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コルシカの思い出  作者: 九JACK
十周年記念
44/47

価値のために

 喫茶店を出ると、ベルはホテルに戻ると帰り、春子はせっかくだから観光したいな、と呟いた。

 しかし、春子からの視線を受けた哀音は、申し訳なさそうに目を伏せ、ごめん、と謝る。

「先に戻る」

「……わかった。ゆっくり休みな」

「本当にごめん」

「いいって」

「大丈夫ですよ、哀音さん! 春子さんはわたしたちが案内しますんで!」

「おい」

 ニノンが勝手に名乗りを上げたのに対して、アダムが突っ込む。ルカとニコラスは異論がないようだが。

 アダムがニノンに耳打ちする。

「空気読めよ。春子さんと哀音さんって、所謂コレだろ!? どう見ても!!」

 小指を立てるアダム。まあ、そう見えないこともない。哀音は対面時から春子に親しげなアダムなどに威嚇を放っていたし、春子もさっぱりしているようで、時折哀音の様子を気にかけている。

 小指を立てるんじゃないよ、とニコラスの小声のツッコミが入りつつ、ニノンがアダムに答える。

「だからだよ。女の子のわたしなら、春子さんといても、あんまり警戒されないでしょ? 春子さんのボディーガードもできるし!」

「いや、春子さんのが圧倒的に強そうだろ」

「い、いいもん! ニコラスにもついてきてもらうもん!!」

「女の子とは」

「おやアダムちゃん、何か?」

「イエ、ナンデモナイデス」

 愉快な一行の様子に、春子は表情を和らげる。哀音はどこか不安げな表情をしていたが。

 まあ、ニコラスはサーカス団に所属していたこともあり、アダムやルカなどとは鍛え方が違うだろうから「ボディーガード」には適任だろう。

 それに、ツッコミどころはまだまだあるが、アダムは春子より気にかかることがあった。

「俺は、哀音さんに聞きたいことがあるから行けねぇわ。任せたぞ」

「任された!」

 びしっと得意げに敬礼をするニノン。元気なやつだなぁ、と思っていると、ルカがすっと輪から抜けようとした。それを見逃すことなく、アダムががっしり、その手首を捕まえる。

 ルカがびっくりしたように振り向く。

「え、なに」

「そりゃこっちの台詞だわ! 何一人で勝手にはぐれようとしてんだよ!?」

 せめて行き先を言え、行き先を、というアダムに、少し考えてからルカが示したのは、小さくなっていくベルの背中だ。

「あの人に、聞きたいことがあって」

「ベルさんなら、あたしたちと同じホテルに泊まるんじゃないかな? さっき見かけたわよ」

 あんな目を惹く印象深い人間を、そうそう見間違えることはないでしょ、というニコラスの補足に、ニノンがうんうんと頷く。ルカを引き留めることはないようだ。

(なんだかんだ、ルカってこの中で一番頑固だし)

 三人の思考が、知れず、リンクする。旅で培ってきた経験と信頼によるものだ。

 頑固というと聞こえが悪いかもしれない。絵画修復家という、必要ではありながら、一風変わった職を請け負っているため、ルカは同年代より、信条が強いのだ。

 ベルは立ち居振る舞いや商人という立場からして怪しげな部分はあるが、信条を強く持つルカなら、言葉で惑わされる心配も少ないだろう。

「じゃ、またあとで」

 それぞれがそれぞれの目的を持って、歩き始めた。


「哀音さん」

 朗らかな声に哀音は立ち止まり、ゆっくりと振り向く。あまり気が向いていないことがわかる緩慢な動作。元々ではあるが、良いとは言えない目付き。

 鋭い眼光のようでいて、どこか寂寥を宿しているのを感じ、アダムは少し、唇を引き結んだ。

「なんだ?」

「聞きたいことがあって」

「アニメ関係のことなら、企業秘密だぞ」

「お、いいっすね、そういうの」

「茶化すな。あと、なんか邪推してるようだが、おれと春さんはそういう関係じゃない」

「またまたぁ」

 茶化すな、と言われたそばから茶化すアダムだが、哀音は強く責めることはなく、ただ噛みしめるように一言、告げる。

「——あの人には想い人がいる。おれじゃない。幼馴染みで、生きた年数とほぼほぼ同じくらい想い続けている相手だ」

 そこまで具体的かつ強めに言われてしまうと、さしものアダムも閉口せざるを得ない。哀音の口振りは、想い人に自分じゃない想い人がいることへの破れかぶれよりは、横恋慕なんてするわけないだろ、というプライドが感じられた。

