ニコラスとフェルメール
フェルメールは実在した画家です。本編のフェルメールとはあんまり関係ありません。
ルカとニコラス。こんな珍しい組み合わせで行動しているのには理由があった。
それは朝のこと。
「この街も長いわね」
一行はほとんど旅から旅への根なし草のようになっていたのだが、その街での滞在は長かった。故に、ニコラスがダンスをするのも、段々街の馴染みになってきて、「あ、今日もやってる」「こんにちは」などという親しげな声がけが増えてきたように感じる。
いつものように準備運動をしていると、とてとてとそこに近づいてくる影があった。
それは小さな影で、ニコラスはかなり近づいてくるまで気づかなかった。子どもである。
「あの、あの」
「なんだい?」
努めて優しく応じると、遠慮がちなその子は持っている荷物で顔を隠すようにしながら言葉を紡いだ。
「お兄さん、何日か前からここにいるしゅーふくかさんの仲間だって聞いた。絵のしゅーふくをお願いします」
辿々しく、その子はつまりルカへの依頼を持ってきたのだ。
まあ、ルカと旅をしているうちに、絵画修復の依頼が来るのは珍しいことではなくなった。ただそれだけだったなら、ニコラスも、ニコラスが呼んだルカも、頭を悩ませることはなかっただろう。
問題はその絵にあった。
その絵は学校に通っているか、本を読んだことがあるのなら、一度くらいは目にしているのではないだろうか、というくらい有名な絵である。まさか、現代の巨匠がAEPに還元されたくないという理由だけで家に放置していたということはないだろう。絵画エネルギーの社会で絵画を隠し持つことは自分の生活にも関わってくることだ。提出を求められたなら、進んで自らの所有する絵画を提出するのが、暗黙の了解となっている。
もちろん、AEPに還元されたのは現代の巨匠の絵だけではない。昔に存在した巨匠の絵も、既にAEPに還元されていて、絵画として残っているものはほとんどない。
と、話をルカとニコラスの目の前にある絵画に戻すが。
「……これ、どう考えても、贋作よね」
「それ以外考えられないと思う」
ニコラスの呟きにルカが頷く。
子どもが後生大事に抱えてきたのは、かつての巨匠、フェルメールの有名な作品、「真珠の耳飾りの女」である。
画家、フェルメールは「青の名手」として有名で、ラピスラズリ、まあルカの目と同じ色の鉱石から作られる色であるウルトラマリンブルーをよく使っていたという。ウルトラマリンブルーは別名、「フェルメールブルー」と呼ばれたくらい、その鮮やかな発色の青はフェルメールの代名詞とされた。
という知識はさておき。問題はそんな色彩豊かでAEP還元率の高そうな絵が、現代に果たして残っているのか、というところにある。答えは限りなくゼロに近い。まあ、失われた絵画というのもなくはないから、発掘されたという可能性もゼロではないのだが、本に載るほど有名な絵画がルーブルに回収されていないと考えるのも難しい。結果、これは贋作、という仮定に辿り着くわけである。
さて、この絵を持ってきた子どもを見てみよう。どうやら女の子で、みすぼらしい格好をしている。このことから、家はお世辞にも裕福とは言えないのだろう。
それがどうやってこのような名画を手に入れられようか。おそらく、贋作を掴まされたにちがいない。ただ、エネルギー史上主義である現代において、絵画の真贋は二の次である。贋作でも、エネルギー還元率が高いならば、高値で売れる可能性はある。そうやって金を稼ぐあこぎなやつがいないわけでもない。語っていると悲しい世の中のような気もするが、それが今という時代だ。
安値で手に入れた贋作を修復して提出する。まあ、賢い選択ではある。
ただ、ルカには修復の出来は保証できない。贋作が、本物により近い渾身の贋作ならば可能性はあるが、下手な贋作だと、修復しても無意味になる場合があるからだ。
修復家は絵画を蘇らせることはしても、そこに手を加えるようなことをしてはいけない。それがルカの信条だった。
「どうするの?」
ニコラスがルカを見る。ルカは一つこくりと頷いた。
「この依頼、受けるよ」
「ほんとに? やった」
ママに褒めてもらえる、と喜び勇んで帰った女の子の姿をニコラスは憂いを帯びた目で見ていた。
