魔城の闇
床に落ちていたのは、アギュラディアスの鱗だった。
鈍い銀色で、大きさは手のひらぐらい。持ち上げてみると軽くて硬い。
今は眠っている巨大な竜、アギュラディアスの体に、魔法使いが「鉄のイバラの魔法」で傷をつけた際に剥がれ落ちたものだろう。
「……これだ!」
削って鍵を作れないだろうか?
でも、伝説の鎧の材料にさえなったという「竜の鱗」はとても硬い。削るには金属の工具が必要だろう。
って……そんなものがここにあるわけがない。
ここは暗い地下牢。手に入りそうな道具はない。あるものと言えば、石の壁と鉄格子。石の壁にゴリゴリと押し付けてこすり続ければ削れるかもしれないけれど、鍵の形まで作り込むのは難しいだろう。
途端に暗い気持ちが押し寄せて、落胆する。
考えている脱出計画は全ては無駄で、悪足掻きに過ぎないのだろうか。
結局は魔法使いに殺されて、アギュラディアスのエサとして不味い練り物みたいにされちゃうのかもしれない。
どっと疲れが押し寄せてきて、思わず床に座り込んだ。
『――う……む? 頭のなかで天気が変わる夢を見たぞ……久しく見ていない空じゃ……。晴れたり曇ったりと忙しい空じゃの……』
ゴフゥ……とアギュラディアスが目を覚ました。
体や首は動かさず、瞳だけを開けて大きな目玉がギョロリと僕を見る。頭のなかには声が響いてくる。年老いているようで若い、不思議な声だ。
恐怖で頭がおかしくなったのではなくて、確かに聞こえる声にホッとする。
「もしかして、僕の考えも伝わるの?」
『――そうではない。さっき甘噛したときに、ハルトゥナの体内にはワシの魔素が僅かに入り込んだのじゃ。それが共鳴し……わずかだが感情が流れ込んでくる』
血を失った竜はまだ眠そうだ。
「そうなんだ。あのさ……君のウロコをもらっていい?」
『――引き剥がされるのは勘弁じゃが、落ちているのなら好きなだけ使うがいい。何をするつもりじゃ……?』
竜の瞳を保護する薄膜が、素早く眼球の上を滑る。
「ちょっとね。内緒だけど鉄格子を開けて、逃げ出す道具を……」
アギュラディアスの耳のような部分に顔を近づけて、こそこそと耳打ちする。
『――ふむ、道具とな? そんなもの無くとも、ワシが尻尾の一撃で、鉄格子など粉砕してくれるわ……!』
グワッ……! と口を開けて咆哮する。竜の尻尾で一撃を食らわせるには、身をよじる必要があるけれど、今は鉄格子からは遠すぎる。
立ち上がろうとした竜の足が鎖を引っ張ってガシャガシャと音を立てた。
「だから、足が固定されてて、尻尾が届かないじゃん!」
『――そうじゃった……! おのれ、忌々しい足枷め……』
グルル……と忌々しげに唸るアギュラディアスは諦めたように再び昼寝の体勢に戻り、首を床の上に下ろす。
「もういいよ、何か考える……って、あっ!?」
『――なんじゃ? ハルトゥナ』
僕は気がついた。アギュラディアスの頭や首の後には無数の尖った角が、馬の鬣のように生えている。それは氷柱や、金属の槍の先のように尖っていた。腕を伸ばして触れてみると、凄く硬いそして表面がザラザラとしている。
「ねぇ、ちょっとここ借りていい?」
僕はアギュラディアスの首の後の角に、拾った鱗を交差するように押し当てて、ゴリゴリと擦ってみた。
すると、硬いはずの鱗が、あっという間に削れてゆく。ほとんど力も入れていないのに粉になり、角の丸さに沿ってポッカリと半円形に削ることが出来た。
「凄く硬いんだ……! しかも表面がざらざらしててヤスリみたいになってる」
『――くすぐったいぞな。しかし、何か出来そうか?』
「うん! これなら作れるかもしれない!」
ティカリが託してくれた鍵の型。それにピッタリ合う「鉄格子の鍵」を!
◇
作業はそれから半日、夜になるまで続いた。
鱗を削り細くして、鍵穴に入れる先端部分を、練り物に残っていた鍵の形へと加工してゆく。
地下牢の上にある丸い明り取りの窓に、月が見えた頃、ついに鍵が完成した。
何度かの試行錯誤の後、カチリ……と音がして鉄格子の鍵が外れた。
「やった……!」
後ろを振り返ると、アギュラディアスが首を持ち上げて、じーっとこちらを見ていた。竜は何も言わなかった。
「心配しないで。僕だけ逃げたりしない。この鍵は、ティカリと、アギュラディアス……君のお陰で出来たものだから。みんな一緒だよ」
それが僕が決めた事だった。
一匹と二人、皆でここを逃げ出す。
その一心で僕は鍵をひたすら削り続けたのだ。
鍵を外し、しばらくしても外には何の変化もない。城の中は静まり返って、ひんやりと冷たい夜気で満ちている。
警報が鳴るような仕掛けは無い……か?
地下牢の前の廊下も、その向こうの階段も人の気配はない。ティカリはもう眠っているだろうか。あの魔法使いも何処にいるかなんてわからない。
十分ほど様子を見てから、僕は慎重に鍵の外れた鉄格子の扉を開けた。ギィ……と音がしてドキリとする。
はぁ……はぁ……。
自分の息さえも響いている気がして、呼吸をゆっくりにする。心臓がバクバクと暴れている。
それでも意を決し、一歩外に出る。
……何も、起こらない。
脱出を検知するような魔法が仕掛けられているのなら、この時点で気付かれる。つまり、何かの変化があるはずだ。けれど城の中はしん……と静かなままだ。
「アギュー、ちょっとだけ調べてくる。すぐ戻ってくるから……!」
『――アギュー? うむ、気をつけてな、ハル』
長い名前を呼び合う時間さえ惜しかった。けれどアギューなんて、愛称みたいで悪くない気がした。
それに、僕のことをハルと呼んだ。
「うん」
手を振って、忍び足で、壁に沿って移動。
振り返ると、閉じ込められていた地下牢から10メルほど離れていた。そのまま階段を目指して歩き停止。息を止めて音と気配を探る。
自分の心臓の音が聞こえそうだ。緊張で手足が震えていた。耳を澄ましても、やっぱり誰も階段を降りてくる気配はない。
階段の壁に埋め込まれた魔石が、淡い夕日みたいな光を放っている。
もしこれが検知する仕掛けだったら……と考えて、影を作らないように、壁に背中を押し付けて、魔石の下をゆっくりと通過する。
階段は螺旋状でずっと上まで続いている。
今夜はここまでにして戻るべきだろうか……という弱気な思いが頭をよぎる。
けれど、ティカリでも鍵に触れるくらい、城と魔法使いには「スキ」があるってことだ。
僕は意を決し、階段を再び登り始めた。
◇
階段を登りきった先は、古い廃墟みたいな城の一階部分だった。壊れた絵や机、ガラクタが置いてあるような部屋。おそらく衛兵の控室だったのだろうか。錆びて使えそうもない剣や、カップが床に落ちていた。
音を立てないように、薄明かりだけを頼りに進む。
恐怖心に負けそうになるけれど、絶対に皆で逃げ出す、という使命感が僕を突き動かしていた。
ありもしない勇気が、自分にあるんだと言い聞かせて進む。
廊下を曲がるときは、立ち止まり、気配と音に耳を澄ます。天井、右、左、そして床にまで気を配る。
段々と呼吸も落ち着いてきたことで、まるで自分がネズミにでもなったような気分で身体が動く。
暫く進むと、外が見える窓があった。窓と言っても石の隙間のような四角い穴だ。人が通れるわけじゃない。外を窺うと青白い月明かりに照らされた荒野と大きな川、遥か彼方に山の峰が見えた。少なくとも人気のある街は周囲には見えない。
――今ままず、足枷を外す『黒き鍵』を探すんだ!
ここから見る限り、廊下の突き当りと横にドアが二つ。鍵があるとすれば、どちらかの部屋の中だろう。それで見つからなければ……城全体を探さないといけなくなる。
その時、窓の外を何かが横切った気がした。
慌てて隠れ、もう一度窓の外を恐る恐る覗いてみる。すると、赤い燐光を放つ巨大な蛾のような怪物が、大きく弧を描いて空を舞い、城に近づきつつあった。
――魔法使いが帰ってきた!
根拠はないけれどそう直感した。
禍々しい赤い光が、魔法使いの瞳の色そっくりだったからだ。
僕はもと来た道を静かに、そして急いで戻る羽目になった。
<つづく>