 まさか、そちらから恋ばなを振ってくるとは思わなかったので、アダムは俄然興味が湧く。

「詳しいんすね。幼馴染み相手で、生きた年数と同じって……ん? 春子さんって何歳でしたっけ?」

「女性の年齢は迂闊に尋ねていいものじゃない」

 それはそうである。ただ、日本人というのは、かなり若見えすることで有名だ。AEPが普及する前の時代を知っているようだし、実はなかなか結構な年齢なのでは、と思い至ったところで、アダムはそっと考えるのをやめた。

 これ以上考えることこそ、やぶ蛇というやつである。

「って、俺が聞きたいのは、そういう話じゃないっすよ。哀音さん、あんたはどうしてアニメの製作に携わっているんですか? お兄さんの話もあって、あんたにとっては、あまり楽しい話じゃないでしょうに」

 アニメとイラストレーション文化はイコールで結べるわけではないが、絵という側面だけ見れば、似たような文化であると言える。きっと、心を壊さなければ、哀音と哀音の兄は共にアニメーションの製作をしていたことだろう。

 哀音にとっては、兄の仇とも言える文化を、どうして取り戻そうとするのか。アダムには疑問だった。それと……哀音の奥に潜んでいそうな何かに、覚えがあったのだ。

「楽しい話じゃないさ。あの人の心を傷つけたジャンルなのは確かだ。でも、だけどさ、あの人の心を慰めるのも、きっとこれしかないんだ」

 だから、取り戻す。そう宣言した哀音の目には確信があった。

 哀音の兄が傷つけられたのは、人の言葉によるものだ。だから「イラストレーション」というジャンル自体は悪くないし、「生成AI」そのものも、悪とするには少々無理があるだろう。

 傷つけた不特定多数の人間を責めたところで、壊れた心は治らない。心なんて、絵画のように修復できるものではないのだ。

「おれは、あの人の絵が、また人々の目に『価値あるもの』として映るように、戻したいだけなんだ」


 春子、ニノン、ニコラスの三人が訪れていたのは、画材屋だった。

「春子さんも絵を描くの?」

「私はからっきし」

 春子は肩を竦めて苦く笑う。

 一般常識程度に何を使うかの知識があるだけで、専門的なことは何もわからないのだという。

「でも、かなくんは絵を描くから、画材をプレゼントするのがいいかなって」

「確かに」

 そんな春子の思いを聞いて、ニコラスが眉を八の字にする。

「しまったわね。そういうことなら、ルカかアダムちゃんかを連れてくるべきだったわ」

「いいよいいよ。あんまり肩肘張ったプレゼントでも、恐縮しちゃうでしょ。ここに来た記念のお土産みたいなものだし」

 ボディーガードを名乗り上げてくれて嬉しかったわー、とからから笑う春子。女性にしては高身長であり、このからっとした性格、以前会ったときはスリの犯人を自分で捕まえていた。男より強い女性、なんてまあ、珍しいというほどではない時代かもしれないが、強い人を守ろうという発想にはあまりならないのだろう。

「守るより守られたい、みたいな考え方はあんまりしないけどね。かなくんのことは『守りたい』だし」

「やっぱり、大切な人だから?」

「それもある。でもね、そんな綺麗なものだけでいられたら、どんなによかったかって思うんだよ。……かなくんのお兄さんは、私の同級生でね。仲がよかったし、ジャンルは違うけど、互いを励まし合う仲だった。私は事件のとき、支えてあげられなかったんだ」

 かなくんといるのは、そこからくる罪悪感の方が大きいよ、という春子の呟きは、しっとりと、朝露のような優しさで浸透した。

 罪悪感、ね、とニコラスが瞼を伏せる。哀音の兄の件について、哀音は間違っても「春子のせい」だなんて言わないだろう。そんなことは、春子だって承知の上。罪悪感を抱いてしまう人間は、周りにどう許されようと、誰より自分を許すことができないのだ。

 春子の言葉尻に滲んだ感情に覚えがあって、ニコラスは苦虫を噛み潰す。苦いものは、咀嚼して飲み下していくしかない。

「かなくんは、無理してアニメを作ってるんじゃない。それは私が誰よりわかってるつもりだ。でもさ、ただ楽しくやってたあの頃のことを忘れないでほしい、思い出してほしいって思うんだ」

 春子が、画材の中から、鉛筆のセットを手に取る。おそらく、哀音は鉛筆をよく使うのだろう。

「春子さん、哀音さんのことが好きなんだね」

「ん?」

 ニノンは、特に含みもなく、そう口にした。ニコラスは一瞬焦ったが、ニノンの表情は純真無垢なものであったため、止めることはしない。

 鉛筆を手に取って眺める春子を見て、ニコラスも同じように思ったから。

「春子さん今、とっても優しい顔してたよ。罪悪感……はあるのかもしれないけど、哀音さんが大切って思いも、罪悪感に負けないくらい強いって! だから大丈夫」

「そうね。きっと、その優しさには、何物にも変えられない、価値があるもの」

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