女の子の家の連絡先は女の子は知らなかった。だから、三日ごとに来て、ルカの仕事が終わり次第、絵を引き取る、ということで話はまとまった。
「ルカ、本当によかったのかい?」
「別に、今の時代、絵画の真贋なんて関係ないよ。それはルーブルも修復家も一緒だ。それに、誰かのためになるんなら、修復するのは悪いことじゃない」
「まあ、そうだろうけどねぇ」
「それに、贋作でも、過去の名画に会えるのは嬉しい」
ルカのその一言に、ニコラスは苦笑するしかなかった。ルカらしいというかなんというか。まあ、ぱっと見で「真珠の耳飾りの女」と判別できたくらいだ。贋作師の腕は悪くないだろう。それに、ルカは言葉通り嬉しそうだった。
ホテルに持ち込んだとき、アダムやニノンがざわめいた。アダムは画家に関する知識を持っているだろうし、ニノンは感性が豊かだ。一目でフェルメールの青に魅了されていた。
そんな光景をニコラスは温かく見守っていた。
依頼を受けた翌日。
準備運動をしていると、女の子がやってきた。昨日の女の子だ。不思議に思っていると、ニコラスの腰ほどしかない背丈の女の子はニコラスの足にしがみついてきた。
その手は不安そうに震えていた。
「お兄さん、昨日の絵はどう?」
「どうと言われてもねぇ。私は修復する側じゃないし、絵には今日から手をつけるんだよ。まだ、どうもこうもわからないさ」
「えーいーぴーのかんげんりつは高くなりそう?」
「それも修復が終わらないとわからないし、還元率なんて、本当に還元してみないとわからないものよ」
「そう……」
かなり女の子がしょんぼりするものだから、ニコラスは不審に思った。
「どうしてそんなに還元率が気になるんだい?」
すると、女の子はぎゅう、とニコラスの足にしがみつきながら答えた。
「かんげんりつがないとお金に困るから。電気にも困る」
それだけではないだろう。
「本当は?」
女の子はぎゅう、とニコラスの足に抱きつきながら、小さい小さい、ほとんど囁くような声で告げた。
「……ママが、怒るから」
ママ、ねぇ、とニコラスは誰にともなく、呟いた。
「ママはどんな人?」
つっかえながらも女の子は説明する。
「ママは、優しかった。本当は優しかった。でも今はお金がないお金がないって毎日怒ってる。わたしがいるからだって、ばしんってしてくる」
どうやら家庭内暴力もあるらしい。参ったものだ。
「これがお金にならなきゃ死ぬって……ママが死んじゃうの嫌だ!」
ママが言っていることはまあ、置いておくとして、この女の子がいい子であるというのはよくわかった。
「……いいかい。きっとあの絵は大丈夫さ。高く売れるよ」
「ほんと?」
「そうよ。あの絵は昔々の名画なのさ」
「名画? それって、かんげんりつ高い?」
「ええ」
軽くあの絵の説明をする。
「あの絵はね、『真珠の耳飾りの女』、もしくは『青いバンダナの女』と呼ばれた絵なのよ」
「確かに、青がいっぱいだった。青がいっぱいだと、いいことあるの?」
「ええ。あの青はただの青じゃなくて、特別な青でね。この島でたくさん採れる、青い宝石が原料なんだよ」
「宝石? 宝石、ママ大好き」
まあ、宝石が嫌いな人間の方が少ないだろう。
「宝石がいっぱい使われているから、その分いっぱいお金になるよ。電気になるかはわからないけどね」
「お金、ママ喜ぶ!」
女の子は嬉しそうに笑った。
「うん、ただ、このことはママには秘密だよ。ママをびっくりさせよう」
「うん、ありがとう」
その女の子の笑顔が。
「ニコラス、ありがとう」
少し、過去に向けられた笑顔と重なった。
女の子がいなくなってから、しばらくして。
「……夢のある話してんじゃねぇか」
「あらアダムちゃん、聞いてたの」
「まあな」
アダムが買い物袋を片手に手をひらひらと振った。それからアダムは少し視線を逸らして言った。
「別に、悔やむこたねぇと思うがな。誰かの夢を守るための嘘ならさ」
今の話はあながち嘘でもないが。
「……そう」
ニコラスは頷いた。
「じゃ、俺は買い物に行くわ。頑張れよ」
肩を叩いた手に力強さを感じ、ニコラスは微笑んだ。
ちょっと想像が入りました。
モバイル配信が終了して、いつ戻ってくるかわからないので、スマホになるまでこの作品はお休みしますが、さかなさんと「コルシカの修復家」をこれからも応援しています。