竜と邪悪なる魔法使い
カツ、コツ……と足音が近づいてくるのが分かる。
竜のアギュラディアスが言うには、悪い魔法使いが来るらしい。
音の響き具合から考えて、廊下の向こうの階段を降りつつあるようだ。歩みは遅く、地下牢に来るまで一分ぐらいの時間はありそうだ。
「どうしよう……」
『――少年、いや……ハルトゥナ。ヤツに命乞いをしても無駄じゃぞ。まぁ、痛くない方法で殺してくれるやもしれぬが……』
フゥ……と竜が息をゆっくりと吐き、背中の翼を居心地が悪そうに動かす。落ち着かない様子が見て取れる。
どうやら、竜は魔法使いを怖がっているみたいだ。
『――ここ一月ほど、牛や羊、生きたもの、死んだもの。あらゆるエサを奴は投げ入れた。じゃが、ワシは何一つ口にしなかった。最後に少年、お前が来たがの』
「ちょっと黙ってて……今考える!」
僅かな時間だけれど、状況を整理して対応を思案する。
片頬を指で摘まむようにひねり、床を見て、天井を見上げる。
これが、僕の考えるときのポーズ。
僕は囚われの竜、アギュラディアスの「餌」としてこの地下牢獄に放り込まれた。つまり竜に食べられて欲しいと魔法使いは考えているのだろう。
けれど、竜の気まぐれか、あるいは本心か、少なくともアギュラディアスは僕を今すぐ食べる気はないらしい。
けれど、ここに来るという魔法使いは、どう考えても悪逆非道。孤児院から僕をお金で買い取って、竜のエサにするなんて、頭がどうかしている。普通じゃない。
悪いことをしたら天罰が下るとか、王国の正義の騎士に処罰されるとか、そんなことは微塵も恐れていない証拠だ。相当に強い力を持った魔法使いなのだろう。
何よりも僕を人間とも思っていない。そんな相手だ。仮に「助けて!」と泣き叫んでみたところで、心動かされて助けてくれる……なんて可能性は限りなく低い。
けれど魔法使いから何か情報を聞き出せれば、逃げ出すチャンスを見つける事ができるかもしれない。
話し合いは無理。僕には何も交渉できる材料がないからだ。
……いや、まてよ。
そこで、足音が変わった。より大きくなり、近づいてくる。地下牢に続く廊下に降りてきたのだ。ここにつくまで、あと30秒ぐらいか。
なら――。
「ねぇ、竜さん……いや、アギュラディアスさん」
『――ワシの名を呼ぶのなら、さんづけは要らぬぞ、ハルトゥナ』
「あ、うん」
魔法使いは、僕が今こうして竜と「話せる」事を知らないはずだ。
竜――アギュラディアスは、酷い目にあって恐怖し、絶望している。足を鎖で繋がれて閉じ込められて、血を抜かれ苦しんでいる。
なら、共闘出来ないだろうか。
僕は非力で、なにもできないエサだけれど、少なくとも考える頭がある。
「僕に、協力してくれない?」
咄嗟の提案に、アギュラディアスは蛇みたいな瞳を一度細め、すぐに大きくした。
『――協力……とは? 何を考えている少年……ハルトゥナ』
「捕食者と獲物を演じ続けて、情報を聞き出すんだ。そして逃げ出す方法を考える」
素早く言う。言葉は通じただろうか。
『――なんと……逃げるじゃと……!? この魔城から? 無理じゃ。この魔法の鎖は、ワシでさえ引きちぎれぬ。何を考えてる少年……ハルトゥナ』
頭のなかに響いてくる声には、驚きと同時に諦めと嘲りすら混じっていた。でも、興味を持ってくれたのは間違いない。
「僕と君、二人なら脱出する方法が見つかるかもしれない」
これは、賭けだ。
小声だけどよく聞こえるように囁く。足音がどんどん近づいてくる。
『――ぬ……それが出来るのか? 今のワシは魔法をこの鎖で封じられ、飛ぶことも炎の息を吹き出す事も出来ぬ、哀れなトカゲと同類じゃ……』
「あぁもう、しっかりしてよ! 僕らは同じだよ、どの道、魔法使いに殺されるんだ」
『――ぬぅ……それは、そうじゃが……』
図体はでかいくせに、意外と小心者なのだろうか? 尊大な言い回しをするくせに、繊細なメンタルの持ち主なのかも知れない。
けれど、情報がまた増えた。
足の鎖さえ外せれば、この竜は空を飛び、炎の息を吐き出すことさえ出来るってことだ。
「ねぇ、アギュラディアス。お願いがあるんだ」
『――なんじゃ、ハルトゥナ』
「逆に、魔法使いを喜ばせたら……どうだろう?」
『――どういう意味じゃ?』
「僕を、食べて」
咄嗟の提案に、アギュラディアスはキョトンとして瞳を瞬かせた。
『――なんと申した……? 魔法使いの魔法で苦しんで死ぬよりも、ワシのエサとなる道を選ぶ、というのか?』
「ち、違うよ! よく聞いて。食べるフリをして欲しいんだ。あの……できるだけ軽く、甘噛の、もっと甘噛で!」
『――やってみるが……たまらず、飲み込みたくなるやもしれぬぞ』
「いいから! あ、来た!」
慌てて僕は服を脱いだ。思いついて良かった。もし脱がせたはずのエサが、また服を着ていたら、おかしいと思われるからだ。
前を隠して情けない姿を晒して、叫ぶ。
「食べて!」
『――えぇい、どうなっても知らぬ……ぞ!』
頭の上から覆いかぶさるように、ばっくりとアギュラディアスが大口を開けた。
「ひえっ……!」
生温かい口の中に包まれる。巨大なヌルヌルした舌が身体を抱擁するように包み込む。そして口が閉じられた瞬間、手足に牙が突き刺さり、激痛が走る。
「ぐっ……!」
悲鳴を堪え……いや、むしろ叫ぶんだ。情けなく、哀れに。
「ぎゃぁあああ! 助けて! うわぁあああああ!」
『――ハルトゥナ……? いいのか?』
「い、いいから、つづけて……!」
と、視界の隅に人影が現れた。
それは紫の法衣を纏った人物だった。長く伸ばした赤い髪、顔色は真っ白で死人のよう。細いカマキリみたいな顔をしたギョロ目の男だった。
――あれが、魔法使い……!
