尊厳と苦味
お待たせ致しました。
行商人ベル。聞いたことがなくて、旅の一行は顔を見合わせる。
「ベルさんは言うなれば何でも屋だ。神出鬼没で顔を知っている人は少ない。デジタルイラスト関連の知識と技術を持っている人で、提出するにあたって、サインを消してもらうためにコンタクトを取ったんだ」
「サインを消す?」
絵画をエネルギーとしてルーブルに提出できるか否かの区別方法として、作者のサインの有無がある。それはサインのあるものが「完成品」として扱われ、受理されるという意味だ。サインを消したら、未完成品に戻ってしまう。
不思議に思うルカたちに、ベルが説明する。
「サインといっても、盗作やAI学習防止のためにつけられている透かしのことですね。紙幣なんかにも偽札が出回らないよう、つけられていたりするでしょう? そういう感じの役割のものです」
ベルが説明する脇で、春子が近くの空席から椅子を引っ張ってきて、哀音の隣に置く。哀音が少し席を詰めると、どうぞ、とベルに椅子を勧めた。ベルは品よく微笑み、静かに座る。
哀音がクリアファイルを出して、ベルに見せた。ベルは軽く目を通すと、ルカたちの方にもイラストを見せる。確かに、絵には作者のサインの他に日本語や英語などで同じ文字列が斜めに繰り返し貼られていた。
「なんて書いてあるの?」
「『無断転載禁止』や『無断使用禁止』という意味の言葉ですよ。転載というのは、本人以外の人が、勝手に別媒体などに掲載することですね。イラスト生成ツール問題より以前から、作者の尊厳や、絵を生み出した権利などを害する行為は様々ありました。そこでよく使われたのが、透かし処理ですね。他にも様々な対処法があったそうですが」
「絵を生み出した権利なんて、あってねえようなもんだろ」
アダムが唇を尖らせて言う。
絵画がエネルギーに変換される時代。かつて絵画の価値であった「芸術性」と共に失われた画家が描いた絵を愛する「権利」。エネルギーにされた絵画は作者のサインもろとも消える。エネルギーになりさえすれば、誰が描いたものか、なんて大した問題ではないのだ。
そうして消えていったひまわりの絵を思うからこそ、アダムはあからさまに反感を抱いている反応をする。
そんなアダムの言葉に、春子は寂しげに微笑む。
「前はあったんだよ。あたしたちが知らないような、昔のことだけど」
春子はアダムの頭を撫でようと手を伸ばしかけ、途中で届かないことに気づき、手を引っ込める。行き場を失った手がそっと浮遊して、机の下に隠れていく。ニコラスがコーヒーを啜りながら、それに気づいた。
悲しい人だな、と思う。なんだか、諦め慣れている。手を伸ばすのを諦める。届かないことも諦められる。良くも悪くも「大人」だな、と感じた。
だからアダムたちに手を伸ばしたくなったりするのだけれど。
「ところで」
それまで黙っていたベルが、カップをソーサーに戻しながら、小首を傾げる。
「依頼人は日本人の二人組と聞いていましたが」
「ああ、俺たちは知り合いで、久しぶりに会ったのでお茶しながら話聞かせてもらってたんですよ」
さらりと答えるアダムに、哀音が物言いたげな目線を送る。「自分は今日初対面だが?」という文字でも浮かんできそうなほど、ありありと感情が表れた目だ。
それに気づいているかはさておき、ベルはそうでしたか、とにこやかに頷いた。
「ご興味があるのなら、アーティファクトインテリジェンスについても説明致しましょうか。日本では『イラスト』という文化が根強かったから、とても栄えていたんですよ」
