先輩と私
「後輩よ」
「何ですか先輩」
何故か私に向かって大層不快などや顔をしている先輩をちらりと見た後すぐに手元の本へと視線を戻した。
どや顔にまったく興味を示さない後輩の私を見て先輩は子供のように口を尖らせる、まったくもって可愛くない、むしろ殺意すら湧いてしまう。
「なんだよお!もっと興味を持ってよ、先輩は悲しいぞ!」
先輩はまったく悲しんでない、それどころか花が咲いたような幸せそうな笑顔である。鼻の下も延びきっている。
「すいませんでした。でも全然悲しんでませんよね」
「そんなことないぞー先輩は悲しんでるぞー」
「どこがですか、花が飛んでますよ」
「あ、わかっちゃう?」
「うっとおしいです」
「相変わらず冷たいんだから」
私は悪態を吐いてもなんのダメージを受けない先輩に対して呆れを通り越して逆に尊敬をしてしまう。どうしたらそんなにメンタルが強くなるのか豆腐メンタルの私にぜひ教えていただきたい。
そして先ほどから先輩のにやけ顔が視界に入ってくる、本当にやめていただきたい。
「先輩、私に言いたいことでもあるんですか?」
そう尋ねると先輩の表情は満足げになった。
「よくぞ聞いてくれたね、後輩よ!」
「いや、聞いてほしそうにしてたから……」
「どうしてもって言うなら教えてあげるよ」
「じゃあいいです」
「待て待て待て」
いつもと変わらず面倒くさい人だ、聞いてほしいならば回りくどいことを言わずに素直に聞いてほしいと言えばいいのに、内心そう毒を吐くがあまり言うと拗ねてしまい余計に面倒なことになるのでそっと心の奥にしまっておくことにする。
私は先輩に向かって溜め息を吐いた。もちろん呆れからくる溜め息だ。もう何十回この溜め息を吐いたことやら、その数は計り知れない。
「私も忙しいんですよ」
「嘘吐くなよ、本読んでるじゃん!暇じゃん!」
「暇じゃないですよ、本読んでるじゃないですか」
「あっそうか」
「まったく……」
しばらく先輩は黙って私が本を読んでいる様子を見ていた。早くどこかに行ってくれることを切実に願う。
しかしそんな私のささやかな願いは神様には届かなかった、先輩はまた子供のようになり私の腕を引っ張って揺すり始めた。
「ねー!話聞いてくれるんじゃなかったっけー?」
「はいはい、聞きますからやめてください。それより先輩、一体あんた何歳だと思ってるんですか」
「花の十七歳!」
「もっと大人になってください。体は大人、頭脳は子供じゃあ社会で白い目で見られますよ」
先輩は私の言葉が心に響いたのかやっと真面目な顔になった。
「聞いてくれ、後輩よ」
「はあ」
「私はとうとう奴等の仲間になれたんだよ」
「はあ」
「そう……リア充の仲間になれたんだよ」
その一言を言うためにどれだけ勿体ぶってるんだこの人は。
わざわざそんなことをいいに来たのか、この人こそ暇なのではないだろうか。
「へーそうですか。おめでとうございます」
我ながら言っている言葉に感情が籠っていない。当たり前だ何も思っていないのだから。
「それだけ!?もっと驚いてよ、尊敬してよ!」
「私がそんなことしないことくらい知ってるでしょうが、あなた何年間私と一緒にいるんですか」
「かれこれ十年ほどだね。これはもう赤い糸で結ばれてるよねぇ」
笑顔で世迷い言を語る腐れ縁の先輩
「どっちかって言うと黒い糸ですよね」
「照れんなよ」
「照れてません、変な誤解しないでください」
先輩は私の顔を何を考えているのかまったく解らない瞳でじっと見つめた。次に何を言い出すのか想像しただけでも面倒くさい。かつてこの人ほど扱いが面倒くさい人間がいただろうか、いやいない、そしてこれからも現れないことを祈る。
にっこりと先輩は笑う。黙っていれば本当に美人なのに、これは絶対に言わない。
「わかったよ、寂しいんだろ?」
無駄にハスキーなボイスで言われると背筋に寒気が伝う。
「寂しいわけないでしょうが、気持ちの悪い声出さないでくださいよ」
「だって、喜んでくれなかったから……」
「何で私が先輩に彼氏ができて喜ばないといけないんですか」
「後輩だろ?」
当然のことのように言う先輩、この果てのないやり取りにそろそろ見切りを付ける頃合いになってきた。
私は読んでいた本に栞を挟んで閉じた。そして立ち上がる。
「どこにいくの?」
「先輩のいないところです」
「お前のいるところに私ありだよ!」
「恐ろしいこと言わないでくださいよ」
「どこが恐ろしいのさ!」
心外だとばかりに声を荒げる私より一つ年上の先輩、もはや私よりも五つくらい年下なのではないか、全く年上と接している感じがしない。
そんなとき昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
やっとこのやり取りも終わる、私は安堵からほんの少し頬が緩む。
「それでは先輩、さようなら」
「ちぇー、つまんないの。じゃーねー」
先輩はようやく私の元から去っていく。本日の先輩との関わりはいつも以上に面倒くさかった、過去最高記録のウザさではなかろうかと思う。
しかしそんな先輩に恋人ができるとはまさに青天の霹靂。
一体どんな人なのだろうか、ほんの少しだけ気になる。
でもそんなことを言った日には先輩は調子に乗り私に何時間でもどうでもいい話をし始めるだろう。それは勘弁していただきたい。私も暇ではないのだから。
「はあ……」
私の溜め息は青い空に溶けていった。