地下牢の中を覗き込んで、途端に喜悦に顔を歪めるのが見えた。
「ほぅ! ……ほほぅ!? これは……これは! ついに我慢できなくなったか……! 所詮は下等な竜よ」
グルルル……! とアギュラディアスが威嚇するように身構え、喉を鳴らした。余程恐れているらしい。
「おうおう、お前のエサなど取りはせぬ。存分に味わうが良いぞ、気に入ったらまた連れてきてやろう。血をすすり人間の肉を味わい、そして、お前の血を……増やすが良い。……愚かな竜よ……」
魔法使いが愉快そうに嗤う。僕はもがき、なんとか顔を牙の隙間から出した。
「た……助けて! おねがい……たすけて……!」
懇願する。もちろん演技だけど。
「ほぅ? ……金貨三枚のエサが、まだ生きておるのか? ……残念だが竜に喰われることを光栄に思うことだ」
「い、いやだぁああ! お願いです……助けてください、あなたは……偉大な魔法使いさまなのでしょう……どうか……、どうか、哀れな孤児に……最後の御慈悲を……!」
血まみれの手を伸ばし、弱々しく訴える。
ギラギラと見世物を見て愉しんでいる風だった魔法使いが、一瞬、ほんの僅かだか眉を動かした。
瞳には赤い光を宿していて、全部を見透かしていそうでゾクリとする。
「……ふむ?」
偉大な、という言葉が効いたのだろうか。
魔法使いは、紫の法衣を静かに揺らすと細い手を出した。枯れた枝のような手には、ジャラジャラとした装身具や腕輪、指輪が無数に付けてある。おそらく全て、魔法につかう物なのだろう。
指輪の一つを、コツンと鉄格子にぶつけると、ボウッと光を放つ。すると瞬時に鉄の棒がイバラのように枝分かれし、まるで細い槍のように伸びた。そして、5メル以上も離れていた竜の足に突き刺さった。
グァアアアアアアア! とアギュラディアスが叫び、口を緩めた。
――あれが、魔法……!
僕は唾液とともに吐き出されて、地面へと落ちた。
『――おのれ……!』
グギュルルル……! と忌々しげに身を捩るアギュラディアス。
「がっつくな竜よ。食事は時間を掛けて愉しむものだ」
魔法使いは王宮に出入りしているというけれど、僕達みたいな庶民が目にすることは少ない。その迫力と底知れない魔法の力に、僕は床にへたりこんだ。
鉄のイバラはしゅるしゅると縮み、元の鉄格子の棒に戻っていた。
「一興じゃ。戦乱の世とは言え、何度も人買いをしてくるわけにも行かぬ……。哀れな小僧よ、ならば願いどおり。竜の玩具となり、嬲られているがいい。なるべく長く、血を流すが良い。むしろ一口で喰われたほうが良かったと、舌を噛み切らぬようにな……」
ニィイと邪悪な笑みを浮かべる。
「ま、魔法使いさま……! 助けてください……! ここから出して……!」
なるべく、情けない声で泣きながら、床を這う。
「……そうじゃな。三日間、この人食い竜の檻で生き延びれたら考えてみよう。三日後には、竜の血を……半分搾り取る予定だからな。それが済めば、楽に殺してやろう」
三日間は生き延びられる。けれど、やはり殺すつもりらしい。それでも、最後の殺すという言葉は聞こえない振りをして床に頭を下げる。
「あ、ありがとうございます……! あの、せめて、あなた様の、お名前は……!? 偉大なる魔法使いさま……どうか最後に……」
「余の名は……アーリ・クトゥ・ヘブリニューム。魔法使いの名を知った以上、どのみち生きては帰れぬと心せよ……フフフ」
――アーリ・クトゥ・ヘブリニューム!
魔法使いは、そう言うと身を翻し、高笑いをのこして去っていった。
<つづく>