一年。愛海は、今の千景にとって、誰よりも、何よりも愛おしい少女だ。
「その、……愛海」
「分かっているわよ、無理をしないで」
優しく、愛海は微笑んでくれる。それが、苦しい。一年の月日の間に、何も変える事が出来なかった。愛海を愛しているからこそ、千景は、未だ踏み出せずにいる。
同性であること。ただ、その理由だけが、重く圧し掛かっている。
「それより、顔を上げて、千景。ほら、料理がとっても美味しい」
「愛海…………貴方は、本当に……食いしん坊だね」
ふ、と苦笑交じりに吐き出して、千景は、愛海の口元を拭ってやる。そして、確かに愛海の言う通りだと、思い直す。今は美味しい物を食べる事が優先だろう。
いただきます、と手を合わせ、フォークを取り、
「――クッソまずいじゃねぇかよ! なんだぁっ、この店は⁈」
穏やかな空気に似合わない、怒号が響き渡る。広くはない室内に響き渡る声は男の物だった。口汚く、罵る――視線を向ければ、フードを被った少年。
灰色のくすんだ髪と、蜂蜜色の双眼は、影ながら強く輝いている。
生命力に満ち溢れた獣。或いは、獣じみた、人。
何故か、背中にはハードケースを括り付けていた。長方形の形をした、楽器を入れるような鞄だ。本来であれば、重量があるものだが、少年は大して、苦に思うことなく提げている。
「迷惑。騒々しい」
少年の眼前に座った、夜明け空のような色をした髪を持つ少女は、冷静に諌めた。
「しかし、事実、私はそれなりに激怒している」
…………とはいえ、双眼は爛々と熱を持っている。
「お、お客様、申し訳ませんが、周りのお客様のご迷惑となりますので……」
「アァン⁈ 今、正に、お客様は迷惑を被ってるわ! おい――この肉は何だ?」
ナイフで、フード男はステーキを突き刺す。……不穏な気配だ。職業柄、思わず、千景は椅子を退け、立ち上がる。その時だった。
コホン、と、愛海は咳き込んだ。
「ケホ……ん? 何…………?」
「異臭がする。くせぇ、ああ滅茶苦茶、胸糞わりぃ臭いだ…………コレは、月の臭いがする」
月。
瞬間、千景は本能的に、テーブルの上の料理を全て、薙ぎ払った。ガシャァアアン、と音を立て、食器は床に散らばる。視線が向けられる、好都合だ。愛海の背中を叩き、周囲に叫ぶ。
「吐き出せ! 食べていない者は食べるな‼ これは……これは、月の毒だぞッ!」
「理性的な人間もいるじゃねぇかっ、なぁ!昔風で言えば、麻薬ってやつか? 言い逃れはできねぇぞ、店長さんよぉっ!」
少年が高揚した気分で叫び、少女は、室内を見回す。千景も、愛海と、その周囲の様子に気が付いた。皆、静かだ、静かすぎる。声も上げず、そう。
「愛海……? 愛海っ!」
声を掛けるが、返してくれない。目を閉じ、ぐったりと、愛海は力を抜いてしまっていた。気を失っているのか、それとも――。
「何故気付いた……何故……この……感覚は…………貴様ァッ、貴様は」
店主が――冷静さを欠いた様子で、最早、人としての理性を失い、虚ろな眼を向けている。人外、否、その存在の正体に気付き、とんでもない店だったと、己の過ちに唇を噛みしめた。
「【魔族】」
ありったけの、敵意を込め、今や、人間の敵である存在の名を呼ぶ。人間を喰らい、人間を殺して生きる、月の魔力に乱された新人類。
最早、人間の皮を捨て、体を変形させていく魔族に向かって、一つの影が駆けた。
鉄鋼の一撃。鋼の足から繰り出された、双脚が、魔族を外に吹きとばす。
「おいっ、俺様の獲物だぞ、【葬儀屋】」
「勿論、これは【墓守】の仕事。けれど、人間を巻き込むのは良しとしない」
「チッ、面倒くせぇ主義だなぁ……俺様は俺様のやりてぇようにやらせて貰うがな」
淡々とした口調で、苛立ちを含めた少年の言葉を受け流す少女は、よく見ると、不思議な出で立ちだ。右腕は長く広い袖を持つ服ながら、左腕は機械のコアのようなものが固定されている。両足もまた、肌に直接吸い付くような形で装甲が施されている。
人間と言うよりは、機械というのか。……では、少年が言ったように。
「【魔族】を殺すのは――【墓守】の仕事だ」
二千二十年、突如、原因不明な【月の落下】が起こった。正確には、【月の破片】が地球へ落下した。それにより、人口のおよそ、七割が失われた。
辛うじて生き残った人類も、月の落下に伴う異物、通称、【月の魔力】により、異形化――【魔族】と成ってしまう。彼等の殆どは、理性を失い、ただ、本能のまま、人類を喰らう。それでも、人類は生き残った。人は、尚も生を繋いだ。
西暦、二千六十年、都市≪トウキョウ≫。日常を繰り返し、かつての様を繋ぎ続ける、停滞の街。人口およそ三百七十万人の地にて、
西園寺 千景は、思い出す。
自由を求め、空を飛ぶ――気高き人類が居たことを。
ストックはあるので、ちょこちょこ更新していきます。