ルカの懊悩
「コルシカの修復家」100話突破記念に書いたものです。(100話なぞとっくに越えてます)
「ねぇねぇ、ニコラス」
「どうしたの? ニノン」
とあるホテルでのこと。赤い絨毯が敷き詰められている豪奢な造りのホテルなのだが、旅の一行には良心的な価格で泊まれる仕様となっていた。なんでも、ルーブルの息がかかっているとかいないとかで、画家か絵画修復家がいると割安にしてくれるというのと、何やら事故物件らしいというのでかなり割安になっているホテルだ。
いつぞやの曰く付きホテルと違い、何か出るとかそういったことも雰囲気も一切ないホテルなのだが、ニコラスに声をかけたニノンの顔は浮かない。
朝食を終えて、ロビーでゆったりコーヒーを飲んでいたニコラスであるが、ちらちらとニノンが散らす視線に、なんとなく異変というか……異常事態には気づいていた。ちなみにニノンも先程一緒に朝食を摂ったところだ。
「あのさ……ルカ、あそこから全然動かないんだけど……」
遠慮がちに放たれた相談事は、ニコラスの予期していた通りだった。
旅の一員であり、割引の要因となったルカであるのだが、ニコラスより後方──入口に近い席で、じっとテーブルに置いた新聞とにらめっこしている。眉一つ動かさない彼の様子は、新聞を読んでいるのか怪しいほどだ。
ニコラスの記憶が正しければ……彼はニコラスたちが朝食を食べに行く前からずっと、あそこに座って新聞を読んでいたはずである。かれこれ二時間は経つのではないだろうか。気のせいだとは思うが、二時間前から一ミリも動いていないような気もする。いっそ不気味だ。
「このホテル、事故物件とか言ってたから何かに取り憑かれてるとか、ないよね?」
「んな馬鹿な話あるかよ」
「アダム!」
いつの間にやらアダムが二人の間に入っていた。手には紙パックの牛乳を持っている。
そこから一口チュー、と啜ると、アダムは続けた。
「まあ、ある部屋で画家が非業の死を遂げたとかいう話があるけどよ、あのホテルと違って明るいし綺麗だし豪華だろ。幽霊要素がねぇよ」
「明るくて綺麗で豪華でも幽霊には関係ないんじゃないかな……」
「出る雰囲気がねぇって言いてぇの」
「アダムちゃん、握ると中身溢れるわよ」
力説のあまり手に力を込めてしまったアダムが、ニコラスの指摘に「おっといけねぇ」とパックを持ち直した。
「つーかさぁ、気になるんなら本人に聞きゃいいんじゃね?」
アダムはごもっともな意見を置いて、牛乳を飲み干すと、ぺしゃんと紙パックを潰し、ごみ捨てがてら、ルカの方に歩み寄っていく。少し遠いため、会話は聞こえないが、ルカはアダムの声がけに反応して顔を上げた。さしずめ「よぉ、ルカ」「何、アダム」みたいな言葉が交わされたのだろう。
何をしているのか問いかけた様子のアダムに、ルカがじっとにらめっこしていた新聞を持ち上げ、ぴらりと見せる。すると、アダムが神妙な面持ちになり、先程のルカ同様、新聞をじっと見て、動かなくなった。
「もしかしてなのだけど」
ニコラスがコーヒーを一口飲むと告げた。
「あの新聞が何かしらの原因なんじゃないかしら?」
「黒魔法とかかかってるの?」
「ニノン、突拍子もなくファンタジーにするのはおやめなさい」
黒魔法はかつてイギリスだかイタリアだかを中心に流行ったとまことしやかに囁かれる邪法である。笑えない。
「普通の新聞でしょう。タイトルだってそうだし」
「ルカとアダムは黒魔法に魅入られちゃったのかな!?」
「だからニノン、黒魔法から離れなさい」
「でも黒魔法ってちょっと気になるかも……」
「だから……」
五分ほど、黒魔法に魅入られたニノンを諭すこととなったニコラス。
それからようやくまともな話に戻す。
「気になる記事でもあったんじゃないの?」
そう、それが妥当な結論である。気になることがあったら、とことん追究するタイプがルカである。無口無表情な頭の中で、とんでもなくごちゃごちゃしたことを考えているのかもしれない。
「アダムも見てるってことは、絵画関係?」
「ルーブルから何か発表でもあったのかしら?」
ニコラスは口にはしてみたものの、どうもそれはしっくり来ない。二人が読んでいる新聞はローカルタイプだ。ルーブル関係の発表なら、もっと大々的に取り上げられるだろうし、何より、テレビで取り上げられるだろう。見たところ、そういったニュースはない。せいぜい次の計画停電の日時くらいだ。
