ティカリの知恵と脱出の糸口
ティカリは苦しそうに、首に巻き付いている銀色の首輪に指をかけた。繊細な彫刻の施されたな銀細工に見えても、女の子の指の力では外せそうにない。
「うっ……う!」
涙を浮かべた瞳を僕に向けると、足がよろめいた。ガシャンと音を立てて鉄格子に身体がぶつかる。
「だ、大丈夫!?」
「はぁっ! はぁ……っ、う……うん」
僕は鉄格子越しに背中に手を添える。何も出来ない事がもどかしい。でも、魔法使いの術は解けたらしく、声は元に戻り荒い呼吸も次第に落ち着いてくる。
「今のは……?」
「私を飼ってくださっている……偉大なる魔法使いさま、です」
「飼って……」
ひどい言葉に唖然とする。間近で見る女の子の首筋には、銀細工のような首輪がついている。これが魔法使いアーリ・クトゥ・ヘブリニュームが取り付けた「遠隔監視」の魔法道具なのだろう。
必要な時にティカリの目を奪い、監視出来るらしい。
今の様子から察するに、この首輪は何かをきっかけに動き、魔法使いが遠くから干渉する仕掛けみたいだ。
――脅しているんだ……!
きっと竜の檻からは絶対に逃げられないという事、そして監視も出来るということを僕に思い知らせるために、この子をここに寄越したんだ。
けれど……それって、いつでも監視できるけれど常に視ているわけじゃない、って事の裏返しだ。
魔法使い自身も戦争で忙しいはずだ。魔力だって竜の血から得ている貴重な力のはず。エサや奴隷相手に、無駄遣いなんてしたくないんじゃないだろうか?
さっきは竜の檻に放り込んだ僕に圧倒的な力を見せつけた。更に今は「いつも監視しているぞ」と脅しをかけてきた。
恐怖で縛りつけ、逃げないよう完全に支配下においたつもりなんだ。子供なんて、これぐらい脅せは十分だろう……と考えている。
けれど残念でした。
貴重な情報を、ありがとう、だ。
相手の「手の内」と魔法の力について、徐々にわかってきた。
「あ、ありがとう……もう、大丈夫です」
「すごい苦しそうだったけれど……」
「いつ殺されても仕方ないの。私は、ただの道具だから」
「そんな……!」
僕と同じだ。
恐怖で縛り付けてあとは道具として使い捨てるつもりなんだ。
鉄格子の隙間から僕はティカリのやせ細った肩に、そっと手を添えた。
身体は小さく震えている。けれど、次第に温もりが伝わってきた。孤児院に居た幼い妹たちを思い出す。同じような年齢なのに、こんな場所で恐ろしい魔法使いの奴隷にされているのかと思うと、可哀想な気持ちがこみ上げる。
「なんとかしてあげたい。けれど……僕には無理だよ。君よりも酷い。見ての通りエサだから」
後ろで寝ている大きな竜にチラリと視線を向ける。アギュラディアスが寝ていてくれてよかったと胸を撫で下ろす。話がややこしくならずに済んだから。
「……いいの。ありがとう……ハルトゥナさん……」
涙をぬぐいつつ、ヨロヨロと鉄格子から離れる。
「けれど、もう話さないほうがいい。さっきみたいに……また」
こくり、とティカリは頷いた。多分、この首輪の仕掛けや意味を、ティカリは理解しているのだろう。下手なことを言えば、また魔法使いに伝わるのだろう。
つまり発動の鍵は、声だ。
ティカリが僕の足元に置いた皿を一瞬だけ見て、また僕の目を見た。
何かを言いたいのかもしれない。
そのまま言葉を発することもなく、ティカリは静かに去っていった。
僕はティカリが持ってきてくれた皿を抱えると、水場の方へと移動した。今はグーグーと寝息を立てながら寝ている巨竜、アギュラディアスの影になっているので鉄格子からは死角。
皿には、拳ぐらいの大きさの乳白色の練り物みたいな食べ物が載っていた。
