エピローグ (僕たちの旅の始まり)
◇
闇に閉ざされていた世界が、徐々に色彩を取り戻してゆく。
東の空から昇り始めた太陽が大地を照らし、淡い緑色の草原と畑、濃い緑色の森と、うねるように流れる大河の輪郭を浮き上がらせる。
遥か北の彼方に横たわるメリレイシア山脈、南を眺めればヒーペルポリアの大森林地帯へと至る暗緑回廊が広がっている。
魔城を脱出した僕たちは、東を目指し飛び続けていた。
白銀の鱗が美しい竜――アギュラディアスの背に乗って。
僕とティカリは竜の背中に乗って、感動に包まれながら世界の広さに目を奪われていた。白い朝霧がうっすらと地平線にかかっていてとても幻想的。きっといい一日が始まるような、そんな予感がする。
目指すはエフタリア大陸の最果て、アギュラディアスの生まれ故郷。
僕は見たことがないけれど「海」という、とてつもなく大きな塩の湖を渡ったところにあるらしい。
「凄い……世界がこんなに広いなんて……!」
僕は冷たく心地よい風と眩しい光を感じながら、何度目かの感動を口にした。
街で暮らしていたときは、狭い路地に切り取られた空と、部屋の窓から見える空。その2つしか知らなかった。外の世界がどうなっているか何処まで広がっているかなんて、想像することしかできなかった。
それだけじゃない。地獄のような魔城の地下牢から、暗闇と絶望の底から、こうして皆で脱出できた。晴れ晴れとした気持ち、生きているという実感を感じている。だから、世界の何もかもが美しく輝いて見えるのだろう。
「きれいね! 朝日がすごく眩しいわ! あ、見てハル! あそこに白い鳥の群れがいるわ! 私達、鳥の上を飛んでいるのね、信じられない! それに、あれは……村かしら?」
「うん、うん!」
何よりも驚いたのは、ティカリが「お喋り好きな女の子」だったってことだ。
さっきから僕の腕を掴んで離さないし、珍しいものを見つけては指差して、あれやこれやとずっと楽しそうにおしゃべりを続けている。今までずっと恐ろしい魔法使いの奴隷として、酷い扱いを受けていたティカリ。魔城では一人で、喋りたくても喋れずに、ずっと寂しくて辛い思いをして我慢していたのだろう。
けれど今、青い瞳を輝かせる彼女の笑顔は僕を明るい気持ちにさせてくれた。
『――二人とも、空の旅を楽しんでいるところすまぬが、悪い知らせじゃ』
「ど、どうしたのアギュー」
突然、アギュラディアスが僕の頭に語りかけてきた。首を僅かに曲げて、背中を窺う。何か良くない事だろうか? と、心配になる。
『――腹が空いたのじゃ。魔力も底をつきそうじゃ……地表に降りるぞな』
そう言うとアギュラディアスは、ぐんぐんと高度を下げて、やがて人の気配のない木々の生い茂る小高い丘の上へと降り立った。
◇
『――魔力が完全に尽きれば、飛ぶことが出来なくなる。しばらく休息すればまた飛べるようになるのじゃが……。空腹では何ともならぬの』
「大丈夫? アギュラディアス」
「アギュさん疲れたのね? お腹も空いたって……どうしよう?」
まさかもう、僕を食べるなんて言うわけもないし、どうしたらいいのだろう。
途方にくれていると、アギュラディアスがまるで伸びをするように、大きく翼を広げた。太陽の光を浴びながら、何か魔法を励起し始めたのがわかった。
「魔法の……詠唱?」
『――そうじゃ。やむを得ぬ、久しく使っておらぬ術じゃが……魔力が無くなる前に……人化するとしよう』
途端に太陽の光が翼で糸のように細く紡がれてゆく。光の糸はキラキラと輝きながら見上げるほどの大きな竜の体を包み、光の繭を形作る。それはしゅるる……と小さくなると、人間ぐらいのサイズへと変化した。
光の粒子が風に散ってゆくと、そこには人の形をした竜……いや、人間そのものが立っていた。
金色の瞳は大きく目の端がすこしつり上がっている。凛々しい顔立ちの、まるで貴族のように品のある美しい顔立ちだ。
髪は腰までの長さがあり艷やかで、光を纏った絹糸のように輝いている。
身体にはウロコ模様の銀色のドレスを纏っている。腰はふっくらとしてウェストは細く、大胆に開いたドレスの胸元からは、とても大きな胸と深い谷間が見えた。
つまり……女の人が立っていた。
「え!? ア、アギュラディアス?」
「すごい、女の人に変化したのね!」
「ふむ……? こんなもんかのう? おぅ、どうじゃハル? ちゃんと人間に見えるかの?」
くるっと回ってみせるアギュラディアス。お尻から尻尾みたいなものが見えたけれど、何かの「飾り」みたいで気にはならない。
ティカリが大喜びではしゃぎ、アギュラディアス(人間体)に抱きつく。
「うわ! 柔らかい……! それに髪もきれい! うわー! うわー!」
「ははは、ティカリくすぐったいぞな」
「み、見えるも何も、お、女の人……だったの!?」
僕は震え声。顔も引きつっているだろう。
「おぅ、そうじゃともよハルトゥナ! 性別……というのものか? ワシらはあまり気にせぬが、人間でいえば、メスじゃな」
「メっ……メスて……!」
つまり僕は……裸でアギュラディアスに「ぱくん」とまるごと食べられて、舌でなめられたりしたわけで……。
「えっ、えぇえええええ!? うわぁああ!?」
僕は赤面し叫び声を上げた。恥ずかしい! なんてことだ。もう頭の中が真っ白だ。
「なんじゃ? ハルは何故叫んでおる? 人間とはよくわからぬ生き物じゃのぅ……どれ!」
「う、うあ、あ!?」
小首をかしげていたアギュラディアスが、僕を片手で抱き寄せる。胸が、胸があたってますけど……。
「さーて、そういえば途中に村があったようじゃが、この姿なら人間の食べ物でも良いはずじゃな!」
ぐいぐいと強引に歩き出す、アギュラディス。
「いきましょう、アギュさん!」
「あぁもう! いこうアギュー!」
僕とティカリは並んで歩き出した。アギュラディアスが笑顔でまっすぐ前を指差す。
「おぅおぅ、楽しみじゃのー!」
こうして――。
僕達の長い旅が、はじまった。
<おしまい>
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では、またお会いしましょう☆