「あーてぃ……?」
「アーティファクトインテリジェンス、略してAI、と呼ぶのが一般的でしたか。人工知能のことです」
エネルギーショックが起こる前、コンピューターが栄えていた頃。ロボットを作り出した人間の中には、ロボットに人間の代替を求める場合もあり、機械に人間と遜色ない思考能力を求めた。そうして産み出されたのがAIである。
人間はAIに様々なことを学習させ、人間のできること全てを教え込んだ。最初は学習材料が少ないため、何をしてもヘンテコな出来映えで、それを見た人間は「機械でも何もかもが完璧というわけじゃないんだなあ」とAIへの親しみを募らせた。
年数を経れば、学習材料も増え、学習時間も増えたAIは、よりよいものを生み出していくようになる。人間は必ずしも学習した分だけの成果を出す、というわけではないが、その点はAIにとって有利な条件だった。だからこそ、人間はAIに代替を求めたはずだ。
インターネットの検索エンジン、電子受付の自動応対など、AIは着実に活躍の場を築いていき、その市場は徐々にクリエイター——絵師や脚本家などの活動範囲へと広がっていった。
一般に「生成AI」と呼ばれた文面から絵や文章を出力するAIの普及が、明確な不和の始まりだった。
「SNSにより、イラストレーターが絵を載せれば、それはインターネットを通じて、世界中に公開され、瞬く間に拡散され、見た人からの反応を獲得していく。自由な画像保存ができたため、模写や盗作の自作発言による犯罪も絶え間ないものでしたが、それでも、SNSを利用した作品掲載は気軽な展覧会のように、多くのイラストレーターに使われていました。
生成AIのため、無断で学習材料にされた大量のイラストの存在が発覚するまでは」
「さっき言ってた、生成ツールっていうやつ?」
「そうです」
ベルはアダムに目を向ける。そのどこか含みのある笑みに、アダムはどきりとした。
コーヒーを一口含むと、ベルはゆっくり嚥下し、話を続けた。
「機械に学習させたことを生かした絵。それの何が悪いのか、という疑問をお持ちでしたよね。AIそのものは、何も悪くないんですよ。事実、AIを巡る様々な事件を経て尚、AIは使われ続けましたから。
問題はAIを使う人間にあります」
そもそも、このサインの発端も人間が盗作問題を起こしたからですし、とベルはイラストの中に刻まれた透かしをそっと撫でる。
「AEPの変換においても、贋作は変換対象にならない、というのが決まりでしょう? おかしな話です。エネルギーになりさえすればいいのなら、贋作だろうが貪欲に取り込んでいけばいいのに」
「贋作の場合の還元効率が悪いからじゃないですか?」
ルカからの指摘に、ベルはそれもあるでしょうね、とベルはころころと笑う。
何が面白いのだろう、とルカとニノンが顔を見合わせると、ベルはスティックシュガーに手を伸ばし、カップの上でぽきりと折る。もうさして量のない黒い湖面の中に、さらさらと白い砂が吸い込まれていく。
スプーンでかき回す音を規則正しく奏でながら、ベルは告げた。
「けれど、エネルギーが枯渇し、絵画をエネルギーに変換するしかない時代、本当に『絵画にはエネルギー源としての価値しかない』というのなら、子どもの落書きも、贋作も、盗作でさえ、エネルギーに変換し、絵という絵は全て、エネルギーを搾り取られなければならない。でも、そうではないでしょう?
それは人が人としての尊厳を捨てられないからですよ」
「尊厳?」
「ええ。自分は特別だ、という価値です」
エネルギーとして、絵を使うのなら、過去に生成AIによるイラスト文化が発展したというのなら、とベルが謳う。哀音が、先に続く言葉を察したのか、鋭い目線を向けた。
険悪な雰囲気の目に臆することなく、ベルは肩を竦める。
「生成AIを復活させるべきだった。そうすれば、人間は労することなく、エネルギー還元率の高い絵画を生産できた。もちろん、AIを調整するのにエネルギーは必要でしょうが、人間の労力を最小限にするのなら、機械文明の復活は早急に対応すべき問題だった。
それをしないのは、『人間が描くことに価値や意味がある』という尊厳があるからですよ。いくら絵画にエネルギーとしての価値しかないと宣告しても、奥底にあるそれを、捨てられなかったんです」
「……愚かとでも言いたげだな」
哀音が低い声で告げると、ベルはからからと笑った。春子が慌てて哀音を宥める。
それを眺めていたアダムは、哀音の苛立ちに同意を覚えた。人間は愚か。主語を大きくして、さも「おおらかな表現」であるかのように、この場の全員を馬鹿にしている、とも取れる。まあ、そんな捉え方をしてしまう方がひねくれているのかもしれないが……ベルの所作や言葉選びを見ていると、そういった捻れがベルの中に存在しているように思える。
「愚かかもしれませんが、それが人間の持つ愛嬌で、愛おしさじゃないですか」
僕は嫌いじゃありません、とベルはにこりとした。
「愛らしいですよ。自分の作品への愛というのは、自己愛の表れです。自己愛というのが引っかかるのなら、自己肯定と言いましょうか。人間が普遍的に持っているべきものです。普遍を大切にするのは、とても健全で、当たり前で、当たり前のことを当たり前にできるのは、素晴らしい」
「普通なことが、素敵に感じるってこと?」
「短くまとめると、そうですね」
「それならわかるなあ」
ニノンがゆったりと頷く。
ニノンは、記憶喪失だったり、絵画の声が聞こえたり、とても「普通」という枠組みには収めておけない少女だ。普通じゃないものも、好きだけれど。
ニノンは目を閉じ、これまで出会ってきた絵画を思い出す。
罪悪感、悲しみ、喜び、懐かしさ、希望、絶望、愛おしさ。絵画たちはニノンに様々な感情を伝えてきた。
どれも、狂おしいほどに、激情として表れていた。それはきっとベルの言う人間の奥底に潜んだ「尊厳」に依るものだ。
それなら、ニノンはどれも好きで、忘れられない。愛おしいと思うのもわかる。
瞼を震わせて開いた目には、強いすみれ色の光。それはベルにも、哀音にも、春子にも刺さった。
「自己愛って、自分のことを好きってことでしょう? 私は自分が嫌いな人より、自分を好きって言える人を応援したくなるよ」
「まぁ、確かに」
アダムが組んでいた腕を組み替えながら頷く。
「言い方が引っかかるだけで、描いた絵への愛着やこだわりの話ってんなら、ベルさんの言うこともわかるか。愛着やこだわりがないってことはないだろうし、愛着やこだわりがあるって知ってるから『そこがすごい』って思えるもんな」
述べて、アダムはちら、とルカを見る。
初めてルカに会ったとき。初めて「絵画修復家」を見たとき。画家の特徴から画材を特定して、絵画を鮮やかな姿に蘇らせたあれを、魔法だと思った。ルカは魔法じゃないと言ったし、実際科学に基づく技術によるものだ。けれど、それを駆使して、絵画を修復するルカには、確かな信念が宿っていた。
傷ついた絵画を元に戻す。画家の意図を尊重するルカのやり方や姿勢がアダムは好きだ。そういう「在り方」も、普遍に存在する「尊厳」からきている。それなら、確かに愛おしい。
ふう、と息を吐いて、アダムはカップに手を伸ばす。少し冷めたコーヒーは、苦味よりもどこか酸味を想起させる香りを放っていた。
ベルというこの商人は、随分ともって回った言い方をするなあ、と横目で見やる。商人である彼、しかも、行商人というから、人より世間に揉まれているのかもしれないが、ちょっとやりづらい。
そんなベルに噛みつきかけた哀音が、ニノンとアダムの言葉を受け、気勢を削がれたような釈然としない表情をしていた。コーヒーよりも圧倒的に苦いものを口に含んだような表情。
「ふふ、自分の考えを他者の言葉に言い換えてもらうのは、いい経験ですね、汀さん」
「……」
甘ったるいであろうコーヒーを飲みながら、ベルが楽しげに哀音に話しかける。哀音はベルとあまり話したくないのか、ふい、とよそを向いた。
「汀さんのイラストレーション、結構好きなんですよ、僕。そんな汀さんからのご依頼だから、引き受けたところもありますし」
「それはどうも」
「それとも、やっぱり嫌になりましたか? 大切な絵が、人々の食い物にされるのが。……あなたの作品だけならまだしも、依頼品には、あなたのお兄さんの作品も含まれますものね」
ベルの言葉に、一同の視線が哀音の方へと向いた。
もう少し続きます。
年内には終わらせます。




