日本の暗黒の時代
遅刻3
日本の暗黒の時代の独自解釈と、若干の私が作った世界観の話があります
暗黒の時代か、と桜色の目が細められた。そこに移るのは寂寥だった。
「もう二度と味わいたくない、けれど、その時代がなかったら今はない、忘れられるのが惜しまれる日々だったそうだよ」
日本の特に首都圏は灯りの絶えない夜で、人の行き交いも激しい、賑やかで騒々しい街だった。
それが、灯りがなくなっただけで、大きく様変わりしたのだ。意味をなくしたビル群。夜の灯りに慣れてしまった人々の目は、太陽の灯りを明るいと捉えることができなくなってしまった。電力供給をギリギリまで酷使した街は汚染され、太陽も掻き消すような暗い雲が立ち込めて、夜空には星さえ映さない。それはとても寂しいばかりの夜が続き、次第に治安も悪くなっていった。
日本は経済大国と呼ばれた国であり、科学技術もそれなりに発展した国だった。例えば同じ名前の家電でも、他の国のものと比べると性能が遥かに上だったり、他にはない機能を備えていたりした。海外からやってきた人が日本の家電を爆買いしていくブームまであったほどだ。
日本はそれだけ[電力]に頼った生活をしていた。もちろん、長持ちする食材や簡易的な動作で発電できるシステムを取り入れたものもあった。だが、それらの効果は電力で得ていた頃のものに比べたら微々たるもので、子どもが玩具で遊んでいるようなものだった。
日本はメルトダウンを起こしかけた国であったため、原子力の恐ろしさのあまり、そこそこに発展していた原子力発電所を全て処分してしまっていた。原子力発電所があれば、少しは足しになったであろうに。命あっての物種ではあるが、あまりにも緩やかに唐突に訪れた、来るであろうとわかっていたはずの時代の暗闇に呑まれてしまったのは、その悪手のためだろう。
火力発電はなくなったのに、その痕跡が空気を淀ませ、春子の生まれ育った地域では重い雲を常にもたらしていた。それゆえに、春子のいた地域は朝が来たかもわからないくらい暗く、夜が訪れたのかもわからないくらい星の見えない[朝の来ない街]と呼ばれた。
文明の廃れた街は、もう後はすがるものなど神くらいしかなく、雲がきっと晴れるように、いつか朝が来るように、祈る人々で溢れた。
そんな街の中で、詩を書いて歌う者がいた。その歌は希望だったり、切望だったり、憧憬だったり、夢幻の類だったりした。霧を掴むような虚しさと、心に残る捨てきれない願望に同時に訴えかけるような歌が、時間のわからない雲の下で、いつしか朝を告げる歌となっていた。
最初の一人が歌い始めると、だんだん様々な者が音を奏で始めた。歌に留まらず、ギターを手に取ったり、駅の中や開かれなくなったショッピングモールの只中に置かれたピアノに指を滑らせたり。灯りのない街に、音楽が灯った。
絵画エネルギーが発見され、日本にそれが行き渡るまで、春子のいた街はそうして絶望から逃れて生き延びた。
「その先頭に立っていたのが、私の父と母だった。父は詩を書くのが上手くて、母は声が美しかった。希望も切望も憧憬も夢も幻も、全てを歌い上げて通らせる、強い声を持っていた。それで一緒に歌を作ることが多くて、次第に互いに惹かれていった。……本人たちに聞かなくても、あの街にいた全員が知っていて、そう語った物語を、私は幼い頃からずっと聞かされ続けた。
そりゃ、人々が光を求めてさまよう暗黒の時代に、手を差し伸べて、光をもたらした存在という両親のことは誇らしかったさ」
春子の表情にやるせなさが浮かぶ。とても両親を素直に[誇らしい]とだけ思っている表情ではなかった。
孤児であるアダムには縁のない話であるが、親が有名で優秀なら、その子どもにも期待を寄せてしまう人の心理があることは聞き齧っていた。ルカが修復家をしているのは自分の意志だが、春子はそうではなかったのだろう。
「私の声や顔が母親似らしくてさ、新しい時代のアイドルになってほしいなんて言われたこともあったっけ」
「断ったんすか?」
きらびやかな衣装を着て、歌って踊ってをするのを日本ではアイドルといったらしいが。
「昔はそうさ。でも、私に今求められてるのはそういうのじゃないってすぐわかったんだ。それはアイドルの本来の意味──[偶像]だよ」
神様になんてなりたくなかった、と春子は告げた。
偶像崇拝。春子の母親がされていたのも、きっとそうなのだろう。名前だけ利用されて、中身は何も見ない、薄っぺらな信仰だ。
アダムはこれでも修道士だが、そんなのはくそくらえだと思う。神というのは架空の存在だからこそ、いくら敬っても果てがなく、実像を求めてしまったら、夢を自分から壊しに行くようで、虚しい。でも、一番虚しいのは、信仰する側ではなく、される側だろう。アダムとてまっぴらごめんだ。
「それでも、私には声がいいことくらいしか取り柄がなかったからさ、最終的な着地点に選んだのは声の仕事だった」
声優なら経歴等を伏せやすく、個人情報も洩れにくいのだという。あくまで細々とやるために選んだ職業だ。目立ちたくはないだろう。
「それに、あいつらの助けになれる仕事がしたかったんだ。他に替えの利かない、大切なやつらだからさ。
あいつらがアニメに懸けるプライドを応援したいんだ。手段は他にも色々あっただろうけどさ」
それは、ニノンの能力で見た映像を想起させた。春子がわざわざ矢面に立ったり、貧乏くじを引かなくたっていい、という部分だろう。
他にもあったかもしれないけれど、その道しか春子には見出だせなかったのだろう。そう考えると、寂しい気もする。
アダムは口を開いた。
「俺はさ、あんたのそういうとこ、いいと思うよ。仲間を思いやれて、時には危ない橋を渡るのに自ら率先して言い出す。思い切りがよくて、好感が持てる」
「そんな綺麗な感情ばかりじゃないさ」
「それでもさ」
アダムは春子を尊敬する。
反感を買ってでも、仲間のために行動する勇気。自己犠牲を厭わない献身。それをしてもいいと思える仲間が存在すること。
どれを取っても羨ましい限りだ。そういう拠り所があるのはいい。
ニノンの力で一発目に聞いた声は否定的で衝撃を受けたが、そこで終わらず、ちゃんとみんなでわかり合っている姿も見られてよかった。
アダムがルカやニノンやニコラスと出会えたのと同じように、春子にもそういう出会いがあって、長く続いているというのが、他人事ながら、嬉しかった。
──いつか、全てをさらけ出してなんて、かっこつかないけど、さ。いつかそうなれたらいいな、とは思うんだ。
アダムも、仲間と一緒に旅をして、エスキースを描き溜めるくらいには、ルカたちのことが好きだ。ピンチだったら助けてやりたいし、落ち込んでたら、励ましてやりたい。そういう在り方でありたい。
「絵だって、人によって好みはある。百人中百人にウケなくたっていい。誰かには汚く見えたり、理解できなかったりしても、わかる人にはわかる良さがあるからいいんだ」
そうして、わかってくれる人が次第に増えていって、やがて社会というものに認められるのだろう。
「広く認められるための第一歩なんだろ。それも一つの手だなって、関心した」
出会ってほんの数時間の仲だ。そんなに踏み入ろうという仲ではない。
けれど、アダムの中に一つの感情が沸き立った。
「春子さんさえよければ、さ」
春子の考えや生き様、日本のことなどを聞いて、アダムは春子を尊敬したし、彼女の在り方に感動した。
だから、それを思い出の中だけでなく、目に見える形で取っておきたかった。
「あなたの絵を描かせてくれないか? そう大層なモンじゃねえけど……お互いの旅の記念にさ」
描いた絵をプレゼントさせてほしい、と言った。絵の下書き、着色しないエスキースでよければ、と。
春子の桜色がふんわりと微笑む。
「修復が終わるまで、暇だからな。いいよ。それに、そういう目をした人に描いてもらえるのは嬉しい」
「目?」
春子は屈託なく笑った。
「私の容姿がどうこうじゃなく、ただ単純に描きたいから描きたいっていう目」
すごく綺麗だ、と言って、春子は立ち上がった。
「好きなように描いてくれ」
そこには春の木漏れ日のような表情が浮かんでいた。




