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コルシカの思い出  作者: 九JACK
七周年記念
15/47

ニノンとアニメ

 交番に財布を届け、一段落したところで、アダムとニノンは春子が選んだ感じのいい喫茶店に入った。少しメニューの一つ一つが高くて、背伸びをしている気分になる。

 まず重要なことをアダムは確認した。

「春子さんの奢りって本当ですか」

 お金の問題は後々の人間関係に響く重要なことである。アダムの脇でニノンが若干呆れた顔をしているが、重要なことなのだ。繰り返す、重要なことなのだ。

 春子はにこにこと笑って答える。

「ああ。二言はないよ。財布盗られないで済んだから、これでも結構持ってるんだ」

「お仕事、何かなさってるんですか?」

 ニノンが尋ねる。

 春子は背が高いというのもあるが、雰囲気から何から全部含めて[大人]というのがわかった。名前と容姿からして日本人なのもわかる。日本人は童顔が多いというのは噂で聞いていたが、この人は童顔なのだろうか。若々しくは見えるが。

 それに、旅行者である。こんなちょっと格が高めの店に平気で入れるということは、相応の仕事をしているのであろうことはニノンにもわかった。が、ニノンの中ではまだ[職業]という概念が曖昧である。

「んー、声優ってわかる?」

「せいゆう?」

「映画の吹き替えとかやる仕事っすよね」

「そうそれ。一応あるんだね、こっちにも」

 といっても、声優の仕事は映画の吹き替え、エンターテイメント番組のナレーションくらいなものだ。実入りがいいとは思えない。

 それに、今の言い方に、何か引っ掛かるものを感じたアダムは春子を見つめる。持っていた鞄から、春子はファイルを取り出した。その中には何枚もの絵が入っていた。人物画というか、絵画というよりはデフォルメされているように見える絵たちは、現実のものではないとわかっていても、躍動感に溢れ、好奇心を揺さぶられる。

「なんだか、見ているだけでわくわくする絵」

「はは、そう言ってくれると嬉しいよ」

 これはね、と春子が続けた。

「日本が誇る文化、アニメーションの絵なんだ。ただの絵ってわけでもなくて、原画。アンティーク的なものかな」

「あにめーしょん……?」

「あ、知らない? 絵が動く映像のことなんだけどさ。……まあ、娯楽放送は今じゃされなくなったから、今時の子は知らないもんなのかな」

「え、春子さん何歳なんですか?」

 思わず聞いたニノンの足をアダムが思い切り蹴る。がたんと机が揺れた。

「普通こういうの逆じゃない!?」

「馬鹿、男だろうが女だろうが、女性の年齢聞くのはセンシティブ案件なんだよ」

 然りである。

 春子は苦笑していた。

「もうすぐアラフォーの仲間入りかな」

「あらふぉー?」

「四十近い人のことだよ。まあ、まだ四捨五入では三十だけど」

 つまり三十代ということである。

 アダムは春子を二度見、いや、三度見くらいはした。

「三十過ぎ!? 嘘だろ」

 せいぜい三十近い二十代後半だろうと推測していた。童顔云々ではなく、単純に若く見える。

「百聞は一見に如かずだな。日本人が海外に行くと本当にこんな反応されるのか」

「お肌綺麗ですし、髪も艶のある黒髪……羨ましい……」

 脱色症のニノンの髪が醜いなんてことは決してないが、色素を多分に含んだその髪色はニノンでなくとも羨むことだろう。短く切り揃えられているのが少し勿体ない。この髪なら、長くても美しいことだろう。

 それはさておき、と春子は話を戻す。

「日本では未だにアニメの制作が続いてる。けれど、それも、五十年前のエネルギーショックの前から比べたら、随分衰退した。日本のアニメって言ったら、ジャパニーズカルチャーと呼ばれるくらい、海外にも浸透していたんだ」

 エネルギーショック。火力発電を主にして動いていたありとあらゆるものが、そのエネルギー源である石油の枯渇によって姿を消した暗黒の時代。

 エネルギー源がなければ、夜に灯りも灯せないのだから、暗黒の時代というのは言い得て妙だった。

 電気が点かないということは電化製品が使えないということ。テレビ放送が主だったアニメはその価値をなくしていった。故に、絵画エネルギーが発見した現在、アニメという映像娯楽を覚えている国自体が少なくなっている。アニメという言葉がいまいちぴんときていないニノンはその象徴のような姿だ。

「日本は諦めなかった。アニメは百年以上続く日本の文化だ。まあ、世界初のアニメーションはウォルト・ディズニー辺りかもしれないが……日本で発展したアニメという文化には、日本なりの矜持があったんだよ」

 続いて、春子はノートを取り出した。その中にも絵が描かれていたのだが、前のページとさして変わりない絵柄にニノンもアダムもきょとんとする。

 春子は得意げににやりと笑うと、見てろよ、と最後のページまで捲り上げ、それからばらばらと一ページずつ紙を落としていった。

 おお、と思わず感嘆の声が上がる。なんということだろう。絵が滑らかに動いて見える。アクションものらしく、主人公とおぼしき人物が画面に肉迫し、ざん、と大振りに剣を決死の表情で振るうシーンだ。こちらに向かって駆けてくるときの動きの少ない表情が、剣を薙ぐ瞬間に雄叫びを上げ、目を見開き、相手を仕留める強い意志を伝えた。

 数十枚の絵の羅列。絵を動きに合わせて少しずつずらして、そのずれをより細やかにすることによって、より滑らかに、自然な動きにしていく。単体だけでは得られない、複数枚の絵というものの集合した[価値]がそこにはあった。

「これ、手書きなんすか?」

「ああ。たった一分の映像にするのに、クオリティを妥協しなければ、きっとそれは数百枚の絵になることだろうな」

 ほんの数秒で数十枚が割かれているのである。それが数百枚となると……数字を聞いただけで途方もなくて、頭がおかしくなりそうだ。

 それを手書きである。デフォルメされているとはいえ、綺麗といって差し支えないクオリティだ。どれだけの労力と魂が詰め込まれているのだろう。

「昔は、こういうのをコンピューターで少しずつ調整して動かす技術もあったんだが、おいそれと電気を使えない今は手書きでやるしかない。海外からジャパニーズカルチャーと評されることも含め、アニメーションを作るのに妥協はしたくない、というチームが立ち上がって、現在、不定期ながら三十分アニメの放送をしているよ」

「三十分……!?」

 一分で数百枚かかるアニメーションを三十分、手書きで作るとなると、どのくらい時間がかかるのだろう。数千枚、妥協をしなければ万は悠に超えるかもしれない。

「もちろん、絵描きは何十人と集まっている。ただ、やはり各々の絵柄というものがあるから、アニメを作る際は中心となる絵描きを決めて、他がその人物の絵柄に寄せて描く。クオリティに差は生まれるが、得意分野も把握できてきたところだし、軌道には乗っている仕事だよ」

「す、すごい……」

 ニノンには春子の言うことの半分もわからなかったが、そこに込められた情熱は伝わってくる。

 それに、ニノンには普通の人ならわからないこともわかった。春子の持つ[原画]から、微かに声が聞こえるのだ。

 絵画の声を聞くニノンの能力はこのアニメの原画にも通用するようだった。その事実だけでニノンは充分だ。この絵は愛されて生まれてきたという証拠なのだから。

「で、アニメには声がつく。さっき見せた簡易アニメーションにも声や音がついたら臨場感はきっと増すだろう?」

 音がなくとも迫力はあったが、雄叫びや相手を確実に仕留めた効果音などがついたなら、想像するだけで胸が躍る。

「あたしがやってるのは声を入れる仕事だ。もちろん、無声映画があるように、無音アニメもある。ただ、今の日本のアニメの開発チームは五十年以上前、最盛期と呼ばれた時代の日本のアニメを復活させたいと願っている。だから時間は惜しまないし、こだわりを貫く。敢えて描かないことで想像を掻き立てるよりも、描いて尚、誰もが『面白かった』という作品を再び広めたいんだ」

 つまり、春子はその夢の一助をしているということになる。

 コーヒーが来たところで話が止まった。ニノンはキャラメルマキアートを頼んでいたので、芳ばしい匂いに割って入って甘い匂いが漂う。

「あたしは映画の吹き替えはやったことはないけれど、ときたまラジオなんかには出るかな。声優は声の仕事だから、色々やることあるんだよ」

「楽しいですか?」

「概ねな」

 曖昧だが、楽しいの方に触れているようである。

「あたしの両親は、エネルギーショックの時代を生きた物書きと歌手だった。わりと国内では有名でね。自分で言うのもあれだが、声は母親譲りでよかったから、声優にはなるべくしてなった感じだよ」

「それ、楽しいんすか?」

「仕事ってのは何も自分のためにやるもんじゃない」

 コーヒーの黒い湖面から顔を上げた春子はからりと笑う。

「そういう酔狂な輩の中に、あたしの友人もいるんだ。特別目をかけてるやつだから、そいつのためにあたしのできることをするのは嫌じゃないよ。むしろ、関われてよかった」

 和やかに話しているというのに、何故だろう。アダムは桜色の目に寂寥が含まれているように感じた。

「少し御手洗いに行ってくるよ。荷物見ててくれないか?」

「あ、はい」

 咄嗟にイエスと答えてしまった。が、まあ荷物番くらいいいか、とアダムは思い直す。ここは春子が払ってくれるのだし。

 問題はアダムの隣に座るこいつだった。好奇心からくるそわそわとした気持ちを隠せていない、ニノン。顔にでかでかと「あの絵を手に取って見たい」と書かれている。

「どうした、ニノン。お前も御手洗いか?」

「ち、違うってば!! もう、アダムはデリカシーがないんだから……」

「そわそわしてるから気を遣ったんだよ」

 落ち着きのなさを指摘され、羞恥から黙り込むニノン。けれど、その顔はすぐに上がった。

「ちょっとあの絵、触ってもいいかな」

「なんで?」

「声が聞こえるの」

 なるほど、とアダムは納得する。

「ちょっと触るならいいんじゃね? 春子さん、特に何も言って行かなかったけど」

「じゃあ、ちょっとだけ……」

 触るのかよ、と思ったが止めはしない。そもそも、ここに絵を持ってくる理由なんて、アダムには一つしか思いつかない。春子の危機管理能力が足りないということはないだろう。スリにも気づいたくらいだ。

 まあ、万が一、何かあっても、今頃フェイスペイントで顔が賑やかになっているであろううちの修復家がどうにかしてくれるにちがいない。

 ニノンは勝った好奇心で、絵に触れた。


「ルーブルに提出するのは反対だ!!」


 そんな強い声が、ニノンと、近くにいたアダムの脳内に響いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これはもう 劇場版!!!!!! [一言] 今日の更新が楽しみすぎてあまり眠れませんでした。 新しい街を訪れた一行、そこで出会う謎めいた美人…こんなわくわくする導入ってある…? 「アダムと出…
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