「でも、絵画関係であることは確かだよね。アダムも絵を描くっていうし」
「そうね」
だんだんニコラスも直接見に行った方が早い気がしてきた。……とコーヒーを飲んでいると、アダムに動きがあった。ルカに何やら言っている。ルカも真剣な表情で相槌を打っていた。
「ああいう、なんか男の子同士で仲いいのっていいよね」
「結構話題の方向が変わったけれど、そうね」
ニノンの話題転換に驚きつつ、ニコラスも相槌を打つ。
「アダムすごいなー。私だったら、あんな感じのルカには気軽に声かけれないと思う」
「そこが友情? の表れなんでしょうね」
ニコラスはコーヒーを飲み干すと立ち上がり、ニノンの腕を引いた。
「どうせだから私たちも行きましょ?」
「あ、うん」
ルカとアダムの方へ近づくと、会話の内容が次第に明瞭に聞こえてくる。
「……は、だろ……」
「でも……によっては……」
ルカが眉間にしわを寄せていて、内容が深刻なものであるように感じられた。
そこにニコラスが二人の間からひょこっと頭を覗かせ、新聞を見る。
「二人して何見てるのさ?」
「あ、ニコラス、聞いてよ……この記事なんだけど」
ルカが珍しく、興奮気味な様子でとある記事を指す。ニノンもルカの隣から覗き込んだ。
そこにはこんな記事が載っていた。
「修復された絵画についての考察」
「修復された絵画は修復前の絵画とは全くの別物になるのではないか? という議論が『絵画について考える』という某画家の講演会において行われた。
某氏は、『絵画に込めた思いというのを修復家に汲み取れるのか。それを汲み取れない修復家が修復した絵画など贋作も同然』と語った。
この過激とも取れる意見に対して、ネット上では大変な騒ぎになっており、某氏の賛同派と反対派、真っ二つに意見が割れているところである。
中にはルーブルに対して意見を求める声もあり、一講演会から世界的に波紋をもたらす疑問となりかねない議題として、本誌でも取り上げた次第である。……」
「これは……」
記事を読み終えたニコラスがちら、とルカを見る。絵画修復家たるルカにとっては死活問題となり得る問題提起である。この問題の結論如何では「絵画修復家」という職業自体がバッシングを受け、この世からなくなるかもしれないのだ。修復家家系であるルカにとっては一大事である。
「ただのローカルニュースだろ? そんなに気にする必要はねぇって」
アダムは軽くそう言ってのけるも、やはり気になるのか、ルカの表情を窺っている。
「エネルギーだって、今はAEPに頼りきりの状態だ。修復された絵画だって、エネルギーに変換される。そう考えたら、ルーブルだって、下手な解答は出さねぇだろうさ」
「そうだろうけど……」
ルカは少し俯いて、呟く。
「僕たち修復家にとっては、やっぱり手痛い指摘だよ。僕は、なるべく絵画を原画そのままの状態に戻すような修復を心がけているけれど、完全に画家が描いた光景と同じかって言われると、肯定できない」
「難しい問題ね」
贋作は言い過ぎだとは思うが。
そのとき、ニノンがそっとルカの手を包み込んだ。
「……偽物なんかじゃないよ」
毅然とした瞳にルカは吸い込まれるように魅入る。
「私は見てきたし、聞いてきたもん。ルカの修復した絵のこと。私が見た光景も聞いた言葉も、偽物なんかじゃない。ルカの修復は素敵なお仕事だと、私は思うな」
「ニノン……」
ルカはその瑠璃色の瞳を大きく見開き、ニノンを見つめた。
それから、鉄面皮な彼にしては珍しく、仄かに笑った。
「ありがとう」
余談。
「なんだか二人だけの世界になってるから、俺たちは退散するか」
「アダムちゃんと二人だけの世界になろうかしら」
「気持ち悪いからやめろ」
コルシカの修復家は絵画をエネルギーに変換するという近未来SFです。そんな中で旅をする一行が絵画の価値についてそれぞれの思いを抱きながら錯綜していく物語です。
そこへの問題提起の一つとして、今回の話を書いてみました。
私は小説書きと同時に絵描きでもあるので、ちょっと、色々思うところがありましたので、絵描きの皆さんにも一度、考えてみてほしいな、と思った次第です。