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コルシカの思い出  作者: 九JACK
緊急企画「環境活動家と絵画について」
24/47

アダムとトマトスープ

2022年10月31日

緊急企画

「環境活動家と絵画について」考える

 木枯らしが吹き始めたこの頃、温かいというだけでスープはありがたいものだ。

 一泊の宿と一食分の食事を得たルカたち旅の一行が今日泊まっているのは、元宿屋の民家である。部屋が広いわけではないので、二人ずつに分かれてもベッドでぎゅうぎゅうな感じの部屋だが、この宿屋の持ち主はとても人が好く、四人を歓迎してくれた。もう宿屋ではないし、お金も取らないという。何より、寒いからということで温かいスープを出してくれたのだ。

 ほわりとトマトの甘さが香るスープ。甘さと酸味の仲をコンソメの旨味が取り持ってくれているトマトスープは体だけでなく、心まで温まっていくようだった。

「スープとっても美味しかったよ、おばあちゃん」

 ニノンが弾んだ声でそう言うと、糸目のおばあさんはしわくちゃの顔をにこぉっと更にしわくちゃにしていた。

「トマトスープはわたしの得意料理さね。あっちに行く前に人しゃかせることがまたできるなんて、うれしいごった。ありがとうねえ、お嬢ちゃん」

「えへへ、こっちこそありがとう、おばあちゃん」

 ニノンを孫を愛でるようになでなで、とする糸目で垂れ目の老婦人はラーシュエと名乗った。主人と息子娘と宿屋を経営していたらしいが、息子娘は大人になると働きに都会へ出てしまい、ご主人には先立たれ、宿屋をやめて久しいらしい。

「若い頃はトマトスープいっぱいこさえで、お客さんにたくさん食べてもらえるのが幸せだったえ。そういうのはもう十年以上なかったから、お客さんらが来てくれてうれしいなあ」

「ばあさん、十年以上一人暮らしだったのか?」

 アダムの問いかけにラーシュエは頷く。

「一人は寂しいもんさね。まあ、あの人が残してくれたお金でなんとかやってんださ」

「残してくれたって? この宿屋じゃなくて?」

 んー、とラーシュエは頷き、ぽつぽつと語り始める。

「絵画を残してくれたんだ。ひまわりの絵と積みわらの絵」

「つみわら?」

 首を傾げるニノンにラーシュエは優しく教える。

「小麦とかをね、収穫したら、畑のすまっこさ山にして積むのしゃ。すっと、穂が落ちやすくなんだ。むかーしむかしの手法だよ」

「ああ! モネのやつが有名なあれっすね」

 クロード・モネ。印象派を代表するかつての画家の一人である。モネは干し草の山に何らかの芸術性を見出だし、代表作と呼ばれるほどに「積みわら」の作品を書いたことで知られている。ルカも何かで読んだこともあった。

「絵画エネルギーができるまでは大変だったからねえ。機械は燃料がなきゃ動かないし、積みわらをするとこは今もちらほらあるよ」

「ひまわりもこの辺じゃ有名だからなあ。誰が描いてもおかしくはねえか」

 ひまわりはゴッホの代表作と言われている。

 今は絵画エネルギーに変えるために絵画が求められる時代である。芸術性という言葉は失われた。芸術性を求めて制作された絵画もエネルギー源として消え、今はもうない。

「誰かの役に立つことをして、自分も不便でねえ生活ができるのはいいことやよ。わたしはそういう風に使える絵画をあの人が残してくれたことがうれしかったんださ」

「そっか」

 どこかほのぼのとした話だ。いつも、絵画エネルギーにまつわる話は絵画を手放すという判断に寂しさを感じたりするものだが。

 そうしてトマトスープを飲みながらラーシュエの話を聞いていたのだが、アダムはふと、傍らに座るニコラスの表情が曇っていることに気づいた。ルカですら美味しいトマトスープで口の滑りがよくなっているというのに。

 ニコラスは大人らしく、絵画がエネルギーとして変換されることに善悪をつけることはなかった。まあ、ニコラスのみならず、絵画がエネルギーに変換されることは世間話の一つのようなものだ。朝陽が東から昇るような、常識的な話にいちいち苦悩しているようでは大人をやっていられない。

 だからこそ、ニコラスが苦々しい顔をしていることがアダムには不思議でならなかった。

「なあ、ニコラス。ちょっと夜風に当たりに行こうぜ」

「あら、アダムちゃんからデートのお誘いなんて、嬉しいわ」

 冗談を言う元気はあるらしい。心配して損した、と思いながらも、外套をひっかけて、アダムはニコラスと外に出た。

 ひゅう、と音を立てる風は冷たく肌を撫でていく。民家から出てちょっと行った水の流れていない噴水のところで、貯水池の縁にアダムがどかっと座る。

 表情が暗いままのニコラスを見上げて問う。

「どうしたんだ? トマトスープ、口に合わなかったのか?」

「いいえ、とっても美味しかったわ」

「じゃあなんだよ、その顔は」

 あんまりしけた面してっと、ニノンやばあさんが心配すんぞー、とアダムが付け加えると、ニコラスは観念したように仄かに笑って、アダムの隣に腰掛ける。

「ちょっとね、組み合わせ的にあんまりよくない話を思い出したのよ」

「組み合わせ?」

「『ゴッホのひまわりにトマトスープがかけられた』っていう話、知ってる?」

 なんじゃそりゃ、とアダムは驚く。知らなくとも無理はない。

「あるとき……これは絵画エネルギーが発見されるよりもっと昔の、火力発電……石油燃料が使われていたときに起こった事件よ。環境活動家がゴッホのひまわりにトマトスープをかけて、『化石燃料を使って地球や人間の生活を守らないくせになんでこんな絵画を後生大事に守るのか』とか『絵画や芸術を守っても何にもならない』とか叫んだ事件があったのよ。

 環境活動家と絵画にまつわる事件はゴッホのひまわりだけじゃなくて、モネの積みわらやモナリザ、フェルメールの真珠の耳飾りの女とか……本当、絵画にばかり矛先が向いていたときがあって。でもあそこでする話じゃないでしょ?」

 確かに、あの場面はラーシュエと旦那の優しい思い出話の場面だった。そこに持ち出すような話題ではないだろう。関連性があるものが出てきて、連想してしまうのはわかるが。

 アダムは深々、呆れたような溜め息を吐く。

「空気読むのはいいけどさ、それでいちいちへこむなよ」

「いや、でも思い出して気分のいい話でもないし……」

「だーかーら! 気分が悪いんだったらそう言やいいだろ。俺とかにさ」

 アダムのぶすくれた顔を見て、ニコラスが目を見開く。

「アダムちゃん……」

「んだよ?」

「心配してくれたのね! 嬉しい!」

「最初からそう言って、こら、抱きつくな! 抱きしめるな! ほん、ちょ、ちからつよ、くるし」

 ぽんぽんぽん、とアダムはギブアップの意思を伝えると、ニコラスはあら残念、とアダムを離す。

「寒いから温まらない?」

「じゃあ戻ってトマトスープ飲もうぜ。環境活動家とやらの話は夜寝るときに聞いてやるからよ」

 アダムはニコラスの肩をぽんぽん、と叩いた。

 ニコラスは大人だ保護者だ、という感じで一人で悩んでいることが多い。一人で抱えたいものもあるだろうから、アダムは好きに抱えていればいいんじゃね、と思ってあまり何か言おうとはしないが、蓋を開けると、こんななんでもないことだったりするので、たまには聞いた方がいいな、と思った。

 ほう、と息を吐いてみたが、まだ白くはならない。中途半端な凍え。けれどそれは確かに心も体も蝕むものだ。

 こんな日に温かいスープを飲めることがどれだけありがたいことか。環境活動家とやらは考えなかったのだろうか。お前らが絵画(ひまわり)にぶちまけた一杯は路地裏にいるような子どもが、喉から手が出るほど飲みたかった一杯だというのに。

「絵画に何の価値もないって、今この時代に聞くと皮肉だよな」

 当時問題とされたであろう化石燃料が枯渇して、その代わりに生まれて世に広まったのが絵画エネルギーである。当時その事件を起こした人間は生きていないだろうが、もしこの未来を見たら、ひまわりにトマトスープを投げたやつはどう思うだろうか。

 ただ……「芸術性」は絵画から失われただろう。その点は的を射ているだろう。心揺さぶられるような素晴らしい絵画がいくら生み出されても、エネルギーとして消えていく世界。この世界に求められる絵画の価値は「エネルギー」としてであり、「芸術」という言葉は彼方に捨てられてしまった。

「何よ、今度はアダムちゃんが暗い顔してるじゃない」

「痛い、痛い、叩くな」

 ばしばしとニコラスがアダムの背中を叩く。元気づけてくれているのだろうが、力が強い。

「ま、トマトスープ飲んだら幸せになれんだろ」

 そう呟いて、アダムはニコラスとラーシュエの家に戻った。

続きます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >お前らが絵画ひまわりにぶちまけた一杯は路地裏にいるような子どもが、喉から手が出るほど飲みたかった一杯だというのに。 やっぱりここがすごく響きます。 孤児院時代、牧師といざこざを起こすたび…
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