くんくんと嗅ぐと、なんだか青臭いような穀物の香りがする。手触りは表面は乾いていて固く、中身はブヨブヨだ。
恐る恐るかじってみると、不味い。
「うぇ……」
小麦粉を塩水で溶いて練り固めただけの粗末な食べ物だった。孤児院でさえ焼いたパンが出たのに……。ティカリはこんなものを食べているんだ。
「でも、無いよりマシか」
諦めてもう一口食べようと皿から持ち上げた時、手触りの違和感に気がついた。
表面は既に固まっている。その裏側だ。ひっくり返すと、何か裏側がデコボコしている。
薄暗い中で目を凝らすと、文字が書いてあった。
慌てて辺りを見回して何も、誰も居ないことを確認する。
そして練り物の裏を見る。
『城、人間、私だけ。にげて』
「ティカリ……!?」
短い、単語のメッセージが彫り込まれていた。竜の檻に放り込まれたエサである僕に向けたメッセージなのは間違いない。
城、人間は私だけ。つまり、魔法使いが住む城には人間は自分しか居ない、ということを言っているに違いない。
魔法使いは魔導を探求するので、孤独で偏屈、仲間を持たないというのを聞いたことがある。
城や洞窟、塔などに引きこもり、誰とも会わない。信じるのは自分の魔法のみ。手下は自分の魔法で生み出す……と。
けれど戦争をしている真っ最中の魔法使いが、無防備のはずもない。
確か、聖都の王城でも配備している自律駆動人形、ゴーレム兵がいるはずだ。
見た目は鎧や石像のような姿で普段は動かない。侵入者の音や気配を察知して動く。それぐらいは居てもおかしくない。
この地下牢を抜け出しても、それに見つかったらお終いってことだ。
けれど、「にげて」とはどういう意味だろう?
竜にいつ食べられるかも分からない「エサ」が逃げられるはずもない。
そう普通は考えるはずだ。
けれど、ティカリ自身はあの首輪のせいで、絶対に逃げられない。あの魔法使いのことだから、監視だけじゃなく、命を奪う呪いなんかも間違いなく仕掛けているはずだ。
そう考えると、僕はまだ逃げられる可能性がある、そうあの子は考えたのだろうか。
だからここから「にげて」助けを呼んで欲しい、と。
きっとそうに違いな――
「んっ?」
指で触っていた練り物の文字の下に、更に模様みたいな凹凸があった。
薄暗くてよくわからなかったけれど、まるで硬い何かを押し付けたみたいな、直線と横棒の組み合わせ……
――鍵の形!?
思わずあっと声を上げそうになった。
正確には何かの鍵を、練り物に押し付けた痕だ。
大きさからして鉄格子についている鍵を型取りしたものかもしれない。
これは危機から一転、想定外の幸運だ。
地下牢の鍵に触れる事ができるなら、直接持って来てくれたら嬉しい。けれど、どうしてこんな方法をとったかの理由は「城、人間、私だけ」にある。
もし、地下牢の鍵を持ち出して僕を逃がせば、ティカリ以外に人間が居ない以上、間違いなく即座に魔法使いに殺される。
僕が勝手に、自主的に逃げたことにすれば、魔法使いの八つ当たりで殺される可能性を除けば、少なくともすぐに責任を問われることはないはずだ。
きっとティカリはそこまで考えて、この方法を選んだのだろう。
ギリギリで竜に食べられずに済んだ僕に、僅かな脱出の希望を託したんだ……!
逃げ出して誰かの助けを呼んで欲しい、と。だから鍵の型枠だけを託したのだろう。
――あの子、賢い……!
思わず拍手を贈りたくなった。
僕は立ち上がった。
この型枠)から地下牢を抜け出すための、鍵を作れるかもしれない。
材料は……と、探し始めたところで、足元で音がした。硬い金属のような陶器のような薄い手のひらサイズの板。
「アギュラディアスの鱗…‥!」